旅べえ > 第7部旅草子 >

←後 / 前→

ネパールE

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

写真
レイク・サイド

写真
マチャプチャレ朝景

写真
アンナプルナ・サウス遠景

写真
民族舞踊

■ポカラ周辺では、6泊することとなった。内訳は、トレッキング前に準備などのために2泊、トレッキングのために3泊、トレッキング後に市内見物のために1泊だ。

空港を出ると、タクシー乗車の勧誘の声がかかる。レイク・サイドまでの提示額は1,200ネパール・ルピー(1ネパール・ルピーは約1.15円)と、4年前に発行された日本語のガイドブックに掲載されている料金の4倍だ。不審に思い、ディスカウントさせようとするが、固定料金とのことであり、取り付く島がなかった。諦めて乗車すると、目的地は考えていたよりも遠かった。後で調べてみると、定期便の就航は、市街地から数キロメートルのポカラ空港から、十数キロメートルのポカラ国際空港に変更になったということが分かった。前年に開港したという。宿泊施設はガイドブックに掲載されているものから選んだが、満室のため2泊目は宿泊施設を移動せざるを得なかった。

レイク・サイドは、考えていたよりも規模が大きく、また賑わっていた。通りを歩いていると、早速旅行代理店の声がかかる。アンナプルナ保護区入域証取得代行一人3,500ネパール・ルピー、英語ガイド1日3,250ネパール・ルピー、自動車貸切(往復)7,000ルピー、食費・宿泊費自己負担という条件で手を打つことにした。ほかに、日本語ガイドにしたり、食費・宿泊費が定額となるトゥアー形式にするという選択肢もあったが、トレッキング中にできるだけ行動制約を受けないようにしたいという志向があった。また、ガイドに勧められてスティックを買った。トレッキング中のロッジは、ガイドが手配してくれた。

宿泊施設の屋上からは、マチャプチャレを始めとするアンナプルナ山系の山々を眺めることができた。トレッキングを終えて戻ってきた日は、フェワ湖にボウトを浮かべたり、ネパール料理店で民族舞踊に興じたりした。また、スティックを1セット買い戻してもらった。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

写真
ゲストハウス(ウレリ)

写真
朝景(ウレリ)

写真
ダウラギリT峰

写真
ダウラギリT峰

写真
アンナプルナ・サウス

写真
トレッカー

写真
日の出

写真
ダウラギリT峰

写真
里並み(ガンドルン)

■アンナプルナ・トレッキングの開始だ。荷物は一部宿泊施設で預かってもらった。開始地点はトレッカーによって異なる。ポカラからバスに乗って向かうことができるのはナヤプル(標高約1,100m)だが、ジープに乗ってヒレ(標高約1,500m)に向かう人も多かったようだ。自動車道自体はウレリ(標高約2,100m)まで開通しているらしいが、乾季なのに道路事情により閉鎖されているとのことであり、心許ないものなのであろう。この旅では、ナヤプルかの先にあるビレタンティからトレッキングを始めた。

しばらくは緩やかな上り坂だが、そのうちに勾配が急になってくる。ガイドは若い男性であったが、勾配が急な時は蛇行歩行を行えばよいと教えてくれるなど、色々と気を遣ってくれた。27年前は大雨の道中であったことを思い出しながら歩を進めた。昼食を取ったヒレから当日のロッジを求めるウレリまで、数百メートルの標高差を数千段の階段でカヴァーすることになっているようであり、歩き始めた頃は経験済みのルートだと楽観視していたが、次第に余裕がなくなってきた。何とか日が高いうちにウレリに辿り着くことができた。

トレッキング2日目は、窓外に広がる山並みを眺めることから始まった。ゲストハウスでは、朝日に照らされるアンナプルナ・サウスを眺めることのできる絶好の角部屋を割り当てられていた。当日の行程は、ヒレ〜ウレリ間ほどではないのかもしれないが、かなりの急坂であった。日が高いうちに当日のロッジを求めるゴレパニに到着することができた。ホテルからは、ダウラギリT峰を眺めることができた。一休みしてから夕景を眺めるためにプーンヒルに登ることにした。しかし、次第に霧が深くなってきて、雪山の眺望は絶望的になってきたため、途中で引き返すことにした。ロッジでは暖炉に火が入っており、汗を吸った下着などを乾かすことができた。

