旅べえ > 第3部旅草子 >

←後 / 前→

韓国 / ←─後 / 前→

韓国H

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
パンスター・ハニーから

■釜山港に入港すると、前回の旅と同じく地下鉄に乗って総合バス・ターミナルに向かうべきところだ。しかし、ガイドブックは数年前のものであり、当地のバス・ターミナルが再編されたことを忘れていた。そして、中央洞駅から間違った駅に向かおうとしていたが、券売機前には日本語を話す案内人がおり、総合バス・ターミナルの最寄駅である老圃洞(ノポドン)駅に向かうよう教えてくれた。このようなサーヴィスは、国際フェリーの到着直後だからであろうか。地下鉄では、乗換駅で日本語による案内も行われていた。
写真
パンスター・ハニーから

写真
総合バス・ターミナル

慶尚北道の浦項(ポハン)でサーフィングをするという若い日本人カップルにバスの切符売場を教えてあげた後、安東に向かうバスに乗り込んだ。乗客は4人と少なく、採算は取れるのかと疑問に思った。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
市外バス・ターミナル前

写真
市街

■安東(アンドン)は、市外バス・ターミナル、駅、繁華街などが至近距離にある小ぢんまりとした町であり、町の概観を把握することは容易だ。宿泊先としては旅人宿も当たってみたが、施錠することができないため見送り、隣の荘旅館に泊まることにした。荘旅館のオウナーは、英語を話すことができない旅人宿のオウナーを手伝う振りをしながら、巧みに旅行者を荘旅館に導いていた。

当地には、李朝時代に支配階級を構成した文班と武班からなる両班(ヤンバン)の文化が色濃く残っている。到着翌日から2日間、両班文化に接することのできる観光名所として、郊外にある陶山書院(トサン・ソウォン)と河回(ハフェ)マウルを訪ねた。ともにバスに乗って向かう。

写真
陶山書院(朧雲精舎)

陶山書院へは、バスを降り、洛東江に沿って進んでいく。斜面に沿って、朧雲精舎など簡素な建物が佇んでいる。権力闘争を嫌い、物欲に執着せず、学問の探究と後進の指導に励んだ儒学者の姿勢が偲ばれるようであった。帰路のバスは、終点で折り返してきた往路と同じバスで、運転手と顔を見合わせてほほえみ合った。
写真
洛東江

写真
河回マウル

河回マウルに直接向かうバスは見当たらず、河回マウルの入口という場所でバスを降りてから1時間も歩くことになった。蛇行する洛東江が見えてくると目的地は近い。瓦葺のほか藁葺の家屋もあり、典型的な両班文化と庶民文化を現代に伝えている。実際に生活の営みがあるのに古い伝統が保たれている不思議な空間であった。

市内に戻ると、すぐに大邱に向かうバスに乗り込んだ。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
東大邱駅

写真
農協共販場

■大邱には、大邱駅や中央路駅周辺の中央部と、KTX(韓国高速鉄道)停車駅の東大邱(トンテグ)駅や高速バス・ターミナルのある東大邱という2つの中心がある。たとえばほかの町からバスに乗って大邱に向かう際、東大邱は大邱とは別の目的地として扱われているため注意が必要だ。

宿泊先は、高速バス・ターミナル近くの東大邱で確保した。そして、翌朝、大邱駅を経由して中央路駅まで散策した。大邱にはたいして見所はないというが、全面ガラス張りの東大邱駅、新川駅の近くに広がる高層住宅街、七星駅前の七星商街、大邱駅前の農協共販場、中央路駅周辺の繁華街と、何の当てもなく歩いていても様々な都市景観が目の前に現れる。それもまた旅の楽しみだ。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
密陽駅

■密陽(ミリャン)へは、大邱で中央路駅までの散策が終わった後、ムグンファ号に乗って向かった。小さな町ではあるが、駅と市外バス・ターミナルが離れており、市街はその中間にある。どこで荷を解くか悩ましいところだ。

写真
嶺南楼

当地の見所は、コリア半島三大楼閣に数えられる嶺南楼だ。密陽江の流れを眺める高台に建っている。奥に進んでいくと小山になっていて、密陽邑城からは市街を一望することができた。
写真
密陽邑城から

写真
チンファ荘旅館

写真
チンファ荘旅館

荘旅館のスタッフは、若いのに英語を話すことができなかった。そして、そのような時に限って、部屋の鍵をスタッフに開けてもらったり、オンドルの故障を知らせたりするために、意思の疎通を行う必要があるのだ。このように、この旅でそれまでに泊まった荘旅館の中では最も貧相なものであったが、取り得はあった。NHKを受信することができたのだ。前回の韓国旅行の際と同じように、「紅白歌合戦」を視聴しながら年越しを待つことができた。もっとも、それは日本に最も近い慶尚南道に入ってきていたからであり、旅程の組み方に成功したと言うことができるであろう。

