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中国H

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

■西安に向かうフライトのチェックインは、フライト・ボードに表示されないまま始まっていた。一部のフライトのみチェックインが始まったことを表示するフライト・ボードは、害あって益ないものだと思う。また、チェックインは出発30分前まで受け付けるとのことであったが、始発の機場巴士が到着する出発時刻の1時間前までにチェックイン・カウンターの前には長蛇の列ができており、それから並んだのでは搭乗のために走り回らなければならないであろうと思われた。

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漢唐居

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西安站

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西安站前

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地鉄西安北站

西安咸陽(シェンヤン)空港に到着すると、機場巴士に乗って市内に入った。西安站では、青島と同様に青年旅舎に電話をかけてみた。すると、今度は個室を確保することができた。鐘楼站の近くにあるため、地鉄に乗って向かうことにした。

チェックインを済ませて身軽になると公共汽車に乗って西安站に戻り、售票庁で漢中に向かう火車の切符を買おうとした。しかし、筆談のために必要事項を書いて渡したメモを突き返されてしまった。仕方なく青年旅舎に戻ってスタッフに相談すると、漢中までは汽車が便利だという。そこで、西安汽車站を訪ねてみたが、翌日に漢中に向かう汽車が満席であることが分かると、漢中を訪ねたいという気持ちが急に失せてしまった。

前後して、西安北站へも足を向けた。CRHを利用すると、河南省(ハーナンション)の開封など当地から距離のある町を訪ねることも容易なのではないかと考えたためだ。しかし、省都の鄭州(ヂェンジョウ)で乗り換えなければならないようであり、やはり断念することにした。站には、広大な敷地に巨大な站舎が建てられていた。将来的には当地の主要站として、アジア最大級の站になる予定だという。ただ、地鉄で結ばれているとは言え、中心部から離れすぎているように思う。

訪問先が決まらないが、必ず戻る青島は宿泊施設が逼迫しているようなので、早目に確保しておくことにした。ロウンリ・プラネットで青年旅舎に目星を付け、スタッフに電話をかけてもらったが、デポジットが必要だという回答であった。そこで、宿泊予約サイトを紹介してもらい、ロビーにあったパーソナル・コンピューターでインターネットにアクセスすることにした。クレディット・カードによる保証をデポジットとするためだ。

ロビーでは、Wi-Fiを利用してスマートフォンでインターネットにアクセスすることができ、情報収集をしたり国際電話をかけたりした。また、GoogleマップとGPS(全地球測位システム)を利用して青年旅舎付近の位置関係を確認することができた。

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

■華山(フアシャン、行政上は渭南市華陰の一部)は、ロウンリ・プラネットでは陝西省の項で西安の次に紹介されている。日本語のガイドブックとは取り上げ方が大きく異なるのだ。花崗岩の断崖絶壁で有名で、中国五岳(五名山)の1つとして、西岳と呼ばれている。また、道教の聖地だという。漢中の代わりに訪ねることにした。

西安站前から汽車に乗って出発する。兵馬俑行の汽車が近くから出発するためか、本当に華山に行きたいのか確認された。華山を訪ねる外国人は少ないのであろうか。

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市街

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市街

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焼青菜/楊州炒飯

華山では、玉泉院に到着する。出発が遅かったため、太陽は既に西に傾いていた。最初に考えなければならないのは、登山前に宿泊するのか、山上で宿泊するのかということだ。ポイントは日の出を拝みたいのかどうかということだ。思案を巡らせようとしたが、結論が出る前に、ミニバスの乗客は到着地の食堂に案内された。食堂では、オウナーが十数人の客に対して華山各峰の素晴らしさを熱心に説明し始めた。最初はトゥアーの勧誘であろうと考えた。いくら大演説をされても内容は分からないため、筆談によって周囲にいる人にこちらの知りたいことを尋ねた。頂上までの所要時間、必要経費、山上における宿泊施設の有無などだ。そのうちに、大演説の成果があまり上がらなかったオウナーがこちらに話しかけてきた。当然のことながら内容を理解することはできない。そこで、オウナーは、英語を話す女性に電話をかけ、女性を通じて用件を伝えてきた。どうやらトゥアーではなく、階上のホテルを利用した休憩を勧誘していたらしい。日の出を拝むために夜間登山をすればよいというのだ。夜間登山をする人は多いという。ロウンリ・プラネットにも記述がある。ちょうど雨が降ってきたこともあり、勧誘に応じることにした。

