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タイB

出発

バンコク

ピマーイ
抜粋

回顧

概要

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ソフィテル・セントラル・プラザ

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ソフィテル・セントラル・プラザから

■バンコクのドーン・ムアン空港からタクシーに乗って、ソフィテル・セントラル・プラザというホテルに向かった。空港と市内の中間点にある。ウィークエンド・マーケットの近くと言えばよいであろうか。

部屋でしばらくくつろいだ後、シャトル・バスに乗ってシーロム通りに向かった。同行者はバンコクには詳しくないようであり、また翌日以降は市内に入る機会があまりないように思われたため、早いうちに知る人ぞ知る歓楽街を案内してあげようと思ったのだ。そして、夕食を済ませると、パッポン通りやタニヤ通りを歩いていった。独特の雰囲気を醸し出しており、簡単に町の特徴を掴んでもらうことができたように思う。その後、シーロム駅からMRT(地下鉄)に乗った。バンコクで初めての地下鉄体験だ。運賃がバスよりも高いためか、乗客には身なりのよい人が多いようだ。最寄りのパホン・ヨーティン駅からのルートは予め調べておいたため、全く道に迷わずにホテルに戻ることができた。

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ラマ・ガーデンズ・ホテル

翌日から1日に複数回、ラマ・ガーデンズ・ホテルなどに往復する必要があり、その状況に耐えられなくなってきた。そのため、4日目から宿泊先をラマ・ガーデンズ・ホテルに変更することにした。

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人間操り人形劇

滞在中、民族舞踊などを見物する機会があった。ハイライトは、操り人形と黒子に扮したパフォーマーが登場し、あたかも操り人形劇が上演されているかのごとくタイミングを合わせながら動き回るというものであった。操り人形劇はよく見かけるという当地でも、このようなパフォーマンスは滅多に目にすることができないという。人間操り人形と呼べばよいであろうか。感心することしきりであった。当地に滞在している関係者などとともに夕食を取ることもあった。

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バーン・パイン離宮

出国前日の午後、トゥアーに参加してアヤタヤーを再訪することができた。関係者と親交を温めることができ、有用であったと思う。

帰路は工芸品展示館に立ち寄った。ASEAN各国の民族衣装が展示されていた。

出発

バンコク

ピマーイ
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回顧

概要

■ピマーイは、東北の代表的な町ナコーンラーチャシーマー(通称はコラート)から比較的近い。出国日に、水上マーケットを見物する同行者と別行動をすることとし、出立までの時間を利用して訪ねた。

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ドーン・ムアン駅

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ナコーンラーチャシーマー駅

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ナコーンラーチャシーマー市街

往路は列車に乗り、帰路は飛行機に乗って移動することを念頭に、4時半頃にホテルをチェックアウトして、タクシーに乗ってドーン・ムアン空港に向かった。そして、荷物を預けた後、ドーン・ムアン駅からナコーンラーチャシーマーに向かう列車に乗り込んだ。なお、以前、構内で見かけたものの、マレイシア滞在中に立ち寄った時には見当たらなかったコンヴィニエンス・ストアは、プラットフォームから見えないよう仕切りがなされていただけであったことが分かった。競合する販売店の申し出を受けたものであろうが、大局観がないように思われた。始発駅であるフアラムポーン駅を出発して間もないというのに早くも遅れ気味に到着してくる列車の行き先は、タイ文字で確認する必要があった。

ナコーンラーチャシーマーに到着すると、帰路のフライトとピマーイに向かうための移動手段を確保するために旅行代理店に入った。すると、何とナコーンラーチャシーマー空港は閉港になったというではないか。急なことで驚いたが、よく考えてみると空港は市内から遠く、一方陸路を進んでもバンコクまで3〜4時間の行程なので、チェックインなどの時間を考えるとフライトを利用することができなくても何の問題もないと思い直した。そして、ナコーンラーチャシーマー駅も市街から少し離れているようなので、帰路はバスを利用することにした。当地ではワットの見物などを行った。

