■1989年2月、3回目の海外旅行の渡航先に韓国(ハングク、大韓民国、南朝鮮)を選び、神戸を出発した。国内移動の2日間を除いて9日間の旅程だ。海外旅行としては初めての一人旅であったが、そのことに対する不安は特に感じなかった。
■日本と韓国は、今世紀前半の領土併合を経て、1950年に起こったコリア(朝鮮や韓国の意、高麗の転化)戦争後も、同じ資本主義国でありながら「近くて遠い国」と言われるような微妙な関係にある。隣国に対する理解を少しでも深めたいという心持ちで旅に臨んだ。ヴィザは便利なことに在神戸総領事館で簡単に取得することができた。
■この旅では渡航費用(海外のゲイトウェイまでの移動費用)の節約に努め、韓国への渡航は下関港と釜山港の間を運航している関釜フェリーを利用することにした。また、関西から西国へも、神戸の六甲アイランド港と北九州の小倉日明港を結ぶフェリーに乗った。そのため、釜山到着までに1日半、2晩を要する長旅となった。その結果、現地に滞在することができたのは7日間だけとなってしまったが、釜山から、大田(テジョン)、忠清南道(チュンチョンナムド)の扶余、首都ソウル、京畿道(キョンギド)の板門店と北上した後、南東部に戻って慶尚北道(キョンサンプクド)の慶州を訪ねるなど、国内を幅広く移動した。釜山、大田、ソウルは特別市(ソウルを除いて厳密には広域市)だ。
■下関港に到着すると、日本在住のコリアン(コリア人)と思われる多くの乗客が出航を待っていた。対馬海峡は有史以来多くの大陸文明が日本に伝来したルートだが、現在でもこの海峡を渡って様々な経済交流が行われているということを実感した。関釜フェリーの2等室は仕切りのない床の上に直接寝るようになっているものだが、多くの乗客で埋まっていた。前年、国内旅行の際に夜行フェリーに乗っていて風邪を引いてしまったことの反省から、暖を取るように心掛けた。対馬海峡は波が荒く、かなり船酔をしたが、ある程度の睡眠を取ることはできたようだ。船内では、日本人男子学生にコリア語を教えてもらった。船は暗いうちに釜山沖合まで来ていたようだが、夜が明けるのを待って釜山港に入港した。
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