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ミャンマー

出発

上海

メーサーイ

チェンセーン

タチレイ

抜粋
チェンラーイ

チェンマイ

バンコク

上海2

回顧

概要

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機内から(名古屋)

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機内から(京都)

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上海浦東空港

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雲亭假日酒店

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雲亭假日酒店

■上海浦東空港到着は、1時間10分遅れであった。成田空港出発は20分遅れであったが、遅れが拡大し、当初の乗換時間2時間が50分に縮小することになった。到着前、フライト・アテンダントに相談したが、到着後グラウンド・スタッフが支援するとのみ伝えられた。次いで、ほかの乗客よりも先に降機することができるかどうか確認しようとしたが、既に着陸していたため、対応してもらうことはできなかった。座席は最後尾に近かったが、独自判断で停止前に荷物収納棚からデイパックを取り出し、停止までにエコノミ・クラスの中程まで進むことができた。日本人のフライト・アテンダントも乗務していて心配してくれたが、あまり役には立たなかった。かろうじてターミナルに向かう1台目のランプ・バスに乗ることができた。乗換便の出発40分前にターミナルに到着し、グラウンド・スタッフの支援を受けることになる。ほかのフライトへの乗換客もおり、しばらく待ってから出発する。抜け道を使って進むが、入国審査などの要所では列に並ばなければならない。ただ、入国審査では中国人用の列に並ばせてもらうことができた。通常と比べると速く進んでいるのであろうが、ほかの乗換客を待つこともあって時間がかかる。案内は頻繁には行ってくれない。最後に「急いで!」と言われた。セキュリティ・チェックに向かって走ったが、搭乗締切を告げられた。何ということだ! 同じ航空会社のフライトであり、乗換支援(例外的な動線による搭乗口への誘導)に乗り出しているのに、途中で支援を打ち切るとは何事だ! 先進国の航空会社であれば、このようなことは決して起こらないであろう。怒り心頭に発した。

その後が一苦労であった。支援はない。まず、昆明に向かうフライトの予約変更手続は比較的スムーズに進んだ。次いで、フリー・アコモデイション(無料宿泊施設)の確保が必要になるが、手続場所が分からない。3階と1階を昇り降りした後、1階にあるトランスファー・カウンターに行くよう指示された。そこへはスタッフ専用の入口からしか入ることができないのだが、その説明はこちらが執拗に行き方を尋ねるまで受けることがなかった。ようやくカウンターに到着すると、同じ状況にある乗客が大勢待たされていた。丁寧な案内はない。しばらくすると、小声で「ホテル」と言いながらスタッフが外に向かったため、それに従った。乗り換えに間に合わなかった乗客は大型バス2台分ぐらいいたのではないかと思う。30分ぐらい走ってホテルに到着した。壮年の日本人男性との相部屋を割り当てられたが、男性はフライトがビジネス・クラスだという理由でしばらく抗議していた。スリランカでサーフィングをする予定とのことであったが、ロスト・バッゲイジの問題も抱えていた。部屋の中は小部屋に区切られていたが、空気調整用のリモウト・コントロウラーが男性の入った小部屋の中にあり、声をかけづらかったため、寒さに耐えながら寝ることになった。

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昆明長水空港

翌早朝、ホテルを出発し、乗換便に乗って、午前中に昆明長水空港に到着した。事実上初めて訪ねることになるはずの町であったが、乗換時間が2時間程度しかなかったため、空港の外に出ることは諦めた。チェックイン、出国審査、セキュリティ・チェックのためにそれぞれ長蛇の列ができていた。理由は分からないが、一人の手続きを終えるために要する時間が長いようであった。途中までは、また乗り換えに間に合わないのではないかと思ったほどだ。結局、初日の滞在先が昆明から上海に変わっただけで、バンコクに向かう当初のフライトに搭乗することができた。

