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シンガポール

出発

シンガポール

抜粋
バタム

回顧

概要

写真
市街

■シンガポールのチャンギ空港に到着すると、シャトル・バスに乗ってホテルに向かった。前回の渡航の際に泊まったホテルからも近いマリーナ・マンダリンだ。ホテルに向かう前にオーチャード通りにあるホテルに立ち寄っていったため、繁華街の賑わいを確認することができた。

チェックインを済ませると、ホテル周辺を散策した。前回の渡航の際に泊まったホテルとの位置関係などを確認することによって気分を落ち着かせようと考えたのだが、暗くなっていたこともあり、林立する高層ビルディングが放つきらびやかな光に圧倒されただけであった。
マリーナ・マンダリンは、マリーナ・スクウェアという複合施設の一角を占める。昼食のためには各国の料理を堪能することができるマリーナ・スクウェア内のレストラン街を目指せばよいため、非常に便利であった。

当地に滞在している関係者と待ち合わせ、オーチャード通りにあるカラオケ・バーに繰り出すことがあった。近況などを尋ねたが、生活は悪くなさそうであった。カラオケ・バーを出た時には深夜になっていたが、自家用車を運転してタンジョン・パガー駅(シンガポール駅)に連れていってもらった。賑やかなオーチャード通りとは全く対照的なうらぶれた場所にあった。シンガポールが東南アジアの一角にあるのだということを改めて認識させられた一瞬であった。

出国前日は、同行者と免税店でウィンドウ・ショッピングを楽しんだ後、夕食のためにタクシーに乗ってボウト・キーに向かった。シンガポール川がマリーナ湾に注ぐ中心部にあり、高層ビルディングに囲まれているが、河岸に沿って各国のレストランが競ってテイブルを張り出している。地元のレストランを選び、船の往来を眺めながら時間をかけて海鮮料理を堪能した。さらに、MRTとバスを乗り継いで、ナイト・サファリを訪ねた。

写真
マーライオン

出国日は、夜の出立までの時間を利用し、前回の渡航の際と同様に当地を郊外を含めて存分に満喫しようと考えていた。ところが、あいにく朝から雨が降り続いていた。そこで、しばらくホテルのチェックアウトを見合わせた。雨はいつまで経っても上がらなかったが、昼頃になって意を決してホテルを出た。セントーサ島、インドネシアのバタム島、マレイシアのジョホールバルの順に訪ねたいという希望を持っていたが、出発が遅れたため、見通しは暗かった。ホテルの近くにあるマーライオン公園に立ち寄り、高層ビルディングに囲まれて立っているマーライオンの見物を済ませると、バスとフェリーを乗り継いでセントーサ島に渡った。

写真
マーライオン・タワー

写真
セントーサ島から

■セントーサ島では、マーライオン・タワーとイメイジズ・オヴ・シンガポールを見物した。マーライオン・タワーは新しく建てられたもので、中心部にあるマーライオンとは桁違いの大きさだ。大きさを比べること自体が間違っているかもしれない。何と言っても頭部は展望台になっており、遠くの島を見渡すことができるのだ。オリジナルのマーライオンは、シンガポールのシンボルとなるにしては小さなものであり、ブリュッセルの小便小僧などとともに、旅行者が訪ねてがっかりする世界の観光名所の中に入れられることが多い。そこで、国の威信を賭けて、旅行者の肝を潰すようなマーライオン・タワーの建設を行ったのではないかと思う。野性的な勇姿はシンガポールの新しいシンボルとして適当なような気もするが、雄性を前面に押し出しているため、遠い将来には男女平等の立場から問題視されることがあるかもしれない。

