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麗水

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釜山

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概要

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麗水港

■麗水(ヨス)の市外バス・ターミナルから市内バスに乗り、中央洞ロウタリを目印に降りた。目の前には繁華街が広がり、すぐその先は麗水港だ。この環境が気に入り、大晦日までの2日間を過ごすこととし、モウテルにチェックインした。

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柴山公園から

最初に訪ねたのが、梧桐島(オドンド)だ。少し遠かったが、歩いて向かった。島の手前にある柴山公園(チャサン・コンウォン)と島からの閑麗水道の眺めは素晴らしかった。

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鎮南館

大晦日には、鎮南館(チンナムグァン)を訪ねた。壬辰の和乱に際して李舜臣将軍が設置した海軍の本拠であったという。やや高台にあり、麗水港付近まで眺めることができた。
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鎮南館から

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向日庵

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向日庵から

次いで、向日庵(ヒャンイラム)に向かうことにした。向日庵は突山島の最南部にある寺で、日の出の名所として有名だ。そこで、初日の出を拝みたいと考えたのだが、そのために向日庵に向かうバスはないようであった。そこで、夕暮れ時の見物でも仕方がないと考えてバスに乗り込んだ。向日庵は高台にあり、坂道を登っていく途中の沿道では土産などを売っており、多くの人出で賑わっていた。島内で宿泊して初日の出を拝む予定なのであろう。暗くなってきてから、後ろ髪を引かれる思いで市内に戻ることにしたが、いくら待ってもバスが来ない。状況を訪ねようとしたが、英語を話すことのできる人は見つからなかった。しかし、どうもバスは来ないと言っているようであり、数キロメートルの道程を歩いて帰らなければならないかと覚悟を決めた。そして、市内に向かって歩き始めてしばらくした時、バスが通りかかり、無事にモウテルに戻ることができた。

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市街

モウテルでは、日本の「紅白歌合戦」を視聴しながら年越しを待った。なお、洗練された店が軒を連ねていたのは大通りではなく、1筋隔てた商店街の方であった。

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順天駅

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順天駅前

■順天(スンチョン)の市外バス・ターミナルに到着した元旦の朝、順天駅に向かって歩いていった。当地は郊外に観光名所があり、シティ・トゥアーを利用するのが便利なのだが、さすがに元旦の催行はなかった。そこで、当地には2日間滞在することとし、駅の近くにある旅人宿にチェックインした。

旅人宿では、チェックイン時に宿泊料金を支払っていたにも関わらず、チェックアウト時に再請求され、支払済みであることを説明しても聞き入れられなかった。もしかするとチェックイン時刻が早かったため2泊分を請求されたのかもしれないが、コミュニケイション上の問題があるとは言え、2泊分が必要なのであればそのことを説明するために努力してもよさそうなものだが、何の説明もなく、不快な思いをした。

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松広寺

当日は、翌日のトゥアーでは訪ねない松広寺(ソングァンサ)を市内バスに乗って訪ね、翌日にトゥアーに参加することにした。松広寺は現在も世界各国の僧侶が修行している名刹とのことで、広い境内に多くの僧坊が建てられていた。

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トゥアー・バス

トゥアーに参加したのは、韓国ばかり三十数回訪ねているという壮年の日本人男性と二人だけであった。正月早々であったためであろう。また、有名な観光地ではないため、韓国通の日本人と会う確率が高くなるのかもしれない。ガイドは日本語を話すことができたが、それほど丁寧な説明はなかった。

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「愛と野望」セット場

最初に訪ねたのは、ドラマ「愛と野望」セット場だ。1960年代や1970年代の当地、ソウルの市街やタルトンネ(丘の上のスラム街)が見事に再現されていた。

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仙岩寺

次に向かったのは、仙岩寺(ソナムサ)だ。山寺らしく、土地の傾斜に合わせて僧坊が小気味よく配置されていた。

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楽安邑城民俗村

昼食を取った後、昔ながらの城壁が残る楽安邑城民俗村(ナガンウプソン・ミンソッチョン)や順天湾を訪ねてトゥアーの集合地の順天駅に戻った。

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晋州城址

晋州(チンジュ)へは、順天でトゥアーに参加した日の宵にムグンファ号に乗って向かった。そして、夜が明けてから晋州城址(チンジュソンジ)の見物を済ませると、早々に出立した。