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マッカサン駅

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チャトゥチャック公園

■メーサーイは、チェンラーイから北に向かったタイ最北部のミャンマーとの国境にある町だ。バンコクのスワンナプーム空港からエアポート・レイル・リンクとMRTを乗り継ぎ、モーチット駅からチャトゥチャック公園を横切って北バス・ステイションに到着すると、当夜、チェンラーイ行バスはあるが、メーサーイ行バスはないとのことであった。そこで、チェンラーイ行バス切符を買った。そして、翌朝、チェンラーイに到着した。郊外にある第2バス・ステイションにいるようであり、メーサーイ行バスに乗るためには、ソンテオに乗って市内にある第1バス・ステイションに向かう必要があると分かった。

メーサーイ行バスは、次第に混雑してきた。車掌は、車内を移動することができなくなると、前後のドアから出入りしながら移動していた。5人掛けの最後列に座っていたが、インドとは異なり、乗客が詰めてくることはなかった。途中、検問があった。

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ミャンマー国境

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サイロムチョーイ通り

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サーイ川

メーサーイのバス・ステイションに到着すると、それに合わせてミャンマーとの国境行ソンテオが発車するようなので、乗り遅れないようにしなければならない。混雑していたため、ソンテオの後部に張り出している部分に立った。すると、空席が生じた時に車掌が先に座ってしまった。どういう了見をしているのであろうか。

前回の韓国旅行で持参した6.4インチ画面の白ロムは、その後SIMカードを挿入して通常のスマートフォンとして使っており、この旅でもガイドブックを読むなどのために用いていたが、この時点でバッテリが切れそうであったため、ミャンマー入国は急がず、充電を兼ねてタイ国内で宿泊先を確保することを優先することにした。そのような状態になる前に、安宿街はサーイ川沿いに西に向かって伸びているサイロムチョーイ通りであると確認してあったため、ソンテオを降りるとそちらに向かった。そして、ゲストハウスにチェックインすると、スマートフォンを充電しながらゆっくりとくつろいだ。情報の入手をスマートフォンに依存しすぎだという批判もあろうが、ミャンマーへは万全の状態で入国したいと考えており、準備が整うまでは慌てて動きたくなかったのだ。サイロムチョーイ通りの一部はアーケイド街になっており、道行く人で賑わっていた。

国境を形成しているサーイ川に面し、イミグレイションに近いレストランで、ミャンマー側を眺めながら食事をした。川幅は狭く、水に浸かりながら歩いて往来している人もいる。地元の人にとっては国境の意味は大きくないのかもしれないと感じた。

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■チェンセーンは、20年前にバンコクから昆明を目指した前回の東南アジア旅行の際に、景洪との間を運行する航路が開通していることを期待した町だ。その後、航路は一旦開通したが、ロウンリ・プラネットによると、2011年の武装集団による襲撃事件以後、廃止になったという。インターネット情報も乏しい。

メーサーイから向かうためには午後早くまでに出発する必要があると知り、メーサーイ滞在の翌日、ミャンマー入国に先立って訪ねることにした。その過程で、顔にタナカ(白粉)を塗った女児と会った。ミャンマー人であろうか。

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パラダイス・リゾート

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ドンサオ島

移動手段はソンテオだ。まず、手前にあるサーム・リアム・トーン・カム(ゴウルデン・トライアングル、ソプルアク)に向かった。行き先はタイ語で確認する必要がある。途中からメコン川が見えてくる。Googleマップによって現在位置を確認しながらの乗車となった。ドラッグで悪名を馳せた当地にはオピウムに関する2軒の展示館があるが、そのうちオピウム・ホールではドラッグの弊害を啓発していて一見の価値があったようだ。周辺を歩いていると、ボウト乗船を勧誘された。ミャンマーとラオスを間近に眺めることができるとのことであり、勧誘に応じることにした。そして、ミャンマーにあるカジノで有名なパラダイス・リゾートを眺めた後、ラオスにあるドンサオ島に上陸し、土産店を巡った。ただし、地元の人の生活を見ることができるわけではなく、素晴らしいという感慨を抱くには至らなかった。