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ピマーイ遺跡公園

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ピマーイ遺跡公園

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ピマーイ遺跡公園

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ピマーイ遺跡公園

■ピマーイを訪ねようと考えついたのは、実はナコーンラーチャシーマーに向かう列車を待っていた時だ。アユタヤーとスコータイに次ぐ遺跡があり、ナコーンラーチャシーマーから約60km離れているものの、訪問可能だと判断したのだ。ナコーンラーチャシーマーからの往復はバスによることも考えられたが、待ち時間などを考慮してレンタバイクを利用することにした。レンタバイク店でギア・チェインジの方法などについて簡単な説明を受けたが、海外ではもちろん日本でもモウターバイクを運転した経験がないため、頼りない運転であった。バスなどに追い越されながら何とか運転しているという状態であったが、途中からタイミングを掴むことができた。ピマーイ遺跡公園は、急ぎ足でも足を運んでみる価値のあるものであった。見物後、モウターバイクのエンジンをかけることができずに困っていると、警察官が教えてくれた。厳密に言うと無免許運転をしている最中であるため、肝を冷やした。

無事にナコーンラーチャシーマーに戻り、バンコクに向かうバスにも難なく乗ることができた。しかし、ドーン・ムアン空港で降ろすよう依頼していたにも関わらず、運転手が忘れて通り過ぎてしまった上、降車のタイミングを逸してしまい、空港まで30分程度歩いて戻ることになった。飛行機に乗ることが憚られるような有り様になっていたが、空港内の施設でシャワーを浴びることができ、同行者とも顔を合わせることのできる格好になった。

この小旅行で印象に残ったことがある。往路は急行列車の2等席に乗っていたが、朝食ボックスを受け取った。また、ナコーンラーチャシーマー駅では、乗車時にチェックしていたのか、目的地に到着したことを車掌に教えてもらった。一方、帰路のバスではソフトドリンクが3回も配られた。いずれも予想外のことであった。サーヴィスを強化することによって乗客を増やそうとしているのであれば、それまでにはなかった画期的なことだと思う。

出発

バンコク

ピマーイ
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回顧

概要

■初回のヨーロッパ旅行以来経験した空路による国境越えが101回と3桁に達した。

現地での1日平均の滞在費用は約6,900円であった。滞在費用のうち宿泊料金の最高は3泊目までの約8,900円(76USドル)で、最低は4泊目からの約4,800円(1,600バーツ)であった。宿泊先の変更は費用の節約にも役立った。

13回目の訪問であったタイで、同じ町に連泊する初めての経験であった。なお、バンコクには10回目の訪問であった。それまでは喧騒の町に長居しようという気持ちがなかなか起こらなかったためだが、時間があれば郊外を含めてゆっくりと見物することを考えてもよいのかもしれない。

ただ、交通渋滞の深刻さは相変わらずだ。道路事情が複雑であることも混雑に拍車をかけていると思う。主要道路には、Uターンすることのできる場所が少なすぎるように感じた。アユタヤー訪問後ホテルに戻る時は、ホテルのある場所をかなり通り過ぎてから高速道路を出てUターンし、またホテルのある場所をかなり通り過ぎてから主要道路を出てUターンした後、さらに一般道路を走る必要があった。渋滞の最中にこのような経験をすると、落ち着いていられなくなるものだ。当局には渋滞の緩和のために一層の努力を望みたい。

出発

バンコク

ピマーイ
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回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
8日09:25 空路 13:35 タイ バンコク
13日06:35 鉄路 10:20 ナコーンラーチャシーマー
11:50 道路 13:10 ピマーイ
14:10 道路 15:15 ナコーンラーチャシーマー
15:35 道路 18:35 バンコク
23:15 空路 14日06:55 日本 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
タイ バンコク Sofitel Central Plaza US.$ 76 3
Rama Gardens Hotel TH.B 1,600 2

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 117円 0 0 0 0 0
タイ TH.B 3.00円 190
内訳
145
内訳
1,771
内訳
0 1,450
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 569 434 5,306 0 4,344

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
235.35
内訳
0 235.35
内訳
タイ 3,520
内訳
0 7,076 48,622 6 8,104
日本 0 0 0 0 1 0
通貨計 37,967 0 48,622 7 6,946
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

出発

バンコク

ピマーイ
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回顧

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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