年が改まって、初詣でを兼ねて郊外にある表忠寺(ピョチュンサ)を訪ねようと考えた。ところが、市外バス・ターミナルがどうしても見つからず、諦めざるを得なかった。元旦のためか、人通りはなかった。地図の読み方を間違えたのかもしれないが、案内が貧弱なことも関係していたように思う。ここに至って、有名な観光地ではない町を渡り歩くことが急に億劫になった。そして、初回の旅で訪ねた後、訪ねていない扶余を20年振りに訪ねてみようと思い立った。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
大田駅

■扶余は、交通の便がよくない。ムグンファ号に乗って大田に向かった後、市内バスに乗って大田駅から西大田駅の近くにある西部市外バス・ターミナルに向かい、ようやく扶余に向かうバスに乗ることができた。大田駅の近くでは、近代的な高層ビルディングが建設中であった。扶余に到着した時は辺りはすっかり暗くなっていた。

写真
クムファ旅人宿

写真
クムファ旅人宿

バスを降りるとすぐに宿泊先の確保に取り掛かりたかったが、現在地が分からない。そこで、大通りを進んで階伯将軍像を見つけると、像の向いている方角が階伯将軍が戦った新羅の都であった慶州のある東だと確認し、旅館街に向かうことができた。有名な観光地であるだけに、荘旅館の相場はこの旅で訪ねたほかの町よりも高そうであり、なかなか宿泊先を決めることができなかった。そのうちに旅人宿が見つかった。施錠は部屋の中からしか行うことができないものの、手頃な料金であったため、宿泊を決断することにした。オウナーは、英語を話すことはできなくても、いろいろと親切にしてくれた。出国日まで2泊した。

韓国では、旅館は多少高級な荘旅館への格上げを図る一方、旅人宿は姿を消しつつあるのではないかという印象を持った。独特の雰囲気を醸し出しているだけに残念ではある。

写真
扶余市街

写真
扶余市街

ガイドブックではのどかな全くの地方都市だとされているが、20年前は十分に舗装されていなかったメイン・ストリートが、片側2車線の道路になっていた。当時の町の様子はあまり記憶にないが、様変わりしていたのではないかと思う。メニューがハングルで書かれているだけの食堂に入り、理解することができずに困ったという印象が強いのも当地だが、キムパプ(海苔巻き寿司)のチェイン店、コンヴィニエンス・ストア、パン製造販売店などが立ち並び、食事に苦労するなどということは考えられなくなっている。もっとも、メニューがハングルで書かれていても、チゲやクッパなど多くのコリア料理を理解することができるようになってきたという事情もあろう。

写真
宮南池

当地では、王の別邸があった宮南池、国立扶余博物館(クンニプ・プヨ・パンムルグァン)、定林寺址、王宮跡かと言われている扶蘇山城(プソサンソン)を訪ねた。宮南池や定林寺址では見覚えのあるひなびた風情を楽しむことができた。定林寺址では、話に聞いていた通り、五層石塔とともに見所とされる石仏座像を収納するための堂が建てられていた。また、苔が取り除かれたためか、綺麗になりすぎてしまい、かえって風情を感じづらくなっているようであった。
写真
宮南池から

写真
百花亭から

扶蘇山城は、起伏があり、簡単に歩き回ることができる大きさではないということをすっかり忘れていた。百花亭(ペックァジョン)まで登ると、白馬江に向かって落花岩と呼ばれる断崖が姿を現す。「花」という言葉は、百済滅亡時に身を投げた官女達を指している。「国敗れて山河あり」という杜甫の「春望」を思い起こさせる場所だ。

写真
半月楼から

帰路は、宮女祠、軍倉址、迎日楼、三忠祠などに立ち寄ったり、半月楼(パノゥオルル)から市街を眺めたりしながら市街に戻った。

写真
公州市街

写真
公州市街

出国日は、釜山に戻る前に公州(コンジュ、熊津)に立ち寄ってみようと思い立った。大田駅の観光案内所で出会った日本在住の壮年のコリアン夫妻が、公州と扶余のどちらを訪ねるか迷った後、公州を訪ねることにしたことが影響している。公州に向かう始発バスに乗ったが、運転手に目的地を尋ねられ、「市内」と答えようとして思わず「市庁」と答えてしまった。そして、公州に到着すると、市庁舎前でバスを降ろされることになってしまった。実は目的地は市内であったと訂正するような語学力はなかった。市外バス・ターミナルは中心部から見て錦江(クムガン)の対岸にあって不便なため、運転手は気を利かせてくれたのであろうが、仇となってしまった。市内バス・ターミナルの辺りまで歩くのに30分程度かかったであろうか。韓国の中では比較的暖かい南部を離れて忠清南道に入ってから寒さに悩まされていたが、当地では−10℃ぐらいまで冷え込んでいたようで、大変寒さの厳しい朝であった。まだ観光名所の営業は始まっておらず、始発バスに乗る必要はなかったと後悔した。ただ、市内バス・ターミナルの近くにある待合室にストウヴが置かれており、人心地がついた。

