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中国J

出発

桂林

陽朔
回顧

抜粋

概要

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花満楼国際青年旅舎付近

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花満楼国際青年旅舎

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花満楼国際青年旅舎

■桂林(グイリン)両江空港到着は、23時頃であった。機場巴士に乗って市内に入ると、予想通り大都市が待ち構えていた。電動三輪車に乗り換え、個室を予約してあった青年旅舎に向かおうとしたが、運転手が場所を理解していない。そこで、Wi-Fiの整備されたホテルに入り、スマートフォンに予約確認のEメイルを表示させて見せ、電話をかけてもらった。しかし、要領を得ない。その挙句、ホテルに泊まった方がよいと言い出す始末であった。外国人にとってホテルの宿泊料金は割高なものとなっていることを知らないのであろうか。結局、タクシーに乗って連れていってもらうことにした。宿泊予約サイトの地図上では上海路の南側の中山南路沿いに印されていた青年旅舎は、実際には上海路の北側にあり、中山南路から路地を入っていかなければならなかった。宿泊客が迷わないようにしようとすることに考えが及ばないのかと思ってしまう。

一夜明けて、大変なことに気付いた。何気なく国内線の予約確認書を見ると、桂林から上海への帰路の日付が1月4日となっている。これでは上海から佐賀までの元旦の帰国便に乗ることはできない。帰国便のフライトを元旦にするか、1月5日にするか、最後まで迷っていたことが影響したようだ。幸いWi-Fiが整備されていたため、急いで春秋航空のウェブサイトにスマートフォンでアクセスし、12月31日のフライトを確保した。なお、元のフライトは格安であったため、キャンセルはできないのではないかと考えていたが、後に上海浦東空港で一部払い戻しの手続きをしてもらうことができた。燃油サーチャージと空港使用料が払い戻しになったようだ。そのため、追加出費は3,000円程度に収まった。

青年旅舎のスタッフには、桂林や陽朔の見所を日本語で教えてもらうことができ、翌日の漓江(リージャン)下りのトゥアーを申し込んだ。

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陽橋付近から

桂林站近くの青年旅舎から、両江四湖と呼ばれる市内の観光名所は比較的近い。帰路は一部公共汽車に乗ったが、往路はそぞろ歩きしながら漓江、桃花江、4つの湖を巡った。大都市であるにも関わらず、市街のあちらこちらで奇峰を見ることができるのは興味深い。

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蘆笛岩

漓江下りから戻った後は、青年旅舎のスタッフに勧められた蘆笛岩に向かった。かなりの規模のようで、多くの鍾乳石、石筍、石柱がライトアップされていた。原色のライトアップにより幻想的な雰囲気を醸し出そうとしているのであろうが、人工物のような印象を受けてしまい、馴染むことはできなかった。また、さらに懐中電灯で照らす人がいることも邪魔であった。

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桂林

陽朔
回顧

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漓江下り

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漓江下り

■陽朔(ヤンシュオ、行政上は桂林の一部)に向けて、漓江下りのトゥアーに出発する。最初はミニ・バスに乗り、北へ南へと行きつ戻りつしながらほかのグループと合流した後、大型バスに乗り換えた。乾季なので一部の行程は陸路を進まなければならないとのことで、モウターボウトに乗ったのは楊堤からであった。船頭を除き4人乗りであった。

出発地点から既に奇峰の連続だ。これらの奇峰は、石灰岩を含んだ物質が体積した海底が隆起して陸地になり、二酸化炭素を含んだ雨水によって侵食されて形作られたものだそうだ。その間、数億年という歳月が流れている。途中、9頭の馬の壁画のように見えるという九馬画山などのスポットを通るとのことであったが、英語を話すガイドが別のモウターボウトに乗ったため、説明を受けることはできなかった。ただ、映像や画像でしか目にしたことのない景観が次から次へと現れることに圧倒され、それぞれの景観がどのように語り継がれてきたかという知識は必要ないように感じた。

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黄布倒影

ボウト・トゥアーの終点は、興坪であった。水量の関係によるものかもしれない。川底の透けて見える石が黄色の布を川に晒しているようだとされ、20元札にも描かれている黄布倒影を眺めた後、バッテリ・カーに乗って旧市街に向かった。歴史を感じさせる町並みを堪能することができた。トゥーリストの中には、当地でトゥアーを離脱することができないかと相談しているヨーロピアンもいた。

