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海外旅行手記

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(2021年7月23日執筆、2024年8月21日掲載)

概要
1967年3月〜1968年11月に30か国を訪問。18歳で10万円を持って横浜から香港を経由しボンベイへ涙の船出。

(当初は「無銭旅行」として掲載され、中断後、現在は作者の地元の紹介をテーマにしたウェブサイトの中に、「海外旅行手記」として再掲載されている。)

総評
1960年代の海外旅行は、一般国民にとって身近なものとなった1980年代以降とは様相を異にする。1967年は、観光目的の海外旅行が自由化されてから3年しか経っていなかった。500USドルという通貨の持出制限があり、また、持出金額に応じてパスポートに記される渡航先国数が変わるという制度があった。

作者が旅行計画を練るために参考にした日本交通公社(現JTB)の「外国旅行案内」(「世界旅行案内」と改称後廃刊)は、海外旅行ガイドブックとしてほぼ唯一の存在であったようだ。

当初のタイトルであった「無銭旅行」は、当時、バジェット旅行のことをそのように呼んだことから命名したものであろう。作者は10万円を持って出国したのだから、文字通りの「無銭」ではない。後に定着した「貧乏旅行」と同じく、正確な表現ではないが、バジェット旅行の特徴を炙り出しているということになるのであろう。それにしても、1USドル=360円の時代なので、10万円は約280USドルにしかならない。持出制限の半額程度にしかならないわけだ。それでいて、パスポートに渡航先国を追加してもらいながら、情報が不足している中で20か月をかけて30か国を訪ねるということは、至難の業であったと思われる。

旅程
インドのボンベイ(現ムンバイー)までは、寄港地で観光して夜は船で過ごすという、現在の世界周航豪華客船と同じスタイルだ。香港、フィリピン、タイ、シンガポール、セイロン(現スリランカ)に寄港するが、戦争が激化したヴェトナムへの寄港は中止になった。

下船後、ボンベイでは、カルチャー・ショックに襲われながら、同行の日本人全員が費用の節約のためにホテルではなく駅で寝ることになった。その後、列車やバスに乗ってパキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコと西アジアを西進している。ヨーロッパに入ってからはヒッチ・ハイクを交えてデンマークに向かい、出国2か月後に目的地に到着した。

コペンハーゲンのレストランで約10か月間、皿洗いをしたり、工場で働いたりして資金を蓄え、ようやくヨーロッパ各国を旅行することになった。デンマークで再入国拒否に遭った後、ハンブルクのレストランで給仕をした。

帰路は、ユーゴスラヴィアなどを経由してシリア、イラクと西アジアを東進している。往路では苦戦したインドの貧困の衝撃も克服して帰途に就いた。カルカッタ(現コルカタ)からバンコクまで初めて飛行機に乗り、資金確保のために所持品を売るが、神戸経由横浜行の船に乗って帰国した時には、自宅までの交通費にも事欠くという有り様であった。

(2015年9月24日執筆、2021年7月23日更新、2024年8月21日掲載)

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