3日目は、トレッキング時間の長い1日であった。まず、再びプーンヒルに登った。日の出に間に合うように、出発は4時半としていた。頂上に到着した時には辺りは明るくなりかけていた。そして、日の出前ではあったが、ダウラギリT峰とアンナプルナT峰の標高8,000m級の山を中心に、ダウラギリU峰(標高約7,800m)、トゥクチェ・ピーク(標高約6,900m)、アンナプルナ・サウス、マチャプチャレなど山々の輪郭をはっきりと確認することができた。そのうち西側は、ダウラギリ山系からカリ・ガンダキ渓谷まで7,000mにも達するという世界最大級の標高差を目の当たりにする。山々が屹立しているという表現が適当であろうか。雨季であった初回の旅ではほかに一人のトレッカーもいなかった展望所に、100人にもなろうかというトレッカーがひしめき合っていた。そのうちに東天はどんどん明るくなっていき、日の出となる。それと前後して、ダウラギリT峰などの高峰が光彩を放ち始めた。初回の旅とはまるで異なり期待をはるかに上回る景観に、しばらく見とれていた。

ゴレパニからの下りは、上りと同じルートを辿るか、あるいはガンドルンに向かうかを、プーンヒルから戻った後に決めようと、ガイドから提案されていた。これは、プーンヒルからの下りで手こずるようなら、難関であるゴレパニ〜ガンドルン間のルートを回避したいとの意図であったと思う。そして、悪いことに、プーンヒルからゴレパニまで、問題なく下りてしまい、ガンドルンに向かうことになった。初回の旅で、「冒険と呼んでよいような区間もあった」という感想を持ったことを忘れていたのだ。事情を悪くした要因として、靴の底が擦り減りかけていたということがある。そのため、下り坂で軽く転倒するということが複数回起こった。そこで、川に向かって下る急坂など難所ではガイドが手を取ってくれたが、難を言うとやや強く下に引かれるような状態になり、それに対する反動で態勢が後ろに反ってしまうこととなった。それとともに腰痛が起こり、一時はガイドから「下山続行は不可能か。」と尋ねられるまでになった。それではいけないと思い直し、スティックを用いて態勢を立て直しながら下山を続けた。急坂の区間を中心に、ガイドにバックパックを担いでもらうことになった。当日のロッジはタダパニに確保するのが順当ではないかと思うが、ガイドは翌日カトマンドゥに向かう用があるとのことであり、ガンドルンの手前にあるバイシカルカまで足を伸ばした。そして、ようやくロッジに落ち着いた時には、薄暗くなりかけていた。多くのトレッカーが宿泊する村ではないためか、ロッジは貧相であった。

トレッキング最終日は、グルン族の伝統的な家屋が残るというガンドルンまでの短い行程をこなした。自動車道は当地にも通じている。乗合ジープが満席であり、乗客がひしめき合っているバスに乗って下山することになった。舗装されていない自動車道は凹凸があり、乗り心地は非常に悪かった。もちろん、離合にも手こずっていた。そして、当初ビレタンティから乗る予定であった自動車にバス路線まで迎えにきてもらい、乗り換えた。道路が一部損壊している箇所で、崖から転落しないよう最新の注意を払って通過しなければならないということもあった。ポカラ到着は午後早くであった。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

写真
シヴァ寺院(カトマンドゥ)

写真
商店街(カトマンドゥ)

写真
フリーク通り

写真
ダルバール広場(パタン)

写真
トウマディー広場遠景

写真
アールティー

写真
祈祷(スワヤンブナート)

写真
ストゥーパ(ボダナート)

■カトマンドゥ周辺では、ポカラから戻った後、6泊することとなった。4日目に滞在したバクタプルを除いてカトマンドゥ滞在だ。

ポカラから戻ると、タクシーに乗って、予約済みのタメルのホテルを目指した。ただし、清潔さの点で一定の水準に達していないという判断で、翌日からガイドブックから選んだ同じ通り沿いのホテルに移ることになった。また、トレッキング中に洗濯物が溜まっていたため、最初のホテルでランドリ・サーヴィスを依頼したが、シャツの紛失があった。