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竹林飯店新店

興坪から陽朔へは、バスに乗って向かった。トゥアーの旅程としては桂林に戻ることになっていたが、当地で1泊する予定なので、トゥアーを離脱することになる。ほかにもトゥアーを離脱するトゥーリストは少なくなかった。メイン・ストリートである西街(歩行街)の奥付近にある予約済みのホテルは、ほかに2店の系列店があり、中国語名、英語名とも酷似していたことや、宿泊予約サイトの地図が不正確であったことから、探し当てるために手間取った。

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遇竜河下り

休む間もなく、トゥアーからの離脱時に主催者から勧誘された白沙にある遇竜河下りのトゥアーに参加した。トゥアーからの離脱者のほとんどが参加していた。陽朔郊外でバスを降り、飾らない伝統家屋を見物しながら進んでいくと、遇竜河が待ち構えている。今度は、乗船客二人までの筏に乗ることになった。段差のある場所で水しぶきが上がるようにするなど、遊び心も取り入れられている。辺りがたそがれて行く中で、夕日を背に受けてシルエットのようになりつつある奇峰を眺めながら、ゆったりとした時の流れに身を任せていた。
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遇竜橋から

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西街から眺めた夜景

西街の賑やかさは際立っていた。ヨーロピアンが開発した街だからであろうか。特に、夜の活気は格別であった。高級そうなレストランが多いため、どうしようかと思案していたが、路地に入ると地元の人の行き付けの拉麺店が見つかった。

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遇竜河周辺サイクリング

翌日は、午前中、自転車を借りて郊外を巡ることにした。レンタサイクル店でモデル・コースを尋ねて向かったが、途中で小道を曲がるのが早すぎたためか、道に迷ってしまった。しかし、奇峰が間近に迫る間道を走ることになり、非常に清々しいサイクリングとなった。前日と同じく、遇竜河付近を訪ねることになったようだ。
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遇竜河付近から

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遇竜河付近から

■西街付近からミニバスに乗って陽朔汽車站に向かうと桂林行汽車が出発間際であったため、飛び乗った。

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桂林

陽朔
回顧

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概要

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上海浦東空港

■年が改まって元旦の深夜1時半頃に到着した上海浦東空港のロビーで夜を明かした。朝食を取ったレストランでは、食事中に料金を徴収するという機動力を見せておきながら、釣銭は督促しているにも関わらず支払いまでに15分も待たされた。釣銭放棄を狙ったものではないかと思われる。また、自動販売機は10元札を取り込んだまま動かなくなってしまった。

滞在中、桂林にある店から宣伝のEメイルがあった。桂林に滞在しているという情報がどこから漏洩したかはほぼ明らかであり、情報漏洩に対して無頓着な社会だということを再認識した。

現地での1日平均の旅行費用は約4,800円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は陽朔の約1,500円(80元)で、最低は桂林の約1,100円(60元)であった。

この旅では、中国一の景勝地と評されることもある桂林・陽朔の奇峰を様々な方法によって眺めることができ、大満足だ。中国人の中には、厚意を受けた時、謝意を表すことのできる人がちらほら見られるようになってきたように思う。一方、自分が犯した間違いを謝罪することのできる人はまだ少ないかもしれない。今後の改善を期待したい。

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桂林

陽朔
回顧

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概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 福岡
28日09:30 道路 11:05 佐賀
13:05 空路 14:00 中国 上海
20:10 空路 22:55 桂林
30日08:30 水路 13:15 陽朔
31日12:50 道路 14:25 桂林
23:45 空路 1日01:25 上海
08:35 空路 11:10 日本 佐賀
12:20 道路 13:50 福岡
道路 :道路、 水路 :水路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 桂林 花満楼国際青年旅舎 CN.\ 60 2
陽朔 竹林飯店新店(Bamboo House Hotel、桂林) CN.\ 80 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
中国 CN.\ 19.0円 0 231
内訳
114
内訳
0 400
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 0 5,920
内訳
0 0
通貨計 7,596 3,798 0 23,866 5 4,773

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
中国 200
内訳
0 945 23,866 5 4,773
日本 0 0 5,920
内訳
0 0 0
通貨計 3,798 0 23,866 5 4,773
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

出発

桂林

陽朔
回顧

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概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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