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中国F

出発

北京

洛陽
抜粋

回顧

概要

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北京站

■北京首都空港に到着したのは23時頃であったが、前回の旅で経験しているため、難なく機場巴士に乗って北京站に向かうことができた。入国日と出国前日の宿泊先として、北京站前にある青年旅舎の個室をオンライン予約によって確保しておいたのも前回の旅と同様だ。チェックイン時は日付が変わっていたが、予定通りであり、むしろ前回の旅よりも順調に旅を始めることができたと言うことができるであろう。

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北京西站

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北京西站前

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售票大庁

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北京西站付近

翌日は、洛陽を訪ねることができるかどうか北京西(ベイジンシー)站で確かめることから始めた。北京西站に乗り入れている地鉄路線は、まだほかの地鉄路線網と繋がっていないため不便だ。軍事博物館站で公共汽車に乗り換えることになっている。到着すると、ロウカル線用の小さな站舎があるだけではないかという予想は全く外れていることが分かった。北京站よりも荘厳な站舎が目の前に聳えていた。城門を模したものと思われる。ただ、黄砂の影響なのか、街全体が霞んでいた。構内では、售票大庁が大勢の人で溢れていることが分かると、洛陽を訪ねることは諦めようという気持ちが強くなった。根気よく並び続ければ火車の切符を買うことができるかもしれないが、それほど苦労するのであれば、帰路の切符を買うためにも苦労する可能性が高く、運が悪ければ帰国便に間に合うように北京に戻ってくることができないという事態になる。そのような無理はするべきではないというのが方針であった。そして、中心部に戻ろうと車寄せの辺りを歩いていると、簡素な售票処があった。並んでいる人はそれほど多くない。試みに並んでいると隣の窓口も開き、そのうちに洛陽に向かう当夜の特快・硬臥の切符を手にすることができた。ついに念願の洛陽訪問が叶うのだと小躍りした。

列に並んでいる時、壮年の男性が割り込もうとしてきた。そして、先に並ばせてくれるよう前の人に懇願していたが、受け入れられないことが分かると、站員に事情を説明し始めた。おそらくよほどの緊急事態なのであろう。站員は優先受付を認めない方針らしく、最初は冷静に対応していたが、最後は激しい口論になった。一方、地鉄北京站の售票処では、列に並んでいる人は一人ぐらいしかいなかったが、それでも割り込みをしようとして正規の列以外の場所に立つ人がいた。不思議に思ったのは、站員がその人にも切符を売ったことだ。それによって列に並んでいる人の待ち時間が大きく変わるわけではなかったが、どうしてそのような行為が許されるのか、全く腑に落ちなかった。両站で站員の対応は異なるものであったが、顧客重視の対応をしていないという点では共通するように感じた。

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王府井小吃街

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王府井小吃街

青年旅舎に戻ってチェックアウトした後、まず、昼食を取るために王府井小吃街に向かった。そして、焼鳥の次に包子(パオズ)を注文した。料金は、「ワン・ファイヴ」と言われたように理解した。15元(1元は約14.8円)だ。ところが、料金を支払おうとすると、90元だと言ってくる。「ワン・ワン・ファイヴ」と言ったのであり、1個15元という意味であったという。そして、1皿に6個盛られているため、90元だというのだ。また、たれをかけてしまったため返品は認められないという。「ワン・ワン・ファイヴ」が1個15元の意味だというのは無理があるし、仮にその点は措くとしても、1個当たりの単価を伝えたのであれば何の断りもなく皿に包子を6個も盛ることは不適当だ。また、相場は1皿10元ぐらいであろう。しばらく言い争いをしているうちに、地元の人二人が包子を注文し、それぞれ90元を支払っていた。偽客(さくら)であろう。納得はしなかったが、埒が明かないため、最後は根負けして言い値を支払うことにした。