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メコン川

次いで、チェンセーンに立ち寄った。イミグレイションらしきものもあるようだが、定期航路が廃止になったためか、賑わっているとの印象は受けない。ただ、中国との交易は続いているようだ。何とか定期航路の再開に繋げていってほしいと思う。その先には、20年前に実際にラオスと中国に向けてタイを出国したチェンコーンがあるのだが、国境沿いの町を結んでいる交通網は貧弱であり、簡単に戻ることができなくなる恐れがあるため、訪問を断念することにした。メーサーイに向かう帰路のソンテオは、往路サーム・リアム・トーン・カムに向かった時と同じものであった。検問があるのは麻薬の密輸を警戒しているためであろう。

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概要

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タイ国境

■タチレイの訪問が始まる。情報が少ないため、少し身構える。イミグレイションでは、パスポートを預けて代わりにエントリ・パーミット(入国許可証)を受け取ることになる。制度上はタチレイだけでなくチャイントォンなども訪ねることができるのだが、自動車のチャーターやガイド同伴が義務付けられているため、見送ることにした。

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山岳民族村

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山岳民族村

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山岳民族村

イミグレイションを出ると、トゥクトゥクの運転手から喧しく乗車の勧誘の声がかかる。町の様子が分かっていないため、応じてもよいかと考えた。300バーツで市内見物トゥアーを催行し、50バーツの宿泊施設を紹介することを申し出てきたが、合わせて100バーツにディスカウントしてもらって出発した。宿泊施設では運転手の提示額の倍の宿泊料金を請求されたが、元の額に引き戻した。軽装になって、市内見物に出かけた。寺院2か所と山岳民族村などを1時間をかけて巡ってくれた。荘厳なパゴダのある寺院もあった。

山岳民族とはカヤン族を指す。特定の女性が首に真鍮のコイルを巻いて顎を引き上げ鎖骨を押し下げることによって首が長くなっているように見えることから、俗に首長族と呼ばれる。ミャンマーとタイに跨って居住しているという。タイではメーホーンソンからトレッキング・トゥアーに参加したりモウターバイクを借りたりして訪ねることが一般的であろう。タチレイ中心部から10分程度の場所にカヤン族の村があるということは不自然だ。また、村には土産店10軒程度しかなく、集落としては小さすぎる。思うに、店員の女性などは、タチレイに手軽に観光資源をもたらすため、郊外の集落から連れてこられているのではないだろうか。特定の女性が首にコイルを巻くのは、元々は災いを避けるためであったとされているが、現在は観光収入のためだというのが実情であろう。コイルを巻くことは身体に悪影響を及ぼすようであり、この風習はいつの日か風化させる方向に持っていかなければならないのではないかと思う。そのための当面の山岳民族村のあり方について考えるということがあってもよいのではないだろうか。

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ナショナル・ハイウェイ4号

市内の散策も行った。タイとの国境から続く幹線道路のナショナル・ハイウェイ4号沿線の商店街や、国境付近のマーケットを見物したが、経済発展の進んだ姿を見るためには、まだ時間が必要であろう。

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概要

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チェットヨート通り

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タラート

■チェンラーイは、最北部の中心だ。メーサーイからは、直接チェンマイに向かおうかと考えていたが、バス・ステイションですぐに出発すると言われたチェンラーイ行バスに乗ることにした。

第1バス・ステイションに戻ってくると、チェンマイ行バスが出発するまでの間、市内見物をすることにした。

チェットヨート通りは安宿街であり、日本人が長逗留することもできそうな居心地のよさが感じられた。時計塔を通り過ぎて北に向かうと、ワット・プラケオやワット・プラ・シンが待っている。それぞれバンコクのワット・プラケオ、チェンマイのワット・プラ・シンと関係があるという。山岳少数民族も足を運ぶというタラートでは、様々な商品を取り扱っていた。

