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中国E

出発

北京

抜粋

天津
北京2

回顧

概要

写真
北京首都空港

■北京首都空港に到着すると、機場巴士に乗って北京站に向かった。入国日と出国前日の宿泊先として、北京站前にある青年旅舎の個室のオンライン予約を行ってあった。途中、交通渋滞に巻き込まれ、到着までに2時間を要した。

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北京站

機場巴士は北京站からやや離れた場所に停車した。青年旅舎の場所が分からず、寒さに震えながら北京站街を行ったり来たりしたが、何と站前の一等地にあることが分かった。なお、筆談によって道を尋ねる場合は、英語ではなく中国語で書いた方がよいようだ。

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煎餅

翌日は、半日を天津観光に充てることとし、その前に八達嶺長城を再訪しようと考えた。そして、徳勝門汽車站に急いだ。八達嶺に向かう汽車が最寄りの積水潭站から最も遠い徳勝門前から出発することを知らなかったため、なかなか見つからなかった。また、路線番号と始発時刻がガイドブックの記述と異なっていた。汽車を待っている間、朝食のために露店で買った煎餅は体を温めてくれた。しかし、出発時刻になっても汽車は出発しない。出発しないのかと尋ねると、積もっていた雪を手に取って示してくれた。雪のため運休になったのだ。小雪がちらついているだけであったが、道中は大雪になっていたのかもしれない。

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蘇州街

そこで、先に頤和園(イホユエン)と円明園(ユエンミンユエン)を訪ねることにした。18世紀、頤和園は清の乾隆帝が庭園として造営し、円明園は同じく康熙帝が離宮として造営したものだ。とても広大なもので、園内を移動するために1km先という案内が掲げられていることもある。頤和園は、全体の4分の3を占める昆明湖と万寿山にある仏香閣が主な見所ということになるのであろう。蘇州街も趣が感じられた。ただ、案内が不十分であり、予め別料金を支払っておいた建物には辿り着かなかった。

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西洋楼遺址区

円明園は、綺春園(万春園)、長春園、狭義の円明園から成っている。園内に多数存在する池には氷が張っていて、立入禁止とされていたが、氷上を歩いている人もいた。避暑地なのだから、本来は冬に訪ねるべきではないのであろう。最大の見所は西洋楼遺址区だ。19世紀のアロー号戦争に際して英仏連合軍から徹底的な破壊と略奪を受け、廃墟となっているのだが、往時を偲ばせるものがある。ぜひ再建してほしいと感じた。再建費用は英仏両国が負担してもよいのではないだろうか。
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円明園

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前英子胡同

この間、天津行CRHが出発する北京南(ベイジンナン)站に向けて地鉄4号線を南下していたが、霊境胡同(リンジン・フートン)に立ち寄ってみることにした。仕切りのない共同トイレットや台所を代替する小吃(シャオチー)などを利用する昔ながらの一般国民の生活を垣間見ることができるというが、一見しただけでは、小路にやや年季の入った家屋が建っていたり、一帯に電動三輪車(三輪タクシー)が走っていたりすることを除き、目立った特徴を見出すことはできなかった。

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北京

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天津
北京2

回顧

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写真
錦江之星旅館天津火車站店

■天津(ティエンジン)は、人口1,000万人を擁する特別市であり、北京の海の玄関口と言ってよいであろう。近代的な北京南站からCRHの2等座に乗ったが、30分で到着してしまった。CRHの中でも高速動車組に次いで高速の城際動車組という種類になるらしい。站前で宿泊先を探したが、当地でも外国人を受け入れるホテルは限られているようで、宿泊を断られたホテルで外国人を受け入れているホテルを紹介してもらった。

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海河

身軽になって市内見物に繰り出した。地鉄路線網の整備が急速に進んでおり、天津站にも3路線が乗り入れるようになる予定のようだが、現在は天津站を通らない路線が1路線あるだけであり、移動には苦労する。海河では氷上釣りをしている人を見かけた。

