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フィリピン

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メトロ・マニラ

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回顧

概要

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ザ・パン・パシフィックから

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ザ・パン・パシフィックから

■メトロ・マニラのニノイ・アキノ空港で送迎を受け、マニラ中心部にあるザ・パン・パシフィックというホテルに向かった。出迎えてくれたのは、当地に滞在する関係者だ。

東南アジア系の人の顔立ちは千差万別であり、同じ国の人でもそうとは思われないほどかけ離れていることもあった。国情について考えてみても、新興工業国の先頭を走るシンガポールから長らく社会主義経済下にあった国まで、経済発展段階は様々であるし、宗教もイスラーム教、仏教、キリスト教など多種多様だ。そのような中で、2020年という目標年次を設定し、長期的に経済統合を進めていこうとするASEANの戦略には感服せざるを得ない。20年後に目指しているのはEUのような姿であろうか。

「9月に起こった事件の影響」という言葉を目にすることがあったが、すぐにはこの言葉の意味を理解することができなかった。前月に発生した米国同時多発テロリズムを意味しているのだが、直接的な言葉遣いを避けていることからは、この事件が地域にとって微妙な問題であり、この問題がいかに慎重に扱われているかということを伺うことができた。

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ザ・パン・パシフィックから

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市街

滞在中、ホテル周辺を散策することがあった。7年前、初回の東南アジア渡航の際に新市街のマカティからジプニーを乗り継いではるばる訪ねたマビニ通りはホテルのすぐ裏を走っている。マニラ湾に向かって歩いていると若い男性が近づいてきて、ホテルで見かけたという。バジェット旅行の最中ではなかったため危険に対する感度が低くなっていたのか、つい信用してしまい、マニラ湾などを案内してもらうことになってしまった。そして、ホテルに戻る途中で当然のごとくティップを要求された。ただし、要求に応じて渡したのは僅か20フィリピン・ペソ(1フィリピン・ペソは約2.40円)だ。この辺りでようやくバジェット旅行の感覚が戻ってきたようだ。宵にもマビニ通りに出かけた。風俗店に対する管理を強化したらしく、以前ほどの賑わいは感じられなかった。一方、マカティに出かけることもあったが、高級住宅が軒を連ねているだけの静かな町ではないということが分かった。

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バクララン・マーケット

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バクララン・マーケット

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WHO西太平洋地域事務局

出国前日は、LRTに乗ってパラニャーケに向かい、バクララン・マーケットなどを訪ねた。ジプニーと比べて割高なLRTは、運行開始して間もない頃は地元の人があまり利用していないと聞いていたが、ラッシュ・アワーでもないのに相当な混雑であった。交通渋滞に悩まされなくてよいため、地元の足として定着したようだ。バクララン駅を出ると、露天商が延々と続いている。また、早くもクリスマス・ソングが流れており、相当な活気であった。

その後、チャイナ・タウンからホテルまで、数キロメートルの道程を歩いた。途中で立ち寄ったWHO(世界保健機関)の地域事務局の前には、物乞いが集まってきていた。WHOの業務内容との関係で人道主義的な考えを持った人が出入りすることが多いと期待しているのかもしれない。よく考えると簡単な問題ではないが、崇高な理念に基づいて活動している国際機関が目の前の問題を解決することさえできないのは皮肉なことだという印象を持った。

ケソン・シティにあるフィリピン大学を訪ねる機会もあった。広大な敷地に贅沢に学舎が配されていた。その後、地元の大学院生と夕食をともにした。生活の様子などを尋ねていたが、経済問題に関するある問題提起に対して即座に「テクニカリ(技術的には)、・・・。」と制度と現実の相違を指摘しながら的を射た回答を返してきた。現実に対する認識と説明能力ともに申し分なかった。さすがに最高学府の大学院生だ。侮ることはできない。フィリピン料理は十分に堪能することができたが、バロット(アヒルが孵化する少し前の卵を茹でたもの)には苦戦した。

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メトロ・マニラ

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■米国同時多発テロリズムの影響を大きく受けた渡航であった。フィリピンには南部にアブサヤフというイスラーム過激派組織があり、アメリカ合衆国との敵対関係から、外務省の海外危険情報は最も軽微な地域でも観光旅行延期勧告(危険度2)となっていた。そのため、日本からのパッケイジ・トゥアーがほとんど中止になるなど、大きな影響が及んでいた。それに対し、地元では、観光業に従事している人が日本大使館に穏健な抗議活動を行ったり、注意喚起(危険度1)しか発出されていないインドネシアのジャカルタや海外危険情報の発出されていない合衆国と比べてメトロ・マニラが本当に危険なのかということが話題になったりしていた。本来は海外での危険は様々な情報に基づいて渡航者がそれぞれ評価するべきものであり、安全か危険かという二者択一になってしまう日本人の行動様式について考えさせられた。

現地での1日平均の滞在費用(土産費を除く)は約12,000円であった。滞在費用のうち宿泊料金は1日当たり約12,000円(5,129.68フィリピン・ペソ)であった。(1日平均の滞在費用と同額なのは滞在費用の大半を占めていることと滞在日数・宿泊日数の相違による。)費用などは現地で会議主催者からUSドルによって支払われた。

泊まったのは高級ホテルであったが、ダウンタウンに位置しているため、ホテルのすぐ横にバラックが建っていたり、ホテルを出るとすぐに客引きに声をかけられたりするなど、バジェット旅行に慣れ親しんでいなければ戸惑ってしまうような環境であった。しかし、バジェット旅行に慣れ親しんでいる者としては魅力的な環境であった。

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メトロ・マニラ

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
22日09:55 空路 13:10 フィリピン メトロ・マニラ
27日14:30 空路 19:40 日本 東京
空路 :空路)
訪問地 宿泊先 単価
フィリピン メトロ・マニラ The Pan Pacific(マニラ) PH.P 5,129.68 5

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
フィリピン PH.P 2.40円 121.50
内訳
2,335
内訳
574
内訳
25
内訳
140
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 291 5,594 1,375 60 335

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
フィリピン 26,624.90
内訳
618 30,438.40 71,437 6 11,906
通貨計 63,782 1,480 71,437 6 11,906
(注)円換算と日平均は土産費を除く。

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春 夏 秋 冬
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