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市街

■統営(トンヨン)もまた、風光明媚な港町だ。市外バス・ターミナルから中心部まではかなりの距離があるが、途中にある観光名所に立ち寄りながら向かうことにした。

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洗兵館

洗兵館(セピョングァン)は壬辰・丁酉の和乱における勝利を記念するための木造建築で、忠烈祠(チュンニョルサ)は李舜臣将軍の位牌を祀る祠だ。日本との戦争が大きな影響を与えたことが窺われる。

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李舜臣将軍像

中心部で旅人宿にチェックインした後、南望山彫刻公園(ナムマンサンチョガッ・コンウォン)に向かった。小高い丘の上からは、閑麗水道の絶景を楽しむことができた。
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南望山彫刻公園から

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中央市場

中央市場で売られているような新鮮な魚介類を味わうため、夕食時は寿司店に足を運んだ。

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西面駅地下街

■釜山の西部市外バス・ターミナルに到着すると、地下鉄に乗って西面に向かい、そこからチャガルチの辺りまで時間をかけて歩いた。レストランなどには日本語の案内も見られるようになり、くつろいだ気分になる。また、西面駅地下街や釜山駅地下街などの外観は日本と変わらないほど華やかなものになっていた。日本と比べると一世代前の仕様のように思われたのは、中央洞駅地下街ぐらいであった。

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釜山駅

一新された釜山駅も見事なものであった。1995年の旅の際に泊まったホテル・フェニックスを見届けると、釜山港に向かった。

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パンスター・ドリーム

帰路は、直接大阪港国際フェリーターミナルに入港するパンスター・ドリームを予約していた。翌日の午前中に到着し、実家に向かった。

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大阪港から

■大阪港に入港したことにより、出帰国のために利用したことのある空港・港湾が10に達した。そのうち、空港は成田空港、羽田空港、関西空港、伊丹空港、福岡空港、大分空港で、港湾は大阪港、神戸港、下関港、博多港だ。

旅行中の1日平均の旅行費用(日本国内移動時を除く)は約4,100円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は麗水の約3,900円(30,000ウォン)で、最低は統営の約1,300円(10,000ウォン)であった。

7回の旅によって、韓国は地方を含めて実情に精通してきたと言うことができるであろう。次に機会があるとしたら、訪ねるのは内陸部の町ということになるであろうか。

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
28日21:00 道路 29日15:00 北九州
16:35 鉄路 16:45 下関
19:00 水路 30日08:30 韓国 釜山
10:35 道路 13:35 麗水
1日07:05 道路 07:50 順天
2日18:00 鉄路 19:40 晋州
3日09:00 道路 10:30 統営
4日08:00 道路 09:40 釜山
16:00 水路 5日11:05 日本 大阪
12:20 鉄路 13:10 京都
8日10:25 鉄路 12:50 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 水路 :水路)

訪問地 宿泊先 単価
韓国 麗水 ダイア・モウテル KR.W 30,000 2
順天 チャン旅人宿 KR.W 20,000 1
晋州 ペクウン旅人宿 KR.W 12,000 1
統営 セイル旅人宿 KR.W 10,000 1
日本 京都 実家 3

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
韓国 KR.W 0.131円 1,300
内訳
60,120
内訳
52,440
内訳
0 19,100
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 1,960
内訳
0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 171 9,864 6,895 0 2,511

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
韓国 102,000
内訳
0 234,960 30,891 6 5,149
日本 0 0 1,960 1,960 2 980
通貨計 13,410 0 32,851 8 4,106

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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