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東門内大街

最初に訪ねたのは、旧租界の解放北路だ。歴史を感じさせる建物が目白押しであった。次いで、和平路や浜江道などの繁華街を歩き、地鉄站に向かった。浜江道は多くの人で賑わっていた。最後に、地鉄に乗って天津旧城に向かった。鼓楼を目指したが、到着した時には薄暗くなっており、鼓楼商業街も閉店していた。それでも、歴史のある町並みを目にすることができて満足であった。寒さが厳しくなっていたが、焼き芋を買って体を温めた。帰路は、地鉄、バッテリ・カー(乗合電気自動車)、公共汽車を乗り継いでホテルに戻った。

出発

北京

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天津
北京2

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概要

写真
天津站前

■北京に戻るために、翌朝、天津站に向かったが、大規模な站の構造を理解することは難しく、地下の汽車停留所に迷い込んでしまうなどした後、ようやく建物の奥に售票処を見つけることができた。

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北線

CRHの2等座に乗って北京に到着すると、八達嶺長城に直行した。前回と同じ北線(男坂)を登った。寒さが身に染みる中であるにも関わらず、急坂を登る観光客は決して少なくなかった。延々と続く長城を見ていると、中国の地理的な大きさ、歴代王朝の動員力、そして異民族攻防のダイナミズムを感じずにはいられなかった。

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関城付近

帰路は索道(ケイブル・カー、日本語ではロウプウェイ)を利用したが、自動的に八達嶺長城を出ることになってしまった。南線(女坂)も目にしておきたいと考え、スタッフに依頼して再入場させてもらった。
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南線

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長廊

市内に戻ると、天壇、故宮の順に見物することにした。天壇は、明や清の皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った場所だ。広大な敷地に祈年殿、皇穹宇、圜丘が整然と配列されている様が印象的であった。

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王府井大街

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王府井小吃街

その後、故宮に向かおうとしたが、天安門から出てくる人ばかりであった。入館終了時刻を1時間間違えていたのだ。仕方なく、中山公園に立ち寄った後、王府井(ワンフーチン)に向かった。王府井は当地最大の繁華街で、近代的な大型店が立ち並び、それなりに賑わっていた。しかし、迫力は感じない。これは、王府井大街(歩行街、歩行者空間、歩行者天国)が広すぎて、熱気が分散してしまうためであろうか。一方、王府井小吃街は、狭い路地に多くの屋台など目白押しであった。そして、串焼きなど様々な一口料理で競っており、活気があった。ただし、サンドウィッチを注文したドネル・ケバブ店では、釣銭を返してこなかった。抗議しても一部しか返そうとしない。そのため、渡した紙幣を一旦取り返して執拗に抗議を続けた。そして、何とか釣銭をすべて取り返した後、相手の胸を軽く叩くと、肉を削ぎ落とすためのナイフを持ち出して睨み返してくるということがあった。危害を加えるつもりはなさそうであったが、自分の行為に対する反省の念はないのか、日本人に対する敵意が表れたものなのであろうかと気にかかった。

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前門大街

青年旅舎にチェックインした後、前門にも出かけた。イルミネイションで飾られた前門大街(歩行街)が幻想的であった。

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天津
北京2

回顧

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■現地での1日平均の旅行費用(土産費を除く)は約3,900円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は天津の約2,600円(189元)で、最低は北京の約2,000円(146元)であった。

中国の訪問は6回目で、北京に限っても3回目だというのに、未だに故宮を訪ねることができないでいる。次の機会にはぜひ訪ねたい。

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北京

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天津
北京2

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
6日14:00 空路 17:05 中国 北京
7日13:30 鉄路 14:00 天津
8日06:40 鉄路 07:20 北京
9日08:35 空路 12:50 日本 東京
鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 北京 城市青年酒店 CN.\ 145.50 1
天津 錦江之星旅館天津火車站店 CN.\ 189.00 1
北京 城市青年酒店 CN.\ 145.50 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
中国 CN.\ 13.9円 0 214
内訳
262.50
内訳
0 153
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 0 2,975 3,649 0 2,127

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
中国 480
内訳
75 1184.50 15,424 4 3,856
通貨計 6,673 1,043 15,424 4 3,856
(注)円換算と日平均は土産費を除く。

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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