写真
錦西楼

当地では、武寧王陵(ムリョ・ワンヌン)と公山城(コンサンソン)を見物した。一時代を築いた百済の昔日を偲ぶことができたように思う。
写真
洪北楼付近から

写真
鳥致院駅

写真
鳥致院駅前

公州も扶余と同じく鉄道は通じていない。釜山に向かう列車に乗るため、大田と、世宗(セジョン)特別自治市の鳥致院(チョチウォン)のどちらに向かうか迷ったが、バスの乗車時間の短い鳥致院を選ぶことにした。乗り換えの大変な大田を敬遠したいという思いもあった。ところが、鳥致院駅の切符売場では、ムグンファ号の出発まで待ち時間が何と2時間半もあることを知らされた。そして、釜山駅到着時刻は星希のチェックイン・タイムと同じであることが分かった。駅員の様子からは、ほかに方法がないわけではなさそうであった。そして、それはおそらく立席であれば先発の列車に乗ることができるという意味ではないかと予想された。しかし、星希の乗船手続時間は厳格ではないであろうと考え、そのまま切符を買うことにした。後で調べてみると、直通列車の中では釜山に先着する列車を提示されていたことが分かった。しかし、乗り換えを許容するのであれば、セマウル号を利用して1時間半も早く到着する方法があったようだ。直通列車であることよりも目的地に先着することを優先する乗客が多いと思われるが、駅員がどのような基準で列車を選んだのか気にかかるところだ。また、バスから列車への乗り換えを大田で行っていたら、KTXを含め多くの選択肢があるところであった。

写真
星希から

釜山駅に到着すると、地下鉄に乗って釜山港に急いだ。乗船手続所は開いていたが、港湾使用料を支払うためのウォンの持ち合わせがなく、両替所との往復をしているうちに新規のチェックインは受け付けないようになっていたようだ。間一髪であったわけだ。旅の終盤にゲイトウェイから離れるという行動を取った以上、出国日はもっと早くゲイトウェイに戻ることができるよう手を尽くすべきであった。大いに反省しなければならないと考えている。

星希の乗客は多くなかった。短時間で渡航することのできるジェットフォイルなどの高速船を好む傾向にあるのであろうか。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

写真
星希から

写真
下関港国際ターミナル

■翌日、下関港に到着すると、往路と同じく青春18きっぷを利用した鉄道旅行となる。途中、岩国、岡山、姫路、大垣で途中降車し、駅前などを見物した。岩国では錦帯橋を見物した。大垣からはムーンライトながらを利用し、翌早朝、東京に戻った。

旅行中の1日平均の旅行費用(日本国内移動時と土産費を除く)は約2,400円と、それまでの韓国旅行の中で最も低い水準に収まった。円高ウォン安のためだ。旅行費用のうち宿泊料金の最高は安東などの約1,400円(20,000ウォン)で、最低は扶余の約1,100円(15,000ウォン)であった。

前回の韓国旅行後に予想した通り、内陸部の町を中心に訪ねる旅となった。韓国を訪ねる機会はまだまだありそうだ。ソウルからアクセスするのであれば、ドラマ「冬のソナタ」で有名になった春川(チュンチョン)のようにドラマや映画のロケイション撮影が行われた町を訪ねるということも、そろそろ選択肢に入れてもよいかもしれない。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
26日22:00 鉄路 23:35 小田原
23:55 鉄路 27日00:35 沼津
05:00 鉄路 07:40 豊橋
07:50 鉄路 08:35 名古屋
09:10 鉄路 10:25 彦根
10:55 鉄路 12:15 大阪
14:55 水路 28日12:00 韓国 釜山
13:50 道路 16:15 安東
30日12:40 道路 14:00 大邱
31日12:35 鉄路 13:20 密陽
1日12:35 鉄路 15:20 大田
16:15 道路 17:45 扶余
3日07:00 道路 07:35 公州
10:30 道路 11:10 鳥致院
13:55 鉄路 18:00 釜山
20:50 水路 4日08:00 日本 下関
08:35 鉄路 11:40 岩国
13:35 鉄路 17:10 岡山
18:00 鉄路 19:25 姫路
19:55 鉄路 22:30 大垣
23:20 鉄路 5日04:55 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 水路 :水路)

訪問地 宿泊先 単価
韓国 安東 テヨン荘旅館 KR.W 20,000 2
大邱 トンヤン荘旅館 KR.W 20,000 1
密陽 チンファ荘旅館 KR.W 20,000 1
扶余 クムファ旅人宿 KR.W 15,000 2

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
韓国 KR.W 0.0724円 3,300
内訳
67,150
内訳
92,500
内訳
0 11,700
内訳
日本 JP.\ 1.00円 0 1,100
内訳
0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 239 5,960 6,694 0 847

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
韓国 110,000
内訳
4,350 289,000 20,600 7 2,943
日本 0 0 1,100 1,100 2 550
通貨計 7,961 315 21,700 9 2,411
(注)円換算と日平均は土産費を除く。

出発

抜粋

釜山

安東

大邱
密陽

扶余

回顧

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

旅べえ > 第3部旅草子 >

←後 / 前→

韓国 / ←─後 / 前→