最初のホテルにチェックインした後、一休みしてから街路に繰り出した。自動車やモウター・バイクで溢れ、スムーズに歩くことは難しかった。前回の訪問時とは様変わりだ。喧騒から解放されるためには市内から出ていくことが必要だとの思いを抱く。ホテル周辺を30分ぐらい散策してみることにより方向感や距離感を掴むことができ、市内を問題なく歩き回ることができるようになった。また、バスやマイクロバスなどを駆使して郊外や市外の観光名所を巡った。

ダルバール広場は、カトマンドゥの中心だ。ホテルを移った後に訪ねた。旧王宮や特徴ある寺院がひしめき合い、風格がある。残念ながら一部の建物は2015年のネパール地震により倒壊してしまった。1960年代を中心にヒッピーが集まったとされ、フリーク通りとも呼ばれるジョッチェンには、タトゥー・ショップが軒を連ねている。パナジ(ゴア)と同じ状況であり、往時の名残りなのであろう。その雰囲気を現代に伝える老舗カフェにも足を運んだ。出国日にはクマリの館で再び生き神クマリを拝むことができた。

15世紀から18世記にかけてカトマンドゥと覇を競った古都のパタン(正式名称はラリトプル)とバクタプルへは、連日の訪問となった。パタン、バクタプルともダルバール広場に集まる寺院を中心に古都の雰囲気を醸し出していた。ダルバール広場以外の見所に着目して相違点を挙げると、パタンではゴウルデン・テンプルなど観光名所が点在しているのに対し、バクタプルではトウマディー広場など2つの広場に集まる寺院を含めて町全体が古都としての出自を主張しているように思われるということになろうか。なお、パタンに向かうマイクロバスの車掌は、当初、こちらの乗車を了解しなかった。旧市街を訪ねるために都合のよいルートを走るのだが、新市街は通らないためかもしれない。観光客の訪問先は旧市街だという事情を理解している運転手が乗車を促してくれた。途中、軽微ではあるが、モウター・バイクとの衝突事故が起こった。また、パタン側のバス・パークは変更になったようだ。一方、バクタプルに向かう時は、荷物を一部カトマンドゥのホテルで預かってもらった。そして、ダルバール広場から至近距離にある絶好の場所にホテルを確保することができた。

パシュパティナートへは、火葬のほか、ガイドブックの説明を甥が見つけた日没後の儀式を見たいと考え、バクタプルから戻った日の夕方に出かけた。地元の参拝者も多かった。ガイドをすることを申し出てきた二人の男性の冒頭の説明を聞いていると、共通点があった。火葬が人目に触れることを問題とせず、遺灰を川に投じるのは、輪廻転生を信じているからだという。死生観をしっかりと理解した後、それと深く関係している葬儀を見物してもらいたいということなのであろう。以前は火葬ガートに関心を持ってきたが、この旅では聖河パグマティ川周辺の広い敷地に点在している寺院にも足を運んだ。そして、いよいよアールティーと呼ばれる祈祷の儀式が始まる。パグマティ川を挟んでパシュパティナート寺院と向かい合う高台に並んだ3人の僧侶が声を掛けると参拝者が応じ、手拍子も交じる。基本的に明るい調子の儀式であった。帰路はバスを乗り過ごし、少し歩いて戻らざるを得なかった。

出国前日は、ネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートに歩いて向かった後、ネパール最大のストゥーパがあるボダナートを訪ねた。スワヤンブナートでは、複数の僧侶が熱心に祈祷を行っていた。また、ボダナートには非常に多くの参拝者が押しかけていた。仏教徒と、仏教を異教だとは考えないヒンドゥー教徒がいるのであろう。五体投地を行うティベット人も見かけたが、両膝、両肘、額の五体だけでなく、胸部、腹部、下肢をすべて地面に付ける見慣れない方式であった。ボダナートへの往路は、バスがなかなか見つからず、地元の人に尋ねても「タクシーに乗った方がよい。」などと言われる中、若い男性が親切にもバス・パークまで連れていってくれた。帰路に利用したバスは、トリブヴァン空港付近を超えて運行しそうであったため下車し、テンプーに乗り換えた。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