出発までの間、部屋で軽く仮眠した後、ヘッド・ライトや菓子を買ったり、腹ごしらえをしたりした。雨は上がっていた。22時頃、ホテルのスタッフに促されて出発した。

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雲梯

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日の出

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東峰

最初のうちは登山者は少ないと感じていたが、售票処には多くの人が詰めかけていた。登山道は比較的よく整備されていたのではないかと思う。飲食料を売る店も頻繁に現れる。比較的順調に歩を進めていたが、頂上までは遠く、急勾配の階段も多くて、次第に休憩時間が長くなっていった。途中、多くの登山者がコンクリートの上に仰向けで寝ている場所があった。見ていると、流星を眺めていることが分かった。流星の数は多く、次々と歓声が上がった。後で調べてみると、ペルセウス座流星群がピークを迎える時間帯になっていたようだ。

北峰(雲台峰)付近で東線索道(ケイブル・カー、日本語ではロウプウェイ)上站に行き当たる。それから先は稜線を進むことになっているようで、急勾配の階段は終わるのではないかと期待していたが、そのようなことはなかった。それどころか、垂直に近く、鎖の梯子を伝って登らなければならない箇所も現れた。

北峰付近を過ぎてしばらくは薄着でも暑いと感じていたが、東峰(朝陽峰)に近づくにつれて次第に寒さを感じるようになる。東峰に到着する直前、雲梯と呼ばれる垂直状の梯子を伝って登ることになっている箇所が現れた。今度は高低差があり、また横に迂回路が用意されていたため、回避することにした。サンダルを履いていることも考慮した。4時頃には東峰付近に到着した。風を避けながら休憩していたが、寒さに耐えられず、少し戻ってダウンジャケットをレンタルすることにした。

4時半頃になって日の出のヴュー・ポイントに向かった。まだ夜景が美しく、カメラを空に向けると星を撮影することのできる時間帯であった。日の出を拝むために多くの人が集まってきていたが、絶好の場所を確保することができた。辺りが明るくなるのに太陽が姿を現さないため焦ったが、6時15分に日の出を拝むことができた。
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東峰から

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東峰付近から眺めた西峰

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長空桟道

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西峰

その後、華山一の標高(約2,200m)を誇る南峰(落雁峰)を経由して西峰(蓮花峰)に向かった。中峰(玉女峰)は通り過ぎてしまった。南峰に向かう途中には、長空桟道がある。断崖絶壁に板が渡してあるだけの道を進むことになっているようだ。命綱はあり、万一のことはないであろうから、試してみようかとも思ったが、足がすくんできたため引き返した。

西峰では、ビュー・ポイントにホテルが建っていたため、滞在も検討したが、入山券には二日間有効と記されていた。厳密に言うと前日に入山したのだから、翌日に下山すると3日間滞在したことになる。おそらく問題とはされないであろうが、迷った末に下山することにした。途中、次第に膝痛が深刻になり、やっとの思いで東線索道上站まで歩いた。西峰に滞在していれば、膝痛に悩まされることはなかったであろう。ゴンドラからは、命知らずが進むソルジャーズ・トレイル(兵士道)と呼ばれるルートが見えていた。かなりの高低差がある断崖絶壁だ。下山すると、汽車を乗り継いで玉泉院に戻った。西安行の汽車は、かなり待たされた上、スタッフが横柄であった。
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長空桟道から

