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台湾

出発

台北

抜粋

花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

■台北(タイベイ、タイペイ)の中正空港へは、夕方に到着した。タクシーの乗車を勧誘されたが、機場巴士に乗って市内に入ることにした。市内まではかなり道路が渋滞していた。巴士站(バス停留所)から少し歩くと、初日から2泊を予約しておいた希爾頓大飯店(ヒルトン)だ。台北車站(火車駅)の正面にあり、周囲は相当な賑わいだ。

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孔子廟

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忠烈祠

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台北車站前

翌日は、あいにくの雨であったが、タクシーを乗り継いで、国立故宮博物院、儒教の寺という孔子廟(コンズィミャオ)、忠烈祠(ヂュンリエツィー)を訪ねた。国立故宮博物院には、国民党が中国本土から台湾に逃れてきたときに運び込まれた遺物が所狭しと並べられており、見応えがあった。戦死した兵士を祀っている忠烈祠では、衛兵交代を見物することができた。

国立故宮博物院から孔子廟に向かうために乗ったタクシーでは、運転手に飲茶を勧められ、断るとタクシー乗場ではない場所で降車するよう強く促された。雨に打たれながら別のタクシーを探さざるを得ず、割り切れない思いが残った。

一旦ホテルに戻った後、翌日の火車を予約するために母と台北車站に出かけた。台北以外では、花蓮と日月潭を訪ねようと考えており、台北から花蓮まで鉄道を利用することにしたのだ。車站では電子掲示板が利用されるなど近代化が進む一方、切符売場は中国に負けないぐらい多くの人で溢れていた。しかし、前方に並んでいた人は順調に捌かれていき、割り込みをするような人は皆無であったため、程なくして順番が回ってきた。オンライン化は中国とは比較にならないほど進んでいると思われる。中国旅行の際と同様に筆談によって火車の指定をした。また、花蓮での宿泊先や、花蓮から台中(タイジョン)までのフライトを確保することができ、この旅の骨格が固まってきた。

夕食に際しては、市街のレストランに繰り出すことにした。この旅ではホテル内のレストランで食事を済ませることが多く、市街で食事をした数少ない経験だ。首都の中心部であるだけに裏通りを歩いていても街路には様々な店が並び、また多くの人が繰り出している。「だんご3兄弟」という日本の流行歌も聞こえてきた。非常に賑やかだが、洗練されているとの印象は受けない。どちらかと言うと、雑然としているとの印象だ。これは、「花より団子」と言うか、外見よりも内容を重視する漢人(漢民族)の気質によるものではないかと思う。中国本土や、バンコクのヤワラー通り、ホーチミン・シティのチョロン、シンガポールなどのチャイナ・タウンなどと並べてみた時に、それぞれの経済発展段階に応じた特徴を捨象すると、共通した雰囲気を醸し出しているように思うのだ。市街にレストランは多かったが、母が満足するようなレストランを探すことは難しかった。ようやく見つかったレストランには英語を話す店員がおり、メニューになかったとうもろこしと卵のスープの注文を受け付けてくれた。

出発

台北

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花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

■花蓮(ホアリエン)に向けて、台北車站から最速の特別急行火車の自強号に乗った。車站には通勤火車も乗り入れており、日本とあまり様子は変わらない。プラットフォーム番号が数字に「月台」という言葉を付けて表されるということさえ覚えておけば、日本の巨大ターミナル駅よりもはるかに親しみやすいという印象を受ける。車中からの風景も、日本とあまり変わらないという印象を受けた。ただ、母によると、中には日本では見られないような貧相な家もあったとのことであった。

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太魯閣

午前中に花蓮車站に到着し、送迎のワゴンに乗って中信花蓮大飯店(ヂョンシン・ホアリエン・ダーファンディエン)に向かった。送迎は便利ではあるが、ホテルが花蓮のどの辺りにあるのかは不明なままだ。ホテルに到着すると、スタッフに太魯閣(タイルーガー、タロコ)観光について相談した。そして、午後からのトゥアーに参加することになった。トゥアーと言っても、ほかに参加者はなく、セダン(一般的な形状の自動車)に乗って向かうことになったため、貸切のタクシーや運転手付のレンタカーと何ら変わりはなかった。運転手は、たどたどしいながらも英語を話すことができた。