写真
布丁酒店成都双流広場店

写真
北京首都空港

■成都の成都天府空港へは、カトマンドゥを出立した日、日付が変わろうかという頃に到着した。北京に向かうフライトは翌日の7時に成都双流空港から出発することになっており、ホテルは成都双流空港付近に確保していた。安価な交通機関の運行は終わっており、客引きが勧誘してきたタクシーに乗って向かうことにした。ホテルのチェックインは深夜2時頃、就寝は2時半頃であった。ホテルのスタッフは英語を話すことができないだけでなく、翻訳アプリケイションの扱いにもあまり慣れていなかった。

起床は3時半、ホテルのチェックアウトは4時前としていた。これほどタイトなスケジュールであれば、成都天府空港から直接成都双流空港に向かうのが順当であり、ホテルに泊まるとしてもタクシーの手配を依頼するべきところだ。しかし、この旅の初日から2日連続でノウ・ショウとなってしまったホテルと連絡を取りたかったこと、せっかく中国に入国したのに空港で時間を費やしただけであったということにはしたくなかったこと、ホテルから成都双流空港までGoogleマップによると徒歩三十数分でスタッフによると同15分であったことから、ホテルに泊まり、空港に歩いて向かうことにしたのだ。

薄暗い街路を歩いていると不安が増幅してくる。タクシーが走ってこないか確認するが、往来はない。そのうちに目の前に広い空間が広がるようになる。空港の一角だと一見して理解するが、周辺に空港施設らしい建物は見当たらない。後で分かったことだが、Googleマップはターミナルではなく空港の敷地の一角を目的地として経路検索を行ったようだ。赤信号で停車中の自動車の運転手に尋ねると、スマートフォンに中国版のアプリケイションによる経路検索結果を表示して見せてくれたため、写真撮影をさせてもらった。現在地は空港の西側、ターミナルは空港の東側であり、その間に滑走路が横たわっていることが分かった。空港の西側にあるホテルをエアポート・ホテルとみなすべきではなかったのだ。滑走路を迂回して進まなければならず、自動車に乗って十数分を要するということなので、危機的状況にあることになる。その後は再三にわたって自動車を停車させようと試みたが、なかなか成功しなかった。そのうちに、小型三輪自動車が2台停車してくれた。夫妻だという。空港に行きたい旨を伝えると、甥ともども1台に一人ずつ乗せてくれ、タクシーを呼ぶとともに、親切にもタクシーとの待ち合わせ場所まで連れていってくれた。タクシーを呼び出すためには、連絡先から、目的の空港名とターミナル名、中国元の所有の有無に至るまで、多岐にわたる質問に答えなければならず、小型三輪自動車の夫君が翻訳アプリケイションを用いながら取り次いでくれたが、独力では非常に困難であったであろうと思われた。九死に一生を得た思いであった。この時点で5時を過ぎており、チェックイン時には5時半頃になっていたが、問題なく手続きを進めることができた。

帰国日の日本は暑かったが、翌日から寒くなった。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

写真
特別ノンヴェジ・ターリー

写真
ギャコク

写真
トゥクパ

写真
ズーズー・ダウ

■この旅の主な目的であったヒマラヤ・トレッキングは満喫することができたが、体力の衰えも大いに感じることとなった。今後は、もっと熱心に体力の増強に努めなければならないと思う。また、底の擦り減っていない靴やスティックなど装備の重要性も理解することになった。服装を体感気温の変化に柔軟に対応させることも必要であろう。

格安航空券を利用する場合、乗換時間が十分に確保されているかは慎重に検討したいと考えている。十分に起こり得る遅延が乗換失敗に直結するようでは心許ない。旅行代理店の情報を絶対視することも慎みたい。ただし、中国に関しては、翌年までの時限措置ではあるが、帰国した月の月末から短期滞在のヴィザ取得が5年振りに免除になることが分かった。望ましいことだが、それよりも新型コロナウイルス感染症の発生から5年が経ったのだと感慨深かった。また、チェックインも、十分な時間的余裕を持って行いたいと思う。eティケットを紙媒体で持っておくことの重要性についても銘記しておきたい。