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南峰から眺めた西峰付近

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北峰付近


出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

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西大街

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新疆食品店

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東大街

■洛陽は、前年に訪ねたばかりであり、当初は再訪する予定はなかった。ただ、華山から西安に戻った日の宿泊先を確保していなかったため、近くの町で探そうかと考えていた。その候補が洛陽であった。洛陽であれば、前年の経験から夜遅く到着しても宿泊先の確保はできるとの考えであった。また、既に洛陽を訪ねたことがあると言っても、旧市街の老城区はまだ訪ねていなかったため、足を伸ばす価値があると考えていた。售票庁では運よく洛陽に向かう特快・硬座の切符を買うことができた。ただ、華山からも洛陽方面に向かう汽車に乗ることができるようであり、一旦西安に戻る必要はなかったかもしれない。

洛陽到着は、22時半頃であった。站舎を出ると、予想通り客引きが現れ、近くにあるホテルに連れていかれた。ただ、前年に泊まったホテルとは別のホテルであった。客引きの提示よりも高い宿泊料金を請求されたが、抗議してディスカウントさせた。

翌日、洛陽汽車站で当日の午後発の西安行汽車の切符を簡単に買うことができた。ただし、火車と比べて割高だ。その後、老城区方面に向かう公共汽車を見つけて乗った。少し早く降りてしまったが、その代わり建設中の隋唐洛陽城国家遺址公園や周公(旦)廟を訪ねることができた。

麗景門(リジンメン)から老城区が始まる。伝統を感じさせる店舗が軒を連ね、落ち着いた雰囲気を醸し出している。書画、絵画、地方特産品などを売る店が続いた。西大街(シーダジエ)から東大街(ドンダジエ)へと進むと鼓楼がある。その先も東大街ではあるものの、既に一般国民の生活の場が始まっていた。

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

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漢唐居

■西安では、華山訪問前と同じ青年旅舎の個室を3日間確保してあった。夜になってチェックインすると、同じ部屋があてがわれた。そして、翌日は東部郊外を訪ね、残る2日間は市内見物をすることにした。

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楊貴池

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海棠湯(貴妃池)

西安站前から秦始皇兵馬俑博物館行の汽車に乗る。そして、先に華清池を訪ねることにして、途中で汽車を降りた。華清池は、「長恨歌」の舞台だ。「長恨歌」は、

春寒くして浴を賜ふ華清の池
温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ
侍児扶け起こすに嬌として力無し
始めて是新たに恩沢を承くる時

という一節で唐の玄宗と楊貴妃のラヴ・ロマンスの始まりが描かれ、

天に在りては願はくは比翼の鳥と作(な)り
地に在りては願はくは連理の枝と為らんと
天長く地久しきも時有りて尽く
此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無からん

という一節で終わるものだ。華清池では、楊貴妃が浴を賜った浴槽などが発掘されている。ロウンリ・プラネットでは低い評価を受けているが、安禄山と史思明による安史の乱を鎮圧するために愛する楊貴妃に自殺を命じざるを得なかった玄宗の苦悩を思い浮かべながら、ラヴ・ロマンスが展開された現場を巡ることに意味はあると思う。西洋には「長恨歌」はあまり伝わっていないのではないかと疑ってしまう。ただ、観光客が多いため、ゆっくりと感慨に耽ることが難しいのも事実ではある。

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秦始皇兵馬俑博物館

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秦始皇兵馬俑博物館

次いで、公共汽車に乗って、秦始皇兵馬俑博物館を訪ねた。運転手には秦始皇帝陵に行きたいと告げ、了解してもらっていると思っていたが、博物館で降ろされたものだ。博物館の敷地は広大だ。25年前に訪ねた際と比べ、售票処から兵馬俑坑までの距離がかなり長くなったのではないかと思う。途中には土産店やレストランが並び、商業主義が幅を利かせているように感じた。

1号坑から3号坑まで順に巡った。兵士俑数千体、馬俑数百体が出土しているという。兵士俑は等身大で、一体一体の風貌が異なる。一体一体にモデルがいるのであろうか。兵士俑は殉死を避けるために埋葬されるものであり、写実的でなければならなかったのだと思う。初回の旅の際は写真撮影が禁止されていたが、この旅では禁止されていなかったため、様々な角度から写真撮影を行った。

