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中国S

出発

成都

カシュガル

トルファン

抜粋
ウルムチ

成都2

回顧

概要

■成都双竜空港へは、予定よりも1時間早い深夜0時頃の到着となった。予約済みのゲストハウスには深夜到着となると連絡していたが、確実に伝わっているという確証はなかったため、早目に到着したことはありがたかった。

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互舎旅行酒店

空港の外に出ると、機場巴士の運行は終わっていた。タクシーに乗車することを検討しながら歩いていると、若い女性の客引きに声をかけられた。相手のスマートフォンの翻訳アプリケイションを使って料金交渉をした後、タクシーに乗り込んだ。

予約していたゲストハウスは、「ドミトリ」という言葉から通常抱く印象に反して非常に清潔に保たれており、好感を持つことができた。同室になったのは、皆、若い中国人であった。外国人のドミトリ利用は減ってきているのであろうか。

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成都

カシュガル

トルファン

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ウルムチ

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概要

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タクシーから

■カシュガル(カーシー、喀什)訪問を待ち遠しく思いながら、成都のゲストハウスをタクシーに乗って早朝出発する。ウルムチ地窩堡空港でトランジットを行うことになっていたが、セキュリティ・チェックを簡単に通過することができなかった。カシュガルは特別な場所だからとの説明があった。反政府運動が行われている地域にある町だという意味であろう。機内では、若い日本人カップルに、中国西北部に特化したガイドブックを見せてもらった。

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エイティガール寺院

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駱駝/水牛

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老城青年旅舎から

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市街

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商店街

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中西亜国際貿易市場

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カシュガル站

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阿勒泰行火車

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アクス站付近

ようやくカシュガル空港に到着したが、公共汽車はなかなか姿を見せない。空港の敷地外に出た辺りで、既に乗客の乗っているタクシーの運転手に呼び止められて、同乗させてもらうことになった。乗車後ではあったが、しっかりとディスカウントを要求した。

タクシーからは、エイティガール寺院の前で降りることになった。個室を確保してある青年旅舎まで行くことを要求するべきかどうか迷ったが、運転手が場所を理解しておらず、かえって時間を要することも考えられたので、自分で探すことにした。青年旅舎は思いのほか近くにあった。中に入ると、機内でガイドブックを見せてくれたカップルと鉢合わせした。カラクリ湖を訪ねるトゥアーを申し込んだという。

当地には警察官が多く配置されており、少し身構えてしまう。また、エイティガール寺院に入るために身分証明証の提示を求められるのも、セキュリティ上の問題のためであろう。一方、古城景区にいるためか、予想以上にウイグル人が多いように見受けられた。漢人とは居住区が分かれているようだ。案内板が、中国語(簡体字)、アラビア語、英語、ロシア語、日本語で書かれていることは興味深い。気温は高かったが、軽装にしたことと、湿度が低いことが影響しているのか、あまり苦にならなかった。はるばる中央アジア周辺にまで足を伸ばしてきたのだという感慨を抱きながら床に就いた。

西に寄った位置にある当地で朝の活動が始まるのは遅い。翌朝は早くから起きていたが、9時頃になってから外に繰り出し、小奇麗な古城景区をじっくり見物しながら中西亜国際貿易市場(バザール)に向かった。また、公共汽車に乗ってアパク・ホージャ墓(別称は香妃墓)へも足を運んだ。古城景区では、漢人の観光客を多く見かけた。

カシュガル站へは、トルファンに向かう火車が出発する1時間半前に到着した。進口(入口)は分かりづらいものであった。特快の硬座を予約していたが、切符の受け取りが必要であることを考えると、時間的な余裕はなかった。そして、售票処には長蛇の列ができていた。それでも30分ぐらい並べば順番が回ってくるのではないかと予想していたが、なかなか前に進まなくなることも起こるようになってきた。前方で割り込みが起こっているらしく、言い争いになっていた。そのうちに警察官が乗り出してきたが、隙を見ては列に並んでいる人に切符を買ってもらおうとする人が続出した。列に並んでいない人が窓口や列に近づくことができないようにする仕組みが必要であろう。出発30分前になってようやく順番が回ってきた。口頭で何か伝えられたが、理解することができなかったため、筆談を依頼してみた。すると、「停運」と示してきた。それも理解することができず、ヴァウチャーを見せながらトルファンに行きたいと伝えると、携帯電話を差し出してきた。英語を話すことのできる人に事情を伝えてもらおうという意図のようであったが、喧騒のため聞き取ることはできなかった。そして、筆談に戻り、当日は火車が運行していないことを理解し、仕方なく翌日の快速・硬座の切符を買うことにした。処理に数分を要したと思う。

当地に予定外の宿泊をしなければならなくなったが、満室のため連泊することはできなかった。その代わり、エイティガール寺院から至近距離にある青年旅舎であれば宿泊可能であることを確認し、紹介してくれた。ただし、ドミトリだ。