太魯閣は、大理石が侵食されてできた渓谷であり、断崖絶壁が延々と続く。渓谷の最奥部の天祥まで上り小休憩を取った後、帰路は一部区間で車外に出て渓谷に沿って歩き、断崖絶壁を間近に眺めた。

出発

台北

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花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

■日月潭(リーユエタン)は、中部の内陸部にある台湾最大の湖だが、交通の便はよくない。花蓮からは巴士に乗って向かうことが一般的であろうが、両親のために移動の負担をできるだけ軽くしようと台中まで飛行機を利用することにした。国華航空だ。ただし、台中からだと簡単に訪ねることができるというわけではない。台中車站から火車に乗り、二水車站で火車を乗り換え、水里車站で巴士に乗り換えて、ようやく日月潭に到着した。

日月潭巴士站にはタクシーが並んでいたが、予約した中信日月潭大飯店(ヂョンシン・リーユエタン・ダーファンディエン)に向かうよう依頼しても応じようとしてくれない。代わりに、タクシーを貸切にして日月潭を観光しないかと持ちかけられた。貸切は利益が大きいのであろうが、指定した場所に向かってくれないのであれば、インドの悪徳リクシャーと変わらないかもしれない。仕方なく近くにある雑貨店からホテルに電話をかけ、送迎車を依頼した。送迎のワゴンには、ほかに若い香港人カップルが乗った。台湾は香港人にとって手頃な観光地なのかもしれない。

ホテルは日月潭の湖畔に建てられており、のどかな風情を楽しむことができる。花蓮と同じ系列のホテルであるため雰囲気が分かっており、安心してくつろぐことができた。部屋の中から日月潭を眺めたり、周辺を散策したりした。

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日月潭

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九族文化村

翌日は、タクシーを貸切で利用し、文武廟や慈恩塔など日月潭を取り巻く建物を見物しながら、様々な角度から日月潭の景観を楽しんだ。

その後、九族文化村(ジォウズウウェンホアツゥン)を訪ねた。台湾の先住民族の生活をテーマにした施設で、入口では先住民族の民族舞踊による出迎えを受けた。そして、その先には広い敷地に復元された先住民族の住居が待っていた。一部の住居では、編物や木工細工など先住民族の習俗を実演によって示してくれていた。

台湾が国際政治の舞台で取り上げられる時、議題とされるのは台湾海峡を挟んだ中国との紛争、台湾の中国からの独立、中国による台湾の併合などの問題だ。そして、他国と同様、先住民族の問題が議題とされることはほとんどない。日本での認識も、高砂族という先住民族がいるという程度のものであろうが、これは併合時の呼称だ。正確に言うと、マレイ・ポリネシア語族に属するアミ族やタイヤル族などの先住民族が東部や内陸部などに住んでいる。台湾では先住民族の人権問題は深刻化していないのかもしれないが、国際問題について議論する時、先住民族や少数民族の問題には敏感でありたいと考えている。

九族文化村からは巴士に乗り、台中で火車に乗り換えた。再び自強号だ。火車の予約はしていなかったが、予想していたよりも順調に台北に戻ることができた。

出発

台北

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花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

■台北では、六福客桟(リゥフーカーヂャン)というホテルを予約していた。入国時よりもランクを下げたわけだが、車站前の一等地にないというだけで、豪華な設備が整っており、コスト・パフォーマンスはよいように思われた。

出国日は、台北郊外の桃園(タオユアン)にある小人国(シャオレングオ)を見物することとし、火車とタクシーを乗り継いで向かった。小人国では、世界の有名な建造物がすべて25分の1に縮小されて展示されている。非常に精巧にできており、世界一周旅行を行ったような気分を味わうことができる。両親にとっては、万里長城など訪ねたことのないものと、自由の像など訪ねたことのあるものの双方とも興味深かったようだ。現存しない建造物の往時の威容を教えてくれる東大寺の七重塔などは見応えがあった。また、台北で訪ねることのできなかった中正記念堂などの見物もちゃっかり済ませてしまった。