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秦始皇帝陵

秦始皇帝陵は、秦始皇帝陵博物院として、秦始皇兵馬俑博物館と一体的に運営されるようになっていた。無料のシャトル・バスに乗って、秦始皇帝陵に向かった。初回の旅で頂上に登った墳丘に立ち入ることはできなくなっていたが、当然のことかもしれない。地下宮殿の発掘は保存技術の確立を待って行うとのことなので目にすることはできないであろうが、何が埋葬されているのかと想像するだけでも楽しい。

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南門付近

市内では、公共汽車を利用して、大雁塔、小雁塔、南門、八仙宮などを訪ねた。陝西歴史博物館は、售票処前に長蛇の列ができており、見物を諦めた。また、南門付近では、高層の商業ビルディングの建設が進んでいた。

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西羊市

ロウンリ・プラネットでは、西安で最初に紹介されているのが回族区(ムスリム・クォーター)だ。鼓楼の北に広がるイスラーム教徒の街だが、ロウンリ・プラネットでは社会文化的な側面に焦点を当てているのかもしれない。北院門などには精肉店、食品店、土産店などが軒を連ねており、歴史を感じさせる。奥行きのある町並みだ。通りでは、スカーフで髪を覆った女性が電動三輪車の運転をしている様を見かけた。食堂でも、禁酒の旨が説明されていた。紛れもなくイスラーム教社会が始まっているのだと感じた。

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西安咸陽空港

華山登山により患った膝痛がようやく癒えてきた頃、当地を後にすることになった。

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

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巣城青年旅舎

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ドイツ風情街

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青島流亭空港

■青島へは、日付が変わってから到着した。変更後のフライト時間よりもさらに遅くなったわけだ。そして、タクシーに乗って青年旅舎に向かった。

翌朝、出立までの時間を利用して、市内見物をしようとした。青年旅舎のチェックアウトに際しては、一悶着があった。スタッフは、ほかの宿泊客から何らかの苦情を受けていたのか、最初はなかなか応対してくれなかった。しばらくすると応対してくれたが、パスポートを返し忘れていた。うっかりしていると前回の中国旅行の二の舞になるところだが、このようなことが繰り返されると故意なのではないかと疑ってしまう。

出発時刻が迫っていたため、観光名所はタクシーに乗って巡ることにした。まず、プロテスタント系の江蘇路基督教堂に向かおうとしたが、全く平凡な教会に連れていかれた。落胆して、次の天主教堂に向かうことにした。後で調べるてみると、別の教会に連れていかれたようだ。ロウンリ・プラネットでは「基督教堂」とのみ記述されており、運転手の錯誤というよりも、ロウンリ・プラネットの記述に問題があるようだ。「基督教堂」はキリスト教会を意味する一般名詞に過ぎず、教会を特定することができないためだ。天主教堂もタクシーを降りた場所から探し当てることができず、訪問を諦めることにした。ロウンリ・プラネットの地図が貧弱であることが影響したと思う。

青島站から機場巴士に乗って青島流亭空港に向かおうとした。しかし、しばらく出発しないとのことなので、仕方なくタクシーを利用することにした。到着すると、国際線も国内線と同様に出発30分前までチェックインを受け付けると知って驚かされた。

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

■今後、電子書籍版のガイドブックは、海外旅行の主流を占めることになるのではないかと思う。特に長期海外旅行では有用であろう。ロウンリ・プラネットが先鞭を付けたわけだが、日本語のガイドブックの電子書籍化が遅れているのは気にかかるところだ。出版社には、電子書籍化に乗り遅れると他社にシェアを奪われてしまうという覚悟を持って取組みを進めてもらいたい。個人的に電子書籍化を図ることも検討している。また、Wi-Fiの普及は確実に進むであろうから、ガイドブック以外の情報の授受も容易になり、海外旅行のスタイルは変わっていくであろう。ただ、バッテリの容量の改善は必要だ。福岡空港で買った乾電池使用のモバイル・バッテリはほとんど役立たなかった。