前回の旅に続いて2回連続で感情を害されたことになる。極論すると、王府井小吃街は、1串2元の焼鳥などを売る客寄せのための屋台と、料金が不明確で相場よりもかなり高い小吃を売る詐欺紛いの屋台から成っており、全体として利益が上がる仕組みになっているのではないかと疑われる。注意喚起が必要であろう。また、失敗は教訓としたい。

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太和殿

次いで、故宮に向かった。24年来の希望が叶い、3回目の正直で中に入ることができた。15世紀の明の永楽帝から20世紀の清の宣統帝(愛新覚羅溥儀)まで500年にわたる宮殿だ。皇帝の生活の場でもあるのだが、建造物が左右対称に配置されるなど非常に人工的で、遊び心が排されている。息が詰まらないかとも思う。広大な敷地を延々と歩いても、長期間にわたって権力の中心であったということを実感することは難しく、映画「ラストエンペラー」を見直してみたくなった。全体像を把握するためには、景山公園から見下ろすのがよいようだ。

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ジャイアント・パンダ

北京動物園では、洛陽に向かう火車の出発時刻が迫っていたため、見物対象をジャイアント・パンダ、ホワイト・タイガー、ライオンに絞ることにした。ジャイアント・パンダは数多く見ることができるかと期待していたが、残念ながら2頭しか見当たらなかった。1頭は食事中であり、1頭は丸太のジャングル・ジムの上で横になっていた。ホワイト・タイガーはベンガル・トラの一種で、ジャイアント・パンダとともに絶滅危惧種に指定されているらしい。ライオンはつがいでじゃれ合っていた。

出発

北京

洛陽
抜粋

回顧

概要

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洛陽站

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車站賓館

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洛陽站前

■洛陽(ルオヤン)到着は、深夜2時頃であった。本来であればホテル探しのために四苦八苦するところだが、洛陽站の改札口を出るとすぐに站員のような制服を着た壮年の女性に付き添われて隣にあるホテルに向かうことになり、簡単にチェックインすることができた。翌日確認すると、站舎と同じ建物内にあった。2泊目は、道路の向かい側にある割安なホテルに移動した。

当地で最初に行わなければならないのは、北京に戻るための火車を確保することだ。售票庁が混雑していないと考えられる朝一番に向かうことにした。その結果、10分程度並んだだけで、翌日の快速の硬臥を予約することができた。本当は当夜の火車を確保したかったのだが、満席であった。

■洛陽は、洛河(旧洛水)の北側に位置することから名付けられた。「陽」の字が用いられるのは、川が流域を削るため南に傾斜する北側が日照に優れていることに由来する。同様の命名例としてソウルの旧称の漢陽(漢江の北側に位置することに由来)などがあるが、何とも壮大な話だ。東周、後漢、三国時代の魏、晋(西晋)など歴代9の王朝が建都した古都であり、西安と並び称される。牡丹の名所としても有名らしく、市街で「千年帝都 牡丹花城歓迎爾」などの宣伝文を目にした。文学作品では、杜子春が夕日に照らされながら城門に身を任せ、繁栄した町並みをぼんやりと眺めていた唐代の国際都市として登場している(芥川竜之介著「杜子春」)。現在は、河南省を代表する大都市だ。洛陽站前では、「洛陽」という文字が、中国で通常用いられる簡体字ではなく、繁体字で記されている看板を複数見かけた。歴史に対する愛着の表れであろう。

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古陽洞

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蓮花洞

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万仏洞

旅程を確定させると、待望の竜門石窟(ロンメン・シークー)見物となった。敦煌の莫高窟(モーガオクー)、大同(ダートン)の雲崗石窟(ユンガン・シークー)と並ぶ中国三大石窟だ。5世紀の北魏で開削が始まり、7世紀の唐で最盛期を迎え、10世紀の宋まで500年にわたって造営されたもので、数千の洞があるという。

石窟へは、公共汽車に乗って向かう。ほかの乗客も多くが観光客らしく、終点に到着してもそのことを理解した人は少なかった。汽車停留所から石窟の入口までは商業街歩行街が伸びているが、かなり距離がある。

