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スイス

出発

ジュネーヴ

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シャモニ・モンブラン

回顧

概要

写真
シャルル・ド・ゴール空港

■ジュネーヴは、周囲をフランスに囲まれたスイスの西端近くに位置するジュネーヴ州の州都だ。エール・フランスのフライトを利用していたが、トランスファーを行うパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着する前、EUに入境するための出入国カードが配られ、スイスの中でもジュネーヴに向かう乗客は出入国カードを受け取るよう指示された。訝しく思っていたが、ジュネーヴのコアントラン空港はフランス領にかかっており、パリ−ジュネーヴ間は国内線扱いとなるため、パリで一旦入国することになるようだ。

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コアントラン空港

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コルナヴァン駅

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コルナヴァン駅

コアントラン空港に到着すると、カルージュにあるホテルを目指さなければならなかった。前回のタイ渡航の際と同じくウェブサイトの仲介業者に手配を依頼したものだ。その時はジュネーヴ市内にあると思っていたが、実際には州内ではあっても隣町にあったのだ。当地に滞在している関係者は出迎えを示唆してくれていたが、申し訳ないと考え断っていた。空港とコルナヴァン駅を結んでいたバスはそのままカルージュ方面に向かうようであったため、不安を感じながらも乗り続けた。しかし、降車のタイミングを逸し、終点まで来てしまった。折り返しに際しては、ホテルの面している通りにあるバス停留所を確認しておき、無事にバスを降りることができた。停留所付近の番地はホテルの番地と大きくは違わなかったため、簡単に歩いていくことができるであろうと考えていた。辺りは暗くなりかけていた。

歩き始めてすぐに男性に声をかけられた。警察官だという。ドラッグを持ち歩く外国人がいるため、所持品を検査しているとのことであった。最初はポウチの中を見せようと考えたが、一瞥させただけでは許してくれそうになかったため、改めて身分証明証を確認することにした。すると、こちらの要求に応じて身分証明証らしきものを見せてくれたが、ゆっくりと確認することは許そうとしなかった。不審に思い、再三再四身分証明証の確認を要求すると、その度に身分証明証の提示時間が短くなっていった。明らかに怪しいと考え、「警察官」と反対の方向に踵を返すと追ってこなかった。スートゥケイスを持ち運んでいて入国直後だと窺わせる出で立ちであったため、想定外の事態に機敏に対応することができないであろうと甘く見た窃盗犯であったと思う。

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ラマダ・アンコール

男性を振り切るとホテルに向かおうとしたが、全く見当たらなかった。通行人に尋ねて正しい方向に向かっていることは分かったが、ホテルは遠かった。1時間は歩いたのではないだろうか。

翌日から3日間、コルナヴァン駅とコアントラン空港の中間付近を訪ねた。毎日駅でバスなどを乗り換えなければならないため、やはりホテルの選択は間違えたと反省した。

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WHO

国際機関が集中している当地は見所が多い。会議の合間を縫って、ILO(国際労働機関)、WHO、国際赤十字・赤新月博物館、国際連合ヨーロッパ本部(パレ・デ・ナシオン)などを見物した。現実はともかく、崇高な理念を持った多くの機関が集まっている。また、当地に滞在している関係者などとスイス料理を始めとする料理を堪能する機会もあった。まろやかなチーズ・フォンデュなどに舌鼓を打った。

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シャモニ・モンブラン

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モンブラン・デュ・タキュル

■シャモニ・モンブランは、フランス領内にあるが、ジュネーヴからの訪問が便利だ。出国日に出立までの時間を利用して訪ねた。

荷物をコルナヴァン駅のロッカーに預けると、バス・ターミナルからトゥアー・バスに乗って一路シャモニ・モンブランを目指す。途中、山々が姿を現すと気持ちが昂ってきた。

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ドーム・デュ・グーテ

シャモニ・モンブランに到着すると、早速山々を見上げた。天候が心配であったが、ドーム・デュ・グーテ(標高4,304m)がはっきりと見えた。

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エギーユ・デュ・ミディ

次いで、ケイブル・カー(日本語ではロウプウェイ)に乗ってエギーユ・デュ・ミディに向かった。残念ながらモンブランは霧の中であった。また、そのままイタリアのエルブロンネに向かうケイブル・カーもあるのだが、悪天候のため運行していなかった。

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ケイブル・カーから

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ストリート・パフォーマー

市街にも山岳博物館を始めとして見所は多い。銅像に扮したストリート・パフォーマーも見かけた。

シャルル・ド・ゴール空港では、成田空港に向かうエール・フランスの帰国便がオウヴァー・ブッキングになったようで、なかなか搭乗券を受け取ることができなかった。声を荒らげて交渉しているうちに何とか搭乗券を受け取ることができた。ただ、翌日の便への振替を了承していたとしたら高級ホテルの無料宿泊と数万円の補償を手にすることができていたようだ。2日後は祝日に当たっており日程的には問題なかったため、声を荒らげることによって早々にその権利を放棄したことは軽率であったと反省した。

帰国は翌日の宵であった。

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シャモニ・モンブラン

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■現地での1日平均の滞在費用は約14,000円であった。滞在費用のうち宿泊料金の最高は3泊目までの約15,000円(14,600円)で、最低は4泊目の約12,000円(12,200円)であった。

初回のヨーロッパ旅行の際にスイスを囲むようなルートでヨーロッパ大陸を旅行し、スイスを見逃してしまったことを残念に思っていたが、ようやく訪ねることができて喜ばしく思っている。

ジュネーヴは、レマン湖畔でくつろぎながら、政治、歴史、文化に思いを馳せることのできる町であり、機会があればゆっくりと過ごしてみたいと思う。ただ、建物に対する落書きが目立ったことは残念であった。

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ジュネーヴ

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シャモニ・モンブラン

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
12日10:25 空路 16:00 フランス パリ
17:25 空路 18:20 スイス ジュネーヴ
16日08:40 道路 09:50 フランス シャモニ・モンブラン
16:35 道路 18:10 スイス ジュネーヴ
20:20 空路 21:15 フランス パリ
23:40 空路 17日18:00 日本 東京
道路 :道路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
スイス ジュネーヴ Ramada Encore(カルージュ) JP.\ 14,600 3
JP.\ 12,200 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
スイス CH.F 101円 7
内訳
77.45
内訳
201
内訳
0 2
内訳
フランス −円 0 0 0 0 0
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 705 7,801 20,244 0 201

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
スイス 0 0 287.45
内訳
84,750 4.6 18,424
フランス 0 0 0 201 0.4 504
日本 56,000
内訳
0 56,000
内訳
0 1.0 0
通貨計 56,000 0 84,951 6.0 14,159
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

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