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フィリピンD

出発

メトロ・マニラ

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回顧

概要

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ニノイ・アキノ空港付近

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ニノイ・アキノ空港付近

■メトロ・マニラでは、入国日はニノイ・アキノ空港付近のパラニャーケにあるホテルを予約しており、2日目からケソン・シティにある英会話学校に2泊することになっていた。入国手続を終えた時には日付が変わりかけており、目的地は少し遠かったが、Googleマップ上で確認することができたので、歩いて向かうことにした。

翌日は、英会話学校に入校する夜までの時間を利用し、ジプニー、高架鉄道(LRTとMRT)、バスを駆使して、パラニャーケ、マニラ、マカティ、ケソン・シティなどを訪ねた。ジプニーやバスでは、Googleマップを見ると降車場所が一目瞭然だ。ジプニーでは、座席が運転手から遠い乗客の料金の支払いを代行してあげることもできた。

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バクララン駅付近

高架鉄道は、バクララン駅まで30年以上前に開通したのに、目と鼻の先にある空港まではなかなか延伸されない。空港を利用することの多い外国人の関心など眼中にないということであろうか。

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バクララン・マーケット

ジプニーに乗って向かったバクララン・マーケットでは多様な商品を取り扱っていたが、中にひよこを売っている店があった。飼育用だと期待したいが、食用なのであろう。

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サン・アクスティン教会

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サン・ディエゴ要塞

LRTに乗って向かったドロテオ・ホセ駅はチャイナ・タウンの一画にあると考えたが、それらしい雰囲気はなかった。一方、下町の生活環境を目にすることになった。カリエド駅まで歩き、パッシグ川を渡るとイントラムロスに差し掛かる。すると、ペディキャブの自転車漕ぎが、貸切での利用を執拗に勧誘してきた。最初は断っていたが、イントラムロスが広大であることは確かだし、勧誘に応じることにした。2時間1,000フィリピン・ペソ(1フィリピン・ペソは約2.27円)と言われたが、観光名所を絞り、1時間360フィリピン・ペソにディスカウントしてもらって出発した。そして、サンチャゴ要塞、マニラ大聖堂、サン・ディエゴ要塞などを見物した。イントラムロスでは、第二次世界大戦末期のアメリカ合衆国上陸時のマニラの戦いで米国軍の砲撃によりほとんどの建物が灰燼に帰し、現在の建物は復元されたものだそうだ。日米両軍の兵士だけでなくフィリピン人市民にも多くの犠牲者を出しており、多大な迷惑をかけたことを肝に銘じておく必要があろう。

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マビニ通り

次いで、エルミタに向かう。ジプニーに乗ってUN通りに移動すると、マビニ通りに向かい、ヒル・プヤット通りまで歩いた。21年前の初回の旅では厳重な警備に圧倒された地域だ。この旅では、昼夜の相違はあるが、市長による歓楽街の浄化作戦が功を奏したのか、危険だという印象は受けなかった。

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チノ・ローゼス通り

バスに乗って向かったチノ・ローゼス通りには、日本料理店がひしめいている。ただし、同じマカティでも、アヤラと比べると洗練されているとまで言うことはできないようだ。さらに、ジプニーに乗って向かったアヤラでMRTに乗り換え、クバオを経由してケソン・アヴェニューに向かった。

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ケソン・アヴェニュー駅付近

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英会話学校付近

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英会話学校付近

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英会話学校

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英会話学校

ケソン・アヴェニューでは、カラオケ店に立ち寄ろうかとも思ったが、歩道を塞ぐ形で延々と行われている道路工事に嫌気が差して英会話学校に向かうことにした。まだ10km程度先であったが、一本道であり、最初に呼び止めたジプニーに乗って目的地に向かった。最初は道路が渋滞していたが、ケソン・メモリアル・サークルを過ぎると快調に走り始めた。キャッシュとして保存されたGoogleマップが頼りないものであったため、目印となるショッピング・モールの名前を運転手に告げて、降り損なうことのないようにした。

英会話学校に到着し、ジプニーに乗ってきたと説明すると驚かれた。壮年の日本人男性の経営によるものであり、英語講師は語学指導法を習得しているようであった。生徒は皆、日本人であり、1か月単位で長期滞在している人や、メトロ・マニラ在住で週末入校する人が多いようであった。アメリカン・アクセントとビジネス・スキルのコースを合わせて、寝室兼用の個室で、2日間20時間という長時間にわたって個人レッスンを受けた。

フィリピンの公用語は、タガログ語と同一視することができるフィリピン語だ。したがって、フィリピン人は英語のネイティヴ・スピーカーではない。しかし、幼少時から英語を学習し、小学校で英語以外の教科を英語で教わるという環境にあり、標準的なアメリカ英語を話すフィリピン人は、語学指導能力も持ち合わせていれば、英語講師としてふさわしいのではないかと思う。

アメリカン・アクセントのレッスンでは、発音のチェックを受けた。「l」音と「r」音の混同はないと評価してもらった。ただし、「v」音は、注意しないと「b」音になってしまう。そのほか、弱い「a」音の発音に苦戦した。さらに、「international」の最初の「t」音が脱落したり、「water」の「t」音が「d」音に変化したりするということについては感覚的に理解していたが、「She told you to get it.」を「シー・トウル・ジューダ・ゲディット」と、「Give him a chance.」を「グヴマ・チャンス」と、「Betty bought a bit of better butter.」を「ベディ・バーダ・ビーダ・ベダー・バダー」と、「Put it in a bottle.」を「プディディナ・バドゥル」と発音するとなると、発想を根本から変えないと対応することはできないであろう。また、正確に発音しないとかえって意味が通じなくなってしまうように思う。ビジネス・スキルのレッスンでは、フリー・カンヴァセイションも行った。アメリカ人とのハーフで英語のネイティヴ・スピーカーだという若い女性講師が、フィリピンの政治経済の現状を憂いつつ、ミンダナオ島の反体制派から新たに大統領に就任するロドリゴ・ドゥテルテ・ダバオ市長の手腕に期待していたのが印象的であった。格差是正を望むという。こちらは、一般論として、現在の間接民主制では民意が政策決定に反映されないことが多いという問題点を指摘しておいた。

2日間のレッスンを終えると、帰国便が同じで、治安面の不安からニノイ・アキノ空港まで同行することを望んだ若い女性とともに、タクシーに乗り込んだ。途中、アヤラのグリーン・ベルトでフィリピン料理を一緒に堪能した後、空港に向かった。そして、日付が変わってから出立した。

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■現地での1日平均の旅行費用は約6,400円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は2泊目の3,000円で、最低は1泊目の約1,800円(800フィリピン・ペソ)であった。

早くから英語に接するフィリピン人が羨ましく思う。フィリピンの英会話学校に簡単に入校することはできないが、フィリピン人講師による個人レッスンを受けることができるオンライン英会話を利用することを検討している。

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メトロ・マニラ

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
23日19:50 空路 23:15 フィリピン メトロ・マニラ
27日00:35 空路 06:05 日本 東京
空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
フィリピン メトロ・マニラ Airport Travelodge PH.P 800 1
E.B. JP.\ 3,000 1
1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
フィリピン PH.P 2.27円 210
内訳
1,294
内訳
376
内訳
0 520
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 21,800
内訳
0
通貨計 JP.\ 1.00円 476 2,933 852 21,800 1,178

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
フィリピン 800
内訳
0 5,234 32,052 5 6,410
日本 3,000
内訳
0 24,800
内訳
0 0 0
通貨計 4,813 0 32,052 5 6,410
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

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春 夏 秋 冬
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