■1992年9月、インド(バーラト)に出かけた。海外旅行回数は6回を数え、旅程は16日間を確保することができた。インドは以前からぜひ訪ねてみたいと考えていたが、長期休暇を取ることができる見込みが立ったため、渡航を決断したのだ。
■フライトはエア・インディアを利用し、カルカッタ・イン、デリー・アウトというオウプン・ジョー(出国便の到着空港と帰国便の出発空港の個別指定)とした。ヨーロッパ便などと比べて割高だとされていた格安航空券は少し値下がりしてきたようだ。
■出発前は、インド大使館でのヴィザ申請手続は当然のこととして、コレラの予防接種を受けるために東京検疫所を2回訪ねるなど、それまでの旅よりも準備に慌ただしかった。
■往路のフライトはバンコクとカルカッタを経由するボンベイ行であったが、成田空港のフライト・ボードにはカルカッタ経由という表示はなく、不親切であるように思われた。バンコクのドーン・ムアン空港では、残念ながら機外に出ることはできなかった。
■インドは一人当たり国民所得が日本の数十分の一に過ぎない。一般物価は安いが、旅行者のための環境が整備されていないことは覚悟しなければならない。しかし、日本と環境が異なれば異なるほど印象深い旅ができるであろうと期待も高かった。カルカッタからデリーまでの旅程は細かく決めず、ガンジス川(ガンガー)沿いに遡っていくことにした。
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