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フランス

出発

パリ

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回顧

概要

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ホテル・マスネ

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エッフェル塔

■パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着すると、送迎車に乗ってホテルに向かった。エッフェル塔の対岸にあるシャイヨー宮近くのビジネス・クラスのホテルだ。ホテルからシャイヨー宮に向かう途中にメトロのパッシー駅があり、周辺は高級住宅街となっている。

夜になっても寝られず、昼に眠くなるという時差呆けに悩まされた。天候にあまり恵まれなかったことも影響しているかもしれないが、寒さが身に染みる。春の訪れは東京と比べて少なくとも1か月は遅いようだ。しかも、既にサマー・タイム(デイライト・セイヴィング・タイム)が適用になっているため、辺りは8時頃まで暗く、その後も時計の針と合わせて気温が上がっていかない。サマー・タイムを経験するのは初めてのことだが、冬のように寒い中で朝の日照時間を有効活用することができるかどうかは疑問で、かえって冬の陰鬱な気分を増幅しているように感じた。

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ノートルダム大聖堂

シャイヨー宮からエトワール凱旋門、コンコルド広場を経由してシテ島対岸のサン・ミシェルまで歩くことがあったが、正に、14年前、前回のヨーロッパ旅行の際に歩いたルートの逆ルートを辿ったことになる。改めて歩いてみて、中世を偲ばせる町並みがよく保存されていることに感心させられる。建物がシックなベイジュ色に統一されているのは規制によるものだそうだ。ただし、そのような規制があるのは中心部だけで、エトワール凱旋門の外側には高層ビルディングを含めてあまり特徴のない町並みが広がっていた。パリと言っても広いのだ。中心部に当たるオペラ座周辺を散策することもあった。

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ミロのアプロディーテー

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レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

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サモトラケのニケ

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ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由」

当地ではちょうど同盟罷業(ストライク)が行われており、ルーヴル美術館やオルセー美術館も閉館になっていた。ルーヴル美術館には3回足を運んで、ようやく中に入ることができた。前回のヨーロッパ旅行の際には見物する時間をほとんど取ることができなかったが、今回は「ミロのアプロディーテー」、「モナ・リザ」、「サモトラケのニケ」、ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由」などを十分に鑑賞することができた。

同盟罷業の影響はメトロにも及んだ。運行はされていたが、切符売場が閉鎖されていることがあったのだ。そこで、ほかの乗客を見習って改札口を飛び越えてプラットフォームに向かい、降車後に乗車料金を支払うというようなことも行った。また、RERに乗っている時、途中で回送列車になったことに気付かなかったためか、一時車内に閉じ込められるということが起こった。

サン・ミシェルでは、前回のヨーロッパ旅行の際に泊まったホテルに立ち寄った。14年の間にさらに年季が入っており、周辺が賑やかな中で独特の雰囲気を醸し出していた。非常に懐かしく感じた。

エッフェル塔の辺りにある日本文化センターにも足を運んだ。日本の文化を紹介することが目的のようで、図書室には日本の書籍や日本に関する書籍などが豊富に取り揃えてあった。書籍や雑貨の販売も行っていたほか、文化教室が開講されていたように思う。多くのフランス人が足を運んでいた。文化交流のために大いに貢献してもらいたいと思った。

ホテルでは窃盗に遭った。朝食のために部屋を空けた時、机の上に置いていた財布から1,000フラン(1フランは約17.6円)札と1万円札を1枚ずつ抜き取られたのだ。部屋は2階にあり高層階ではなかったこと、建て付けが悪く窓が完全に閉まらないようになっていたことから、窓から侵入されたのかもしれないが、財布の中にあったキャッシュの一部しか盗まれていないことから、窃盗に気付くのを遅らせることを狙った内部犯行の可能性が高いのではないかと思う。いずれにしても、貴重品をセイフティ・ボックスに入れずに部屋を空けたことは不注意であった。1987年に海外旅行を始めて以来、海外で遭った12回目の犯罪であったが、圧倒的に被害額の大きい犯罪であった。また、注意すれば防ぐことのできた被害という意味では十数年振りのことであり、先進国にいるという油断が招いた被害だと言ってよいであろう。

8日目の宵にシャルル・ド・ゴール空港を出立し、翌日の午後になって帰国した。成田空港からは京成電鉄のスカイライナーに乗った。成田空港との往来に追加料金を必要とする列車に乗ったのは初めてのことだ。

出発

パリ

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回顧

概要

■1つの町しか訪ねない完全な滞在型となる初めての海外渡航であった。パリは14年振りの訪問であったが、町の概観はよく覚えていた。また、ホテルは中心部の中では西端に位置していたため、行動範囲は広がったと言うことができる。

基本的に自動車に乗って移動させてもらっていたが、よく交通渋滞が起こっていた。また、専用の公共駐車場を利用する人は少なく、多くの人が有料の路上駐車場を利用するため、十分なスペイスを探すことは難しく、高度な縦列駐車の技術が要求されるようであった。

花のパリは食事にも事欠かない。当地に滞在している関係者などとともに、フランス料理のほか、イタリア料理、中国料理、日本料理、モロッコ料理のクスクスなどを堪能した。レバノン料理に挑戦することになっていた日もあったが、前日にほとんど寝ておらず、一行と離れてホテルに戻って早々に就寝したため、機会を逃してしまった。

フランスを含め大半のEU加盟国では、翌年から各国の通貨に替わってユーロの流通が始まることになっていた。そのため、ユーロの定着が円滑に進むよう、商品の価格表示はフランとユーロの併記によって行われていた。

現地での1日平均の滞在費用(土産費と窃盗による被害を除く)は約12,000円であった。滞在費用のうち宿泊料金は1日当たり約12,000円(666フラン)であった。(1日平均の滞在費用と同額なのは滞在費用の大半を占めていることと滞在日数・宿泊日数の相違による。)先進国であるだけに、これだけの費用を支払っても3つ星ホテルにしか泊まれない。コスト・パフォーマンスはあまりよくない。ただ、「ボナプティ(どうぞ召し上がれ)」という言葉で始まるクロワッサンにカフェオレ(ミルク・コーヒー)やショコラ(ココア)などの朝食は楽しみであった。また、地理的な条件のため同様に来仏する人の定宿となっているらしく、別件で渡仏していた知己と遭遇するということがあった。

以前は、ヨーロッパ旅行やアメリカ合衆国滞在の際を始めとして陸路や水路によって国境越えをすることが多かったが、今回の渡航を終えて空路による国境越えが46、陸水路による国境越えが45と、ついに空路による国境越えが陸水路による国境越えよりも多くなった。地元の生活や経済の状況を垣間見ることのできる陸路や水路による国境越えの経験は貴重だが、短期間の海外渡航が続く中では空路による国境越えが増えることもやむを得ないであろう。

出発

パリ

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回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
7日11:30 空路 17:10 フランス パリ
14日19:10 空路 15日13:10 日本 東京
空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
フランス パリ Hotel Massenet FR.F 666 7

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
フランス FR.F 17.6円 0 1,138
内訳
88
内訳
56
内訳
46
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 0 20,031 1,549 986 810

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
フランス 4,662
内訳
199 6,189 105,434 8 13,179
日本 0 0 0 0 1 0
通貨計 82,059 3,503 105,434 9 11,715
(注)円換算と日平均は土産費を除く。

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パリ

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
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