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■2000年8月、8日間の旅程でバングラデシュに足を運んだ。数えて19回目の海外渡航だ。

バングラデシュは、アジアの中では15番目の訪問国となるが、それまでに訪ねたほかの多くの国とは異なり、以前は自分が訪ねることになるとは思いもしなかった。1971年にパキスタンから独立したイスラーム教国という知識はあり、モンスーン(季節風)によって繰り返し洪水に悩まされている人口稠密な世界最貧国という印象はあるが、特に旅心をそそるような遺跡などについての情報は伝わってこない。はたして無事に旅をすることができるのであろうかという不安と、しょせんインドの田舎に過ぎないのだから急いで訪ねる必要はないという先入観があって、なかなか足が向かなかったのだ。

バングラデシュを自分が訪ねるべき国として身近に感じることができなかったのは、日本語のガイドブックが出版されていないということも影響している。ただし、それまで、バングラデシュの情報に接する機会が全くなかったわけではない。まず、初回のラオス旅行の際に利用したのがダッカ行のビーマン・バングラデシュ航空であった。バングラデシュ人のフライト・アテンダントのサーヴィスを受け、彼の地は決して近づくことのできない世界にあるわけではないのだと感じた。また、インド紀行を読んでいる時に、インドとバングラデシュの国境を越えてカルカッタとダッカの間を陸路によって移動している旅行者がいるということを知った。ただ、この移動は困難だと書かれており、どのような試練があるのかと気にかかっていた。さらに、コンピューター通信やインターネットにアクセスするようになると、旅行記などバングラデシュの情報に接することができるようになった。それらによって、少なくとも全く旅をすることができないわけではないということは分かった。

一方、未知の国を訪ねることに対する憧れは以前からずっと感じている。中国やインドなどを初めて旅行した際にも情報の伝わってこない国を訪ねるという意識はあったが、実際に訪ねてみると観光地には外国人旅行者が押しかけているということが多く、未知の国というイメイジからは程遠かった。ヴェトナム旅行の際に発行されていた唯一の日本語のガイドブックは、主として学生を対象としたガイドブックとして出発し地域別や国別のガイドブックを発行して圧倒的な発行部数を誇っている出版社のメイン・ストリームから外れ、秘境を対象としたマイナーなシリーズの中に組み入れられたものであったが、そのような時でさえ、外国人は上客として出迎えを受けることが多かった。もちろん、田舎まで足を伸ばすと、観光化されていないありのままの生活に接することができるのであろうが、旅行日数などが障害となり、そのような経験をすることはできなかった。そして、インド南部やアフリカなどに関心が向かうようになっていた。

そのような中で、前回の東南アジア旅行の際にタイからラオス北部を経由して中国に抜けるために利用した書籍と同じ発行所が発行している同人誌が、前年にバングラデシュの特集記事を掲載した。そして、バングラデシュにも地方に様々な特徴を持った町があることを知り、関心が高まった。

バングラデシュを訪ねることを決断し、具体的に旅程を練ることになった時、最初に考えたのは、バングラデシュとインドの間を陸路によって移動してみたいということだ。そして、現地の発着空港をダッカと、インドのチェンナイ(旧マドラス)またはカルカッタなどとするオウプン・ジョーを利用することができないかと旅行代理店に相談した。しかし、盆前のピーク・シーズンであったこともあり、それらの区間ではオウプン・ジョーを利用することはできないとのことであった。それでも前回の東南アジア旅行の際のように往復航空券と1フライトを組み合わせることによって同様の効果を持たせることはできなくもなかったが、むしろ訪問国をバングラデシュに絞った方が旅を満喫することができるのではないかと考え直した。そして、ビーマン・バングラデシュ航空のダッカ往復のフライトを予約した。

前回のシンガポール渡航の際の反省から出発時刻の4時間前には自宅を出発することとし、早朝から荷造りを始めようとしたが、何とデイパックが見つからない。実家に置いたままにしてしまったかもしれないと少し焦ったが、しばらく考えてショルダーバッグに荷物を詰め込むことにした。何とか荷物を詰め込むことはできたが、バックパッカーでなくなってしまったことは残念であった。この旅では途中で乗り換える必要がないように、東京駅からエアポート成田に乗ることにした。快速列車であるにも関わらず、千葉駅からは普通列車のようになってしまい、「エアポート成田」の看板に偽りがあるのではないかと感じた。

成田空港には出発時刻の1時間半程度前に到着したが、指定のチェックイン・カウンターで航空券を受け取った後、別のカウンターでチェックインすることになっており、USドルへの両替もまだ行っていなかったため、搭乗待合室に辿り着いた時には早くも搭乗が始まろうとしていた。託送荷物があったとしたらセキュリティ・チェックにも手間取っていたであろうから、さらに慌ただしい出発になっていたであろう。乗客の中には、流暢な日本語を話すバングラデシュ人がいた。就業先の日本で結婚し、子供もいるようだ。エアポート成田が予想に反して長距離用のクロス・スィートではなく近距離用のロング・スィートであり、東京駅で買った朝食用のサンドウィッチを人目が気になって食べることができなかったため、搭乗待合室で一気に頬張ってから搭乗口に向かった。

チェックインに際しては禁煙席を指定し、搭乗券にもそのように記されていたが、機内では隣のバングラデシュ人男性がタバコを吸い始めた。ほかの乗客の迷惑にもなると思って注意すると、喫煙席であることをフライト・アテンダントに確認済だという。自分で確認すると答えてしばらくそのままにしていると、喫煙者の同胞を連れてきて、禁煙席と交代しようと言ってきた。男性の才気に感心する一方、喫煙席の管理さえ十分にできないビーマン・バングラデシュ航空に対して不満を感じた。機内食の配膳に際しても乗客にメニューの希望を聞かず適当に行っており、もっとサーヴィスの向上に意を配るべきだと感じた。

経由するバンコクのドーン・ムアン空港では、機外に出るために搭乗券の確認をされた。搭乗後も搭乗券が必要とされた初めての経験だ。出張のために同じくダッカに向かう皮革関係の会社に勤める日本人男性二人に再搭乗の手続きを教えてあげた。バンコクまでの乗客には若い日本人が多かったが、バンコクからは現地に滞在するためにダッカに向かっていると思われる家族連れのヨーロピアンが目立った。

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