日本で最も発行部数の多い海外旅行のガイドブックは、取材不足による誤記が多いと批判を受けることが多いが、ロウンリ・プラネットを使ってみて、状況が全く異なるわけではないと感じた。やはり誤記はある。また、ロウンリ・プラネットは、基本的に情報量は多いとしても、視覚に訴えるという点では日本語のガイドブックに劣っていると言うことができる。ただ、日本語のガイドブックではバジェット旅行のための情報が次第に重視されなくなってきているのに対し、安宿などの情報が詳細に掲載されていることには好感を持つことができる。観光名所の取り上げ方も異なっており、できれば併用していきたいと感じている。

西安市街では、複数の物乞いを見かけた。中国の市街で物乞いを見かけるのは1996年の旅以来であろうか。内陸部は、沿海部よりも貧しい生活を強いられている人が多いのであろう。ただ、地鉄は1路線が営業中しているだけだが、5路線が計画中だ。社会主義経済下で、一旦軌道に乗ると都市計画の立案は進みやすいのかもしれず、今後の発展が期待される。

一方、西安の公共汽車では、地元の人の温かい心遣いに接することができた。釣銭を貰うことはできないため、0.50元(5角)との料金表示と持ち合わせの硬貨を確認して乗車し、料金を運賃箱に入れようとすると、運転手に支払額が足りないと言われることがあった。0.50元というのはカード払いの場合であり、キャッシュ払いの場合は1元のようであった。しかし、その時点で0.50元以外に持ち合わせていた最小の通貨は10元紙幣であり、それを運賃箱に入れて釣銭を諦めるということはできないため、乗客に両替を行ってほしいと依頼して回った。すると、女子生徒が1元硬貨を差し出してきたのだ。丁寧に礼を述べて受け取った。このように、互いに隣人を思い遣る心があれば、日中関係は改善に向かうのにと思った。

現地での1日平均の旅行費用は約4,700円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は西安の約2,300円(140元)で、最低は青島の約1,300円(80元)であった。

外国人料金制度は、巧妙化したと言うことができるようだ。確かに、観光名所で、以前のように外国人に対して自国民よりも高い料金を要求する料金表示を目にすることはなくなった。しかし、多くの観光名所で、自国民は身分証明証の提示により割引を受けることができるようになっているようだ。割引率は、おそらくかなり高く設定されていると思う。また、外国人に対して高い料金を要求するのであれば、付加サーヴィスを提供するということが考えられてもよいところだ。たとえば、秦始皇兵馬俑博物館で售票処と俑坑を結ぶバッテリ・カーの乗車を無料にするとか、大雁塔で塔内への入場を無料にするとかいうことは考えられないであろうか。自分よりもはるかに支払額の少ない人が行き届いたサーヴィスを享受していると考えると、釈然としない思いが残った。一方、ホテルの中には、中国人用の料金表示しかなされていないものも多い。無用の混乱を招くだけなので、対処が必要だと思う。

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青島流亭空港

LCC以外の航空会社を利用するのは久し振りであった。ただし、中国東方航空は、インターネット上では定時運航に難があるとの評価を受けている。実際、事前のフライト時間の変更の連絡を除いても、すべての便で到着が15〜55分遅れた。チェックインを出発30分前まで受け付けていれば当然のことであろう。定時運行の必要性に対する意識の欠如の結果だと言ってよいであろうか。

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 福岡
10日15:30 空路 16:30 中国 青島
11日07:30 空路 09:45 西安
12日13:00 道路 14:40 華山
13日14:35 道路 16:30 西安
17:55 鉄路 22:35 洛陽
14日14:35 道路 22:00 西安
17日21:50 空路 18日00:10 青島
11:50 空路 14:35 日本 福岡
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 西安 漢唐居 CN.\ 140 1
華山 華洋大酒店(渭南市華陰) CN.\ 100 1
洛陽 人和賓館 CN.\ 90 1
西安 漢唐居 CN.\ 140 3
青島 巣城青年旅舎 CN.\ 80 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
中国 CN.\ 16.7円 24.50
内訳
485.90
内訳
622.90
内訳
0 578
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 575 8,097 10,380 0 9,466

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
中国 830
内訳
0 2,541.30 42,350 9 4,706
通貨計 13,832 0 42,350 9 4,706

出発

西安

華山

抜粋

洛陽
西安2

青島

回顧

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

旅べえ > 第4部旅草子 >

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