旅べえ
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第5部旅草子
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←後
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前→
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中国 /
←後
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前→
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中国Q
出発
大連
抜粋
回顧
概要
奥利加爾大酒店から
奥利加爾大酒店付近
■大連周水子空港に到着すると、まだガイドブックに掲載されていなかった地鉄站が目に入ったため、地鉄に乗って市内に入ることにした。
運行経路は完全には分からなかったが、大連站の少し南に向かって走っていると推測し、最寄站で降車することができた。
■
到着日はPM2.5の影響でどんよりとした空であったが、その後は晴天に恵まれた。ただし、最低気温が氷点下と、出歩くことが難しくなるような寒さであった。
■
滞在中、北京から駆け付けていた人を含む関係者と夕食をともにすることがあった。続けて高級料理店を利用することは憚られたため、地元の一般国民が多く集まる火鍋店を利用することを提案した。地鉄站からホテルに向かう途中で見かけたものだ。
大連站南口前
■
出国日は、出立までの時間を利用して、旅順の
二〇三高地を訪ねようと考えていた。しかし、同行者は市内見物をすることになったため、大連中心部からタクシーに乗って往復すると500元(1元は約19.1円)程度を負担しなければならないことが分かった。そこで、予定を早めて、早朝、ホテルをチェックアウトし、タクシーに乗って大連站に向かい、大連站北広場から汽車に乗って旅順汽車站に向かうことにした。
旅順は、大連に統合されたとは言え、市街は大連中心部から大きく離れており、独立した町のように感じられた。
二〇三高地
二〇三高地
爾靈山忠魂碑
ロシア式150ミリ・キャノン砲
重砲観測所
重砲観測所付近から
日本式280ミリ榴弾砲
旧旅順站
■
到着すると、タクシーを貸切で利用することとし、二〇三高地と旧旅順站を見物することになった。二〇三高地は、与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」で詠んだ日露戦争の激戦地だが、中国が当事者となった戦争ではないため、地元では有名な観光地とはなっていない。現在は冬には落葉した小木が立っているだけの何の変哲もない丘になっている。坂を登っていくと、頂上に爾霊山(にれいさん)忠魂碑が建っている。二〇三高地を占領した日本軍は、重砲観測所を設置してロシア軍の旅順艦隊に効果的な砲撃をすることができるようになったという。ただし、特に緒戦で突撃戦法を採ったため、多くの兵士が戦死した。日本軍は、初期の段階から兵士の命を大切にしなかったということであろうか。
■
タクシーの運転手は、ロシア側要塞跡の東鶏冠山北堡塁や旅順攻防戦の停戦が話し合われた水師営会見所なども案内したいと言い、スマートフォンの翻訳アプリケイションを使って勧誘してきたが、時間がなかったことと所持金が少なくなっていたことから断った。すると、「あなたは、遠い日本から訪ねる必要はない。」と示してきた。おそらく、「あなたは、これほど節約するぐらいなら、遠い日本からわざわざ訪ねる必要はない。」という意味であろう。そこで、財布を逆さにして示し、所持金が少なくなっている旨を伝えた。すると、「銀行で両替すればよい。」と示してくる。それに対して、eティケットの航空券を示し、時間がない旨を伝えた。しかし、出発時刻とチェックイン締切時刻の差異についての理解が不足しているためか、意は十分に伝わらなかったようだ。運転手は、声を荒らげることもあった。ただし、旧旅順站では写真を撮影してくれた。それに対する感謝の気持ちも込めて、10元のティップを渡した。降車後、大連站行汽車乗場が分からず困っていると、進むべき方向を運転手が遠くから指し示してくれた。
■