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チェンセーン

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バンコク

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概要

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ターペー門

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2016年カウントダウン

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ワット・チェーディー・ルアン

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ナイト・バザール

■チェンマイのチェンマイ・アーケイドへは、夕方到着した。アーケイド3のようだ。すぐに翌夜のバンコク行バスを予約しようとしたが、人気のあるバス会社では満席だと言われ、ほかのバス会社に頼ることになった。そして、ソンテオに乗ってターペー門を目指したが、道路の渋滞が激しかった。ようやく到着すると、一角に多くの人が集まっていた。コンサートがあり、多くの屋台が出店していて賑やかであった。晦日に当たっており、新年のカウントダウンの予行演習でも行っているのであろうか。

宿泊先はターペー門の内側で探したが、なかなか確保することができなかった。満室であったり、スタッフがいなかったりするのだ。ようやく探し当てたのは、ゲストハウスとは名付けられているもののホテル並みの宿泊施設であったが、ほかに当てがないため荷を解くことにした。浴室にバスタブが付いていないことを除けば設備は申し分なかったが、宿泊料金を支払済みであるのに、翌日確認されて気分を害された。高い料金設定をするのであれば、それに見合ったサーヴィスを提供するべきだと思う。

さて、市内見物だ。初回の旅の際に泊まったゲストハウスは見つからなかったが、近くにあったワット・ケート・カーラームは健在であった。なお、当時と比べると、市内で取り扱っているトレッキングの種類は格段に増えているようだ。ターペー門からラーチャダムヌーン通りを西に向かうと、旧市街の中央にワット・チェーディー・ルアンがある。仏塔チェーディー・ルアンが猛々しく聳え立っている。西端まで来るとワット・プラ・シンだ。金色の扉が美しい。北側に建つのは、13世紀に建てられ、かつては宮殿として使われたというワット・チェン・マンだ。

ターペー門付近に戻った頃には夕方になっており、屋台が出店し始めていた。様々な料理が所狭しと並べられていたが、衛生状態には疑問が持たれた。カウントダウンはまだ始まらないため、ナイト・バザールを眺めながらチェンマイ駅に向かった。リモウト・コントロウラーで操縦するおもちゃの自動車に子犬を乗せて、あたかも子犬が操縦しているかのように見せかけているパフォーマンスが面白かった。チェンマイ駅は交通の便のよくない場所にあり、周辺に活気がないように思われた。市内交通に支障を来しているのだから、もっと鉄道の利便性を高めることを考えるべきであろう。そのままチェンマイ・アーケイドまで歩いた。

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市内バスの集金器

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楽宮大旅社跡

■バンコクに向かうバスは、ドリンクやティッシュが配られるなどサーヴィスが行き届いていた。また、後方の座席の乗客はリクライニングの方法を教えてくれた。年が改まって、翌朝、北バス・ステイションに到着した。広いターミナルはリノヴェイションが必要なように思われた。また、市内に向かうための便はよくなく、MRTやBTSの経路決定に問題があるように思う。市内バスに乗って戦勝記念塔に向かい、BTSとMRTを乗り継いでフアラムポーン駅を目指した。市内バスでは、車掌が手にする昔ながらの円筒状の集金器が健在であった。懐かしい。7月22日ロウタリ付近では、ジュライ・ホテルに続いて楽宮大旅社も廃業となり、残骸を晒していた。

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ロッブリー市街

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パヤー・タイ駅から(バンコク)