伊河に架かる竜門橋付近から西山石窟が始まる。竜門で初めて開削され竜門第一窟とも呼ばれる古陽洞など初期の仏像は、素朴なものが多い。蓮花洞は天井にある大きな蓮の花のレリーフが特徴的だ。万仏洞は残念ながら修復中であり、全体を眺めることができなかった。最盛期に造営されたのが竜門最大の奉先寺であり、端正な盧遮那仏の左右に菩薩などが配置されて壮麗な佇まいだ。伊河対岸の東山石窟からの眺めも素晴らしい。漫水橋を渡ると東山石窟になる。7世紀以降に開削されたものだという。

竜門の岩盤は比較的堅固なものだという。開削には並々ならぬ苦労があったことであろう。北魏は遊牧騎馬民族の鮮卑が建てた王朝であり、漢人との融合の一環として石窟寺院の建立に熱心であったということであろうか。
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奉先寺

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白池

帰路は、山寺に立ち寄り、その後、白居易の墓のある白園を訪ねた。

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斉雲塔院

中心部に戻ると、公共汽車に乗って白馬寺(バイマースー)に出かけた。仏教が中国に伝来して早々の後漢代の1世紀に建立されたというすごい歴史を持つ。広大な敷地に多くの建造物が建てられていた。

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周公(旦)像

翌日、出立までの時間を利用して、繁華街にある王城広場に出かけた。竜門石窟に向かう公共汽車の車中から繁華街の位置を確認していたため、問題なく公共汽車に乗って向かうことができた。東周の車馬坑が発掘されたそうだ。

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城市青年酒店

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城市青年酒店

北京西站に到着した時には夜遅くなっていた。地鉄に乗り換えるために軍事博物館站に向かわなければならないが、汽車停留所の場所は確認していなかった。站前ではタクシーの乗車を勧誘されたが、料金が折り合わなかったため、2日前の帰路と同様に歩いて向かうことにした。運転手が強い態度で料金交渉に臨んでいたことを考えると、公共汽車の運行終了後であったと思われる。青年旅舎の最寄站である北京站に戻るためには地鉄1号線から2号線に乗り換えなければならないが、乗客がまばらであることから終発時刻が近づいているように感じられた。そこで、通常であれば復興門站で乗り換えるべきところだが、建国門站まで乗っておくことにした。北京站よりも先にあるが、隣站だ。そして、建国門站で地鉄を乗り換えようとすると、案の定、站員に運行終了の合図を送られた。そこで、北京站まで歩いて向かおうかと考えたが、站前に三輪車が待っていたため、利用することにした。

出国日は、出立が早かったため、タクシーに乗って北京首都空港に向かった。成田空港到着は、予定より1時間も早かった。

出発

北京

洛陽
抜粋

回顧

概要

■現地での1日平均の旅行費用は約4,900円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は洛陽1泊目の約2,500円(168元)で、最低は同2泊目の約740円(50元)であった。

北京の故宮と洛陽を訪ねるという念願を達成することができて大満足であった。竜門石窟を目にすると、その前に造営された雲崗石窟に関心が持たれるようになった。また、CRH網の整備が進むと、開封(カイフォン)や西安などの訪問もさらに容易になるであろう。

出発

北京

洛陽
抜粋

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
16日19:50 空路 23:10 中国 北京
17日17:00 鉄路 18日02:10 洛陽
19日12:30 鉄路 22:35 北京
20日06:50 空路 10:40 日本 東京
鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 北京 城市青年酒店 CN.\ 145.40 1
洛陽 車站賓館 CN.\ 168.00 1
好来賓館 CN.\ 50.00 1
北京 城市青年酒店 CN.\ 145.40 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
中国 CN.\ 14.8円 0 379.50
内訳
525
内訳
0 227
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 0 5,622 7,778 0 3,363

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
中国 508.80
内訳
0 1,640.30 24,301 5 4,860
通貨計 7,538 0 24,301 5 4,860

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北京

洛陽
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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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