翌朝、目を覚ますと、若い中国人に声をかけられた。同室の若いコリアンにも声をかけていた。新疆ウイグル自治区で旅行代理店を営んでいるという。どうしてカシュガルを訪ねたのかと尋ねられ、中国の多様な文化に触れたいためだと答えた。同区は、かつてロシアに支配された北部と、中国が支配した南部では文化が大きく異なるという。そして、北部を訪ねることを勧められた。天山(テンシャン)山脈の北側一帯を指すのであろうか。また、ウイグル人は日本人と近い民族だと言われた。ウイグル語は、日本語と同じくアルタイ語に属すとされるトルコ語(テュルク語)系だからということであろう。

長時間に及ぶ火車旅行の始まりだ。2食分の食料を用意して乗り込んだ。車両はほとんどウイグル人で占められていた。硬座であるためか、あるいは漢人は別の車両に乗っているのか、気にかかるところだ。若い女性はスカーフで髪を覆うようなことはしていなかった。しばらくは静かにしていたが、そのうちに筆談が始まった。進行方向に向かって左側には、天山山脈が横たわっていた。

火車は深夜2時頃から駅に停車しており、そのままトルファン到着予定時刻が近づいてきた。既にトルファンに到着していて駅で夜が明けるのを待っているのかと期待したが、そうではなかった。前方で大雨が降っているのだそうだ。前日出発予定であった火車の運休も同じ理由からであろう。火車が動き出したのは7時頃であり、ゆっくりとした走りであった。

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高昌故城

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高昌故城

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アスターナ古墳群

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火焔山

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ベゼクリク千仏洞

■トルファン(トゥールーファン、吐魯番)は、天山山脈によって隔てられた天山北路と天山南路の分岐点に位置する。

■トルファン站到着は、予定よりも9時間遅れて午後になった。火車には約24時間半乗車していたことになる。站は、何と中心部から北西に約60kmも離れている。站がこれほど離れているのは、天山北路上にある区都のウルムチと、カシュガルなど天山南路上の町をできるだけ短く結ぶためであろう。公共汽車が見当たらないためタクシーに乗って中心部に向かったが、家屋などの全くない砂漠のような地形がえんえんと続いた。当地では青年旅舎の個室を2泊予約していたが、1泊目がノウ・ショウ(不参、予約の無断キャンセル)となってしまっていたため、2泊目の予約が取り消されていた。そこで、宿泊可能だというドミトリに泊まることにした。

次いで、青年旅舎のスタッフに、郊外の観光名所をどのように訪ねるのがよいか相談してみた。すると、青年旅舎で同行者を募ってトゥアーを組むのが一般的だとのことであった。また、ほかの観光名所と方角の異なる交河故城(ジャオヘ・グチョン)は1日目に訪ねておく必要があると言われた。ただし、疲れていたため、腰を上げる気にはならなかった。

翌朝、ヨーロッパ系だと思われたチェックインしたばかりの若い女性に声をかけ、一緒に郊外を訪ねることにした。両親がイランから移住したオーストラリア人だという。イランを時々訪ねているとのことであった。そして、東南アジア諸国や日本などを訪ねた後に当地に足を向けたとのことであり、さらにカザフスタン、ジョージア、トルコなどを訪ねる3か月の旅の途中だという。カシュガルを訪ねるとよいのではないかと推薦しておいた。また、スマートフォンに保存してある写真を見せながら、中国各地での経験を説明した。中国中央部では町の印象が変わらないのではないかと尋ねてきたため、トレッキングなどの活動を含めると印象深い旅になると説明した。6世紀以降の王城跡である高昌故城(ガオチャン・グチョン)、麹氏高昌国などの墓地群であるアスターナ古墳群(カラ・ホージャ古墳群)、唐の玄奘の天竺行を題材にして明代に成立した奇書「西遊記」に火炎の上がる山として登場する火焔山(フゥオヤンシャン)中にあり6世紀に開削が始まったベゼクリク千仏洞を見物した。

見物が終わると、前日に市街にある售票処で2等座の切符を買ったCRH(動車)に乗るため、タクシーに乗ってトルファン北站に向かった。通常、CRHの発着站は在来線の站よりも郊外に設置されることも多いが、当地ではトルファン站が中心部からあまりにも離れているため、近くに感じる。また、トルファン站よりもはるかに南に位置するにも関わらず、トルファン北站という名前が付けられているのは分かりづらい。