イメイジズ・オヴ・シンガポールでは、19世紀にブリティッシュのトウマス・ラッフルズが来航し、貧しい漁村から連合王国植民地となり、海上交通の中心地として繁栄するようになってからのシンガポールの歴史を蝋人形などによって詳しく説明している。圧巻は1942年の連合王国軍の日本軍への降伏の場面であろうか。シンガポール華人大虐殺事件などもあり、日本に対して向けられている厳しい視線を再認識したような気がする。セントーサ島にある様々な観光名所の中でも必見だと言うことができるであろう。

帰路は、ケイブル・カー(日本語ではロウプウェイ)に乗ることにした。後方にマーライオン・タワー、前方に高層ビルディングを眺めながら、ゆっくりと本島に戻った。

出発

シンガポール

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バタム

回顧

概要

■バタム島も、2回目の訪問となる。フェリーを降りてインドネシアに入国すると、タクシーに乗ってナゴヤに向かった。ナゴヤまでの道路は、部分的に拡幅され、中央線が引かれて2車線(片側1車線)になっていた。正に拡幅工事が行われている区間もあった。

写真
市街

ナゴヤに到着してからも、発展が進んでいるバタム島の様子を窺うことができた。全体としては東南アジアの普通の町という印象だが、交通量は前回の渡航の際よりもはるかに多くなっていた。少し先には、この程度の町には似つかわしくない近代的なホテルが立っている。商店街でも、古びた店のすぐ隣にオーチャード通りの店かと見紛うばかりの洗練された店が立っており、その店の前だけ歩道がタイル貼りになっていることがある。このような不均衡な発展は、外部からの影響を強く受けて急速に開発が進んでいる地域の特徴だと言うことができると思う。バタム島の場合は、生産の場としても消費の場としてもシンガポールの外延的発展の中に組み込まれてきたということであろう。

シンガポールに戻ると、タクシーとMRTを乗り継いでマレイシアに入国したいと考えたが、MRTの最寄駅からイミグレイションまでは予想以上に距離があった。帰国便の出発時刻が迫ってきたため、ジョホールバル訪問は諦めることにした。ただ、このような国境近くの場所でもよく整備された高層住宅が立ち並んでいることには驚かされ、シンガポールの国土政策が徹底していることを再認識させられた。マリーナ・マンダリンに戻って預けていた荷物を受け取ると、タクシーに乗ってチャンギ空港に急いだ。帰国は翌朝であった。

出発

シンガポール

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バタム

回顧

概要

■現地での1日平均の滞在費用は約14,000円であった。滞在費用のうち宿泊料金は1日当たり約14,000円(188.64シンガポール・ドル)であった。(1日平均の滞在費用と同額なのは滞在費用の大半を占めていることと滞在日数・宿泊日数の相違による。)

当地は4年振りの訪問であった。シンガポールに目立った変化はなかったが、バタム島の変貌振りには驚かされた。急速に発展している様をこの眼で確認することができたと感じている。今回は訪ねることができなかったジョホールバルの現状も同じようなものであろうか。10年後にはシンガポールと一体化した経済活動が行われているかもしれない。超近代都市シンガポールと目と鼻の先にあるこれらの町でシンガポールと全く趣を異にする文物が見られるということも面白いが、経済発展の現場に立ち会うということは一層興味深いと思う。

出発

シンガポール

抜粋
バタム

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
29日12:00 空路 17:25 シンガポール シンガポール
3日15:50 水路 15:35 インドネシア バタム
17:45 水路 19:25 シンガポール シンガポール
23:15 空路 4日07:00 日本 東京
水路 :水路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
シンガポール シンガポール Marina Mandarin SG.$ 188.64 4

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
シンガポール SG.$ 72.9円 0 226.50
内訳
94.10
内訳
0 50.75
内訳
インドネシア −円 0 0 0 0 0
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 0 16,509 6,859 0 3,699

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
シンガポール 776.81
内訳
0 1,148.16
内訳
82,227 4.9 16,781
インドネシア 0 0 0 1,458 0.1 14,577
日本 0 0 0 0 1.0 0
通貨計 56,619 0 83,685 6.0 13,948
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
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