この時点で、帰国便の出発時刻の4時間前であった。時間的な余裕は十分にあると思ったが、その後、不運と失敗が続いた。大連站北広場行汽車は、北路(北回り)と南路(南回り)に分かれ、それぞれ直達(直行)汽車と公共汽車があるようなのだ。北路と南路では售票窓口も分かれており、どの汽車の到着が早いのか、外国人には見当が付かない。前の乗客が買った北路の切符を買うことにしたが、結果的には、定員に達した出発直前の汽車に今一歩で乗ることができず、次の便の出発まで25分待たされることになった。その間、南路を進む複数の大連站北広場行汽車が出発したようだ。南路の切符も同時に買っておけばよかったと後悔した。また、より根本的には、大連站北広場など中心部に向かう乗客は、南北路共通の切符を買い、南北路の汽車の検票口の中間に並んで、先発する汽車に乗ることができるようにするべきだと思う。汽車は途中からノン・ストップになるため、大連中心部に早目に到着することができるのではないかと期待したが、途中から道路が渋滞してきた。そのうちに、大連周水子空港に向かう道路との分岐に差し掛かり、空港とは逆の方向に進み始めた。ここで、空港までのタクシー料金を持っているのであれば迷わず汽車を降りるところだが、確信を持つことができず、大連站付近で地鉄に乗り換えて空港に向かうという決断を下した。旅順でタクシーの運転手に10元のティップを渡したことを少し後悔した。後になって考えてみると、汽車の乗車を続けたことは間違いであったと思う。現在位置は中心部よりも空港寄りなのだから、タクシー料金は、ガイドブックに記されている中心部−空港間の額よりも少ないと見当を付けるべきであった。また、大連站と空港の間にある地鉄站にタクシーに乗って向かうことも考えるべきであったと思う。渋滞する小道をしばらく走った後、大連站北広場に到着したのは出発時刻の2時間前であった。大連站南口で、最寄りの地鉄站に向かうためにタクシーを止めようとしていると、若い男性が近づいてきて、地鉄站へは徒歩で向かえばよいという。一旦はアドヴァイスに従おうとしたが、一刻の猶予もないため、思い直してタクシーに乗ることにした。最寄站が分からなかったため、大連站の近くにあると記憶していた站名を告げた。運転手は、機転を利かせて、それよりも1站空港寄りにある站での降車を促してくれた。そして、地鉄に乗って機場站に到着したのは出発時刻の1時間前であった。機場站から国際線ターミナルに向かうための案内は貧弱であり、空港内を走り回った。チェックイン・カウンターに到着したのは出発50分前であり、受付が締め切られているのではないかと心配したが、大丈夫であった。国際線のチェックイン・カウンターへは、前回の東南アジア旅行の際の昆明巫家覇空港と、1999年のシンガポール渡航の際の成田空港で、出発45分前に到着したという経験があるが、それに次ぐ遅い到着であった。出国審査とセキュリティ・チェックが終了し、搭乗口に向かっている時にはチェックインの受付は締め切られていた。おそらく、出発40分前までの受付であったのではないかと思う。タクシーの運転手が指定した通りの地鉄站に向かっていたとしたら、あるいは大連站の近くの地鉄站到着が3分遅れて次の列車に乗車することになっていたとしたら、締切時刻に間に合わなかった可能性がある。間一髪であったわけだ。失敗事例として記憶に留めておこう。
出発
大連
抜粋
回顧
概要
■現地での1日平均の滞在費用は約4,300円であった。
滞在費用のうち宿泊料金は1日当たり約4,700円(246元)であった。(1日平均の滞在費用を上回っているのは滞在費用の大半を占めていることと滞在日数・宿泊日数の相違による。)
■
中国は、前回の東南アジア旅行のほか、ミャンマー旅行とオーストラリア旅行の際に立ち寄ったことを含めて、20回目の訪問であった。訪問回数が他国を大きく引き離すようになってきた。
出発
大連
抜粋
回顧
概要
前訪問地発
路
当訪問地着
訪問地
出発
日本
東京
16日10:10
12:15
中国
大連
18日13:30
16:50
日本
東京
(
:空路)
訪問地
宿泊先
単価
泊
中国
大連
奥利加爾大酒店
CN.\
246
2
国名
通貨
為替
生活
食料
交通
教養
娯楽
中国
CN.\
19.1円
0
6.20
172.20
0
0
通貨計
JP.\
1.00円
0
118
3,281
0
0
国名
住居
土産
支出計
円換算
日
日平均
中国
492
0
670.40
12,775
3
4,258
通貨計
9,375
0
−
12,775
3
4,258
出発
大連
抜粋
回顧
概要
旅べえ
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第5部旅草子
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