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トルファン

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百時快捷酒店

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光明路

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キーグズイ

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天池

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西王母祖廟往来

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飛竜譚

■ウルムチ(ウールームーチー、烏魯木斉)站到着は、19時半頃であったが、まだ明るい。暗くなる前に予約済みのホテルに向かいたかった。ガイドブックに掲載されている地図を見ると、站から十分に徒歩圏内にあるように思われた。しかし、様子がおかしい。まず、站構内で、「新客站」という表示を見かけ、訝しく思った。次に、站舎を出ると、どちらの方向に歩いても、多くの道路が途中で行き止まりになってしまう。ようやく大通りを見つけても、多くの自動車はかなりのスピードで走り過ぎていき、郊外にいるように感じられた。地図から連想される中心部という雰囲気がない。そこで、站に戻ると、汽車站が見つかった。そして、公共汽車の運行経路を見ると、ホテル近くの道路はむしろ南站に近いことが分かった。この時点で、現在位置はガイドブックの地図に記されているウルムチ站ではないと見当を付け、公共汽車に乗ってホテル方面に向かうことにした。しかし、最初は逆方向に向かう公共汽車に乗ってしまった。車内では、逆方向に折り返すために都合のよい汽車停留所を乗客に教えてもらった。何とか站に戻り、今度は進行方向をよく確かめて公共汽車に乗った。ところが、何と公共汽車がタクシーに衝突されてしまい、運行を継続することができなくなってしまった。そこで、後続の公共汽車に乗り直して、ようやくホテル方向に向かうことができた。ホテルは複合施設の一角にあったが、公共汽車の中から目ざとく看板を見付け、最寄りの停留所で降りることができた。もちろん、夜の帳はすっかり下りていた。後で調べると、CRHの開通に伴って郊外にある站がウルムチ站と改称され、中心部にある旧ウルムチ站はウルムチ南站と改称されたとのことであった。持参したガイドブックは最新版ではなく、変更が反映されていなかったのだ。防ぐことの難しかった失敗ではあるが、街の様子には敏感でありたいと思う。

翌日は、天池(ティアンチ)訪問を予定していた。トゥアー参加を検討していたが、受付窓口が見つからなかったため、個人で向かうことにした。例によって、ガイドブックに掲載されていない中国の観光地を紹介することを目的に掲げているウェブサイトに頼ることにした。それによると、まず北郊客運站に向かう必要がある。BRT(専用のプラットフォームを持つバス・システム)を乗り継いで向かった。そして、阜康行汽車の切符を買うことができた。汽車の中では、筆談によって漢人の家族と親しくなり、一緒に天池を観光することにした。阜康でワゴンに乗り換えた。

天池景区に入ると、哈薩克(カザフ)民族風情園に立ち寄ることになった。キーグズイという移動式住居などを見物した。カシュガルで主役であった少数民族が、当地では漢人の見物対象となってしまっていることは、少し残念であった。その後、区間車に乗って天池に向かった。標高約2,000mの天池から眺める標高約5,400mのボゴタ峰の景観は、中国のスイスという比喩も納得することのできる見事なものであった。漢人の家族はそれぞれ別行動することとなり、夫君と湖畔の道路を辿って西王母祖廟を訪ねることにした。また、飛竜譚に立ち寄った。

帰路は、直接ウルムチに向かう汽車に乗ることができた。一時、交通渋滞に巻き込まれ、フライトのチェックインに間に合わないかと焦ったが、片側車線を塞いで行われていた工事区間を過ぎるとほぼ順調に走ることができるようになった。北郊客運站でタクシーに乗り換え、出発3時間前にウルムチ地窩堡空港に到着した。

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カシュガル

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正府街

■成都に向かうフライトの出発は、3時間の遅延となった。成都双竜空港到着は翌早朝5時頃となり、複数の乗客を順に送迎する免費接送という無料送迎サーヴィスを利用すると、予約済みのゲストハウスに到着した時には6時半になっていた。シャワーを浴びるためにチェックインに拘ったのだが、時刻があまりにも遅かったため、当日分のチェックインと勘違いされて手続きが円滑に進まなかった。

空港へは、機場巴士に乗って戻った。

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カシュガル

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ウルムチ

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概要

■現地での1日平均の旅行費用は約4,600円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高はウルムチの約1,800円(109元)で、最低はカシュガル2泊目などの約840円(50元)であった。

中国中央部にはない多くの魅力を秘めた地域の様々な側面を垣間見ることができて満足している。一方で、中国西域と地続きの中央アジアに足を向けたいという旅心が湧き上がってきている。

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成都

カシュガル

トルファン

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ウルムチ

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概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
9日20:05 空路 23:55 中国 成都
10日8:10 空路 11:40 ウルムチ
12:50 空路 14:40 カシュガル
12日13:15 鉄路 13日13:55 トルファン
14日18:00 鉄路 19:20 ウルムチ
15日09:05 道路 10:25 阜康
10:45 道路 11:00 天池
17:45 道路 19:15 ウルムチ
16日01:45 空路 05:00 成都
12:35 空路 18:00 日本 東京

訪問地 宿泊先 単価
中国 成都 互舎旅行酒店 CN.\ 86.26 1
カシュガル 老城青年旅舎 CN.\ 95.00 1
白米爾青年旅舎 CN.\ 50.00 1
トルファン 達蔔青年旅舎 CN.\ 50.00 1
ウルムチ 百時快捷酒店紅山店 CN.\ 109.00 1
成都 互舎旅行酒店 CN.\ 86.26 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
中国 CN.\ 16.7円 1
内訳
258.50
内訳
693.50
内訳
0 625
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 17 4,324 11,599 0 10,454

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
中国 634.52
内訳
0 2,225.48 37,006 8 4,626
通貨計 10,613 0 37,006 8 4,626

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カシュガル

トルファン

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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