その後、出立までの時間を利用して、ロッブリーを訪ねることにした。戦勝記念塔からロットゥー(ミニ・ヴァン)に乗って向かったが、出発が予定よりも40分遅れで、往路の所要時間が予定の2時間よりも35分長かった。そのため、当地では元々あまり確保していなかった市内見物のための時間が全くなくなった。仕方なく、何もせずにそのままバンコクに引き返すこととし、バンコクに向かうロットゥーを探した。車内では、Googleマップによって現在位置が分かり、何とか帰国便の出発に間に合いそうであることを確認することができた。ドーン・ムアン空港付近で指示に従ってロットゥーを乗り換え、モーチット駅からBTSとエアポート・レイル・リンクを乗り継いでスワンナプーム空港に到着したのは、帰国便の出発の1時間40分前であった。幸いなことに、Uターン・ラッシュによって空港が混雑しているということはなかった。

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チェンラーイ

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景悦99客棧江鎮店

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虹橋2号航站楼站

■上海浦東空港へは、日付が変わってから到着した。予約済みのエアポート・ホテルが近すぎたためか、メーター・タクシーの運転手に乗車を拒否された。そして、非正規のタクシーに100元を支払って連れていってもらうことになった。宿泊予約サイトの地図が不正確であったため誤解していたが、前年7月の旅の帰国時に泊まったホテルであった。

帰国便は、上海虹橋空港と羽田空港を結ぶものであった。スタッフの若い女性は空港までの足を心配し、筆談を交えながらスマートフォンの翻訳アプリケイションを使って汽車路線を教えようとしてくれた。ただ、降り損なうと困るので、前年と同じく凌空路站まで歩くことにした。

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■ミャンマーに足を踏み入れることができて満足している。次の機会があれば、ヤンゴンなど中心部を訪ねてみたい。帰国時、バンコクで時間配分に失敗したことは反省しなければならないが、出国便に乗り遅れるという事態は免れることができてよかった。

現地での1日平均の旅行費用(土産費を除く)は約2,900円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高はチェンマイの約4,000円(1,300バーツ)で、最低はメーサーイの約770円(250バーツ)であった。

スマートフォンは1台しか持参しておらず、バッテリ切れによって行動に制約を受けることになった。バッテリ切れ対策は考えておかなければならないところであろう。当面考えられるのは、2台持参するということであろうか。

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
26日07:15 空路 20:10 中国 上海
27日07:55 空路 11:25 昆明
13:55 空路 15:15 タイ バンコク
19:05 道路 28日06:30 チェンラーイ
07:50 道路 09:40 メーサーイ
29日07:55 道路 08:40 チェンセーン
10:40 道路 11:50 メーサーイ
12:25 徒歩 12:10 ミャンマー タチレイ
30日06:20 徒歩 07:15 タイ メーサーイ
08:50 道路 10:35 チェンラーイ
14:10 道路 17:50 チェンマイ
31日21:05 道路 1日06:55 バンコク
11:20 道路 13:55 ロッブリー
14:15 道路 16:35 バンコク
19:15 空路 2日00:05 中国 上海
09:25 空路 12:50 日本 東京
徒歩 :徒歩、 道路 :道路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 上海 雲亭假日酒店 CN.\ 1
タイ メーサーイ AQ House TH.B 250 1
ミャンマー タチレイ 伊雅温旅館 TH.B 300 1
タイ チェンマイ Minicost Apartment & Guesthouse TH.B 1,300 1
中国 上海 景悦99客棧江鎮店 CN.\ 99 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 86.3円 10
内訳
0 0 0 0
タイ TH.B 3.09円 8
内訳
1,004
内訳
1,963
内訳
0 800
内訳
ミャンマー −円 0 0 0 0 0
中国 CN.\ 17.7円 0 85
内訳
110
内訳
0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 888 4,602 8,006 0 2,471

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
0 0 10
内訳
タイ 1,850
内訳
0 5,625
内訳
15.446 4.8 3,218
ミャンマー 0 0 0 2,794 0.8 3,493
中国 99
内訳
200 494 5,191 2.4 2,163
通貨計 7,463 3,531 23,431 8.0 2,929
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含み、土産費を除く。

出発

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メーサーイ

チェンセーン

タチレイ

抜粋
チェンラーイ

チェンマイ

バンコク

上海2

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概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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