食事に際しては、この旅でも繰り返しターリーやダル・バートの世話になった。肉料理のものもあるようだ。素朴な味のカジャも試した。ティベット料理もネパールに入り込んでおり、ギャコク(鍋料理)、トゥクパ(麺料理)、ティベッタン・ブレッド、モモ、ズーズー・ダウ(ヨーグルト)などに舌鼓を打った。日本料理の質の高さも相変わらずであり、カトマンドゥの御用達「おふくろの味」で天麩羅弁当を注文するなどした。

旅行中、ドナルド・トランプ元米国大統領が大統領選に勝利したことが分かった。カマラ・ハリス米国副大統領が、多様化する従来の支持層の要求に応えることができなかったためであろう。翌年からの4年間、世界各国で難しい政局運営を行うことが必要になると予感された。

現地での1日平均の旅行費用は約10,000円であり、一人当たりでは約5,200円であった。旅行費用のうち一人当たり宿泊料金の最高はバイシカルカの2食付約5,500円(4,750ネパール・ルピー)で、最低はポカラ1泊目などの約1,000円(900ネパール・ルピー)であり、一人当たりではそれぞれ約2,700円、約520円であった。宿泊料金単独では最高はウレリなどの1,000ネパール・ルピーで、最低はバイシカルカの800ネパール・ルピーであった。

旅の目的地として、そろそろ日本から遠い地域を対象にしてもよいかと考えている。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
1日06:40 鉄路 08:50 京都
13:40 鉄路 14:50 大阪
2日17:40 空路 20:15 中国 北京
3日09:30 空路 13:30 香港 香港
16:35 空路 19:45 ネパール カトマンドゥ
4日13:05 空路 14:05
17:55 空路 19:05 ポカラ
5日
6日06:55 道路 08:10 ビレタンティ
08:15 徒歩 15:10 ウレリ
7日07:45 徒歩 15:00 ゴレパニ
8日04:30 徒歩 05:45 プーンヒル
06:40 徒歩 07:25 ゴレパニ
08:40 徒歩 17:10 バイシカルカ
9日08:00 徒歩 10:10 ガンドルン
10:30 道路 13:10 ポカラ
10日14:55 空路 15:25 カトマンドゥ
11日
12日11:30 道路 12:00 パタン
17:30 道路 18:20 カトマンドゥ
13日11:05 道路 12:05 バクタプル
14日12:45 道路 13:45 カトマンドゥ
15日15:10 道路 16:00 ボダナート
17:30 道路 18:00 カトマンドゥ
16日17:55 空路 23:35 中国 成都
17日07:00 空路 09:10 北京
12:00 空路 15:30 日本 大阪
17:50 鉄路 20:20 東京
徒歩 :徒歩、 道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
日本 大阪 和楽三号館(泉佐野) JP.\ 6,443 1
ネパール カトマンドゥ Hotel Aero Link NP.R 2,500 1
ポカラ Hotel Plaza Nepal NP.R 900 1
Rustica Guest House NP.R 1,200 1
ウレリ Super View Point Guest House NP.R 4,700 1
ゴレパニ Hotel Dhaulagiri NP.R 4,520 1
バイシカルカ Hill Side Paradise NP.R 4,750 1
ポカラ Hotel Plaza Nepal NP.R 900 1
カトマンドゥ Nomad Hotel JP.\ 1,484 1
Hotel Rosemary Homes NP.R 1,950 2
バクタプル Hotel Layaku Durbar JP.\ 2,059 1
カトマンドゥ Hotel Rosemary Homes NP.R 1,950 2
中国 成都 布丁酒店成都双流広場店 JP.\ 2,500 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 121円 60
内訳
0 10
内訳
0 0
中国 CN.\ 19.1円 0 189
内訳
369
内訳
0 0
ネパール NP.R 1.15円 420
内訳
38,495
内訳
13,465
内訳
0 39,510
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 7,722 47,836 23,715 0 45,398

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
0 0 70
内訳
中国 0 0 558 9,573 2.7 3,546
ネパール 27,870
内訳
0 119,760 74,195 13.3 5,579
日本 10,842
内訳
0 10,842
内訳
0.0
通貨計 42,865 0 167,535 83,768 16.0 5,235
(注)円換算と日平均は一人当たりで、他国通貨での支払いを含む。

出発

ポカラ

アンナプルナ

抜粋
カトマンドゥ

成都

回顧

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

旅べえ > 第7部旅草子 >

←後 / 前→