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ヴェトナムC

出発

ホーチミン・シティ

抜粋
バンコク

回顧

概要

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タンソンニャット空港

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タンソンニャット空港

■ホーチミン・シティのタンソンニャット空港は、フライト・ボードさえなかった18年前とは比べるべくもなく近代的な空港に一新されていた。マスクを着用している入国審査官が多かった。豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)を警戒してのことだ。

空港の外に出てエアポート・バスの運行が終わっていることを確認すると、タクシーの運転手と料金交渉を始めた。最初はメーター料金制とするよう主張したが、受け入れられなかった。そこで、相手の提示額の5分の1程度にディスカウントしてもらって交渉を終えた。しかし、なかなか出発しようとしない。相乗りにしようとしているのだ。そして、3人連れのヨーロッパ系の若い男性を引き込むと、ようやく出発した。

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オウシャン・ホテル

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オウシャン・ホテル

目指すは安宿街としてバジェット旅行者に名を轟かせたファングーラオ通りだ。現在は並行して走るブイヴィエン通りや両通りと交差するデタム通りに機能の中心が移っているようだが、図書館で借りた古いガイドブックしか持参していなかったため、状況の変化を理解していなかった。雨足が強くなる中、当たりを付けたホテルに向かってもらおうとしたが、ともに3桁の数字であるホテル名と番地名を取り違えられ、別の場所で降ろされてしまった。ホテル名に数字が含まれる場合、番地名を表すことが通常のようであり、当たりを付けたホテルで両者が異なったのは、移転したことが理由かもしれない。ただ、そこにも安宿はあり、雨のこととてそこから移動しようという気持ちは起こらなかった。降車前に地元の人を乗せ、メーター制に移行していたから、相乗りは広く普及している方法なのであろう。

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市人民委員会

翌日は、打って変わって晴天に恵まれ、市内を歩き回った。ベンタイン市場や市人民委員会は18年前と同じ外観であったが、外壁塗装がなされたためか、洗練されているように感じられた。高層ビルディングが建つなど周囲の景観も変わってきている。サイゴン大教会の前では、家族で観光しているという壮年のマレイシア人男性に話しかけられた。5年前まで滞在していた国であり、話が弾んだ。

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市民劇場

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サイゴン大教会

ドンコイ通りは、初回の旅ではホテルを求めるなど拠点としていたが、多くのホテルはリニューアルされ、高級感を漂わせる一画になっていた。バジェット旅行者と縁が薄くなってしまったことも分かるように思う。建設中のタイムズ・スクウェアが完成するとさらに華やかさを増すことになるであろう。元々当地最大の繁華街であり、ヴェトナム戦争が終結してから当地に外国人が本格的に戻ってくるまでの少しの間だけ、バジェット旅行者にとってもホテルに手の届く地域であったという表現が適当なのかもしれない。

初回の旅で、外国人慣れしていない多くの人が集まってきて逆にこちらが見物されてしまったのが、サイゴン駅とサイゴン川対岸だ。この旅でも足を向けることにした。

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サイゴン駅

サイゴン駅へは、バスに乗って向かった。間違えて手前で降ろされて歩いたが、簡単に辿り着くことはできなかった。駅が町の中心になっていないということであろう。駅前も特に賑わっているということはなかった。駅が依然として中心部から離れた場所にあるのも、鉄道の役割が限定的にしか捉えられていないためであろう。ただ、駅舎には待ち合わせのための広いスペイスが確保され、ファストフード店が営業するなど、親しみの感じられるものになっていた。足掛け4日を要していたハノイとは約30時間で結ぶようになっており、経済発展とともにヴェトナムが果たすべき役割は高まっていくものと考えられる。

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サイゴン川対岸

前後してサイゴン川対岸を訪ねると、初回の旅の際とは様相が一変していた。そもそも、前回は渡し船に乗って渡ったが、フェリーが運行されるようになっている。船着場には夥しいモウターバイクが並んでいた。フェリーの運航頻度を考えると、かなりの数の往来だ。外国人に対する物珍しさから多くの人が集まってきた往時とは異なり、家業に勤しんだり買い物をしたりと、皆忙しく立ち回っていた。ただ、経済の発展段階としては、中心部と比べて30年程度遅れているのではないかと感じた。

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統一会堂

統一会堂は、内部が公開されていた。内閣会議室、大統領執務室、大統領応接室など、旧南ヴェトナム政府の政権中枢の様子を垣間見ることができたように思う。

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戦争証跡博物館

市博物館に立ち寄った後、戦争証跡博物館へも足を向けた。かつての戦争犯罪展示館だ。改称は、アメリカ合衆国との交流が進む中で、いつまでも過去に拘泥していることは得策ではないと考えたためであろう。ホルマリン漬けの胎児は見当たらず、代わりに生存している先天性形態異常の国民の写真が掲げられてあった。日本で大きく報道された結合双生児よりも深刻な事態が数多く存在することを知らされた。