帰路は巴士を利用することとし、往路と同じく小人国の最寄りの中歴車站で乗り換えるつもりであったが、さらに桃園車站まで行った方が中正空港に向かう巴士を探しやすいと考え、そのまま乗り続けることにした。これが大失敗であった。中歴車站を過ぎた辺りから次第に交通渋滞が激しくなり、桃園市街に差し掛かるとほとんど動かなくなってしまった。台北郊外にあるため渋滞が発生しやすいとの情報は入っていたが、これほどとは理解していなかった。ようやく桃園車站に到着したのは帰国便の出発時刻の2時間程度前であり、悪いことに朝から降り続いていた雨が一段と激しくなってきた。車站前のタクシー乗場には地元の人によって長蛇の列ができており、タクシーの台数は限られていたため、どの程度の待ち時間になるか見当を付けることができなかった。また、巴士は大雨によって拍車がかかった渋滞のためダイアが乱れており、空港に向かう便の運行の見通しは立たないようであった。万策が尽きたかと思われたが、車站と巴士站の間にある道路脇に停車しているタクシーを見つけた。おそらく近距離の利用の可能性の高い地元の乗客を敬遠して空港に向かう乗客を乗せるために変則的な場所に停車していたのではないかと思う。運転手の才気によって救われることになった。しばらく道路は渋滞していたが、桃園中心部を抜けると快適に走ることができるようになった。空港に到着したのは出発の約1時間前であったが、搭乗に際して特に支障はなかった。

帰国後、両親は当日中に新宿高速バス・ターミナルから夜行バスに乗って関西に戻ることになっていた。京急電鉄の列車に乗って都心に向かったが、途中、京急蒲田駅で危うく乗り換えに失敗するところであった。乗換案内が十分ではなかったためだ。京急電鉄が都心と羽田空港を結ぶ足となるよう全力を傾注していくとしたら、アクセスにはもっと配慮が必要であろうと思う。

出発

台北

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花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

■現地での一人1日平均の旅行費用は約10,000円であった。旅行費用のうち一人当たり宿泊料金の最高は入国時の台北の約7,500円(1,980台湾元)で、最低は出国時の台北の約3,800円(1,000台湾元)であった。1995年の韓国旅行以来の豪華な旅行であり、現地に入ってから高級ホテルを予約することができるかどうかという不安もあったが、国際線のフライトを予約した旅行代理店に貰ったリストなどを見ながら直接ホテルに電話をかけ、予約することができた。中には日本語が通じるホテルもあった。

台湾は、韓国と並んで日本の隣国と言うことができる。1972年の日中国交正常化の後、日本との国交は断絶したが、経済交流は活発だ。国民性か異なるためか、韓国と比べて第二次世界大戦の補償問題がマスメディアを賑わせることは少ないが、日本による統治の歴史は韓国よりも長く、日本人としては台湾との間に起こったことに無関心であってはならないと思う。また、著しい発展が見込まれるIT(情報技術)産業の分野では、日本よりも産業基盤の集積が進んでいるとさえ考えられ、台湾が21世紀に羽ばたく素地はできていると思う。国際政治の舞台では孤立が続くのかもしれないが、中国ともども飛躍的な経済発展が続けば、むしろ共同市場の創設など経済的な連携が重要な課題となり、そのうちに独立か統一かというような政治的な問題は雲散霧消してしまうかもしれないと考えている。いずれにしても、目の離せない地域であることは間違いない。

出発

台北

抜粋

花蓮
日月潭

台北2

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
4日14:30 空路 16:45 台湾 台北
6日07:20 鉄路 10:00 花蓮
7日08:50 空路 09:40 台中
10:50 鉄路 12:20 二水
12:30 鉄路 13:00 水里
13:30 道路 14:00 日月潭
8日13:00 道路 15:00 台中
15:30 鉄路 17:30 台北
9日17:20 空路 21:15 日本 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 空路 :空路)
訪問地 宿泊先 単価
台湾 台北 希爾頓大飯店 TW.$ 5,940 2
花蓮 中信花蓮大飯店 TW.$ 3,360 1
日月潭 中信日月潭大飯店 TW.$ 3,360 1
台北 六福客桟 TW.$ 3,000 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
台湾 TW.$ 3.78円 55
内訳
7,740
内訳
13,581
内訳
0 4,930
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 208 29,289 51,392 0 18,656

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
台湾 23,482
内訳
0 49,788 62,802 6 10,467
通貨計 88,859 0 188,405 62,802 6 10,467
(注)円換算と日平均は一人当たり。

出発

台北

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花蓮
日月潭

台北2

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概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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