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ビンタイ市場前

チャイナ・タウンのチョロンは、出国日を含め2回訪ねた。往路はともにバスに乗って向かったが、1回目の帰路は歩いて中心部に戻った。チョロンとは「大市場」の意で、その名の通りビンタイ市場を構成する店が軒を連ねている。空間を余す所なく利用して多くの商品が並べられている様には脱帽してしまう。チャータム教会、オンボン寺、タムソンホイクアン寺、天后宮、ギアアンホイクアン寺、チョロン・モスクなどを訪ねた。

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機内から(ホーチミン・シティ)

短い滞在を終えると、バンコクに向かうため、バスに乗ってタンソンニャット空港に戻った。

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ホーチミン・シティ

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バンコク

回顧

概要

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カオサン通り

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戦勝記念塔

■バンコクのスワンナプーム空港(新バンコク空港)は、初めての利用となる。そのため、何回も訪ねている町であるにも関わらず勝手が分からず、初めての町のように右往左往させられることになった。市内バスが出発するパブリック・トランスポーテイション・センターに向かうための方法を見つけることができず、仕方なくエアポート・バスに乗ってカオサン通りに向かうことにした。

カオサン通りの賑わいを確認すると、民主記念塔からトリムック宮殿、ワット・スラケッ、ワット・テープティダーラーム、ロマニナート公園、ヤワラー通り、ワット・トライミット、牌楼(中華門)などを巡りながらフアラムポーン駅まで歩いた。この時点で既に暗くなっており、雨が降ってきたこともあって、市内バスに乗って戦勝記念塔(アヌサ−ワリー、ヴィクトリ・モニュメント)に向かい、スワンナプーム空港のパブリック・トランスポーテイション・センターに戻る市内バスを待った。ほかのバスと乗車場所が異なることにしばらく気付かず、乗り換えのためにかなりの時間を要した。

出発

ホーチミン・シティ

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バンコク

回顧

概要

■初回の旅で数日間をかけて見物した町を1日半で見物したということになる。慌ただしい旅ではあったが、十分に堪能することができた。

ヴェトナムは、予想通り経済発展が進んでいた。市内交通としてシクロは少数派になり、専らバイク・タクシーの乗車を勧誘された。開放政策の下で、さらなる経済発展が見込まれよう。

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フォー

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ゴイクォン/野菜サラダ

ヴェトナム料理の魅力は相変わらずだ。フォー(米粉麺)、チャーゾー(揚春巻)、ゴイクォンなどに舌鼓を打った。

現地での1日平均の旅行費用は約11,000円であった。ただし、費用の約9割は帰国便の航空料金だ。旅行費用のうち宿泊料金は1日当たり約980円(175,000ドン、正規には10USドル)であった。

この旅で問題になったのは、ヴェトナム航空の航空券の帰路放棄だ。この航空券が安く売られていたのは、競争の激しいバンコクまでの航空券だからだ。航空会社としては、この航空券をヴェトナム旅行のために利用されることは本意ではない。そこで、ホーチミン・シティでの滞在日数が制限されていたほか、旅行代理店からは航空券の帰路放棄をしてはいけない旨を伝えられていた。実際には、帰路放棄どころか、往路のホーチミン・シティからバンコクまでのフライトも放棄したいと考える旅行者さえいるであろう。そして、そのような時に限って帰路放棄の必要性が生じたのは皮肉であった。帰国後、念のため帰路放棄したことを旅行代理店に連絡すると、航空会社にも連絡するようにとのことであった。対応はあまりよくなかった。一方、航空会社の対応は悪くなかった。帰路放棄があると旅行代理店は航空会社にペナルティを課されることがあるようだが、それは商取引の問題であり、そのために旅行者に違約金を課すなどということは、消費者保護の観点から問題があると考える。腑に落ちなかったため、地域の消費生活センターに相談してみた。すると、帰路放棄を禁止することは適当ではないという判断のようであったが、今回は実害が発生しておらず、またそのような事例が集まっていないため、直ちに旅行代理店に連絡することはできないとの返答であった。帰路放棄を禁止している事例はインターネット上にいくらでもあるのに、実行力のない団体だと呆れた。

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ホーチミン・シティ

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バンコク

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
15日18:25 空路 22:05 ヴェトナム ホーチミン・シティ
17日12:40 空路 14:45 タイ バンコク
18日01:55 空路 07:00 中国 上海
09:10 空路 12:50 日本 東京
空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
ヴェトナム ホーチミン・シティ Ocean Hotel VN.D 175K 2

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 99.6円 0 0 6.50
内訳
0 0
ヴェトナム VN.D 5.59 4K
内訳
308K
内訳
18K
内訳
0 45K
内訳
タイ TH.B 2.98円 22
内訳
73
内訳
13,381
内訳
0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 88 1,938 40,559 0 251

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
0 0 6.50
内訳
ヴェトナム 350K
内訳
0 725K 4,699 2.5 1,880
タイ 0 0 13,476 40,093 1.5 26,729
通貨計 1,956 0 44,792 4.0 11,198
(注) 円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。
VN.Dの為替(赤字)は1,000通貨当たりで、費用のKは1,000倍の意。

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ホーチミン・シティ

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バンコク

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
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