■1994年8月、8日間の旅程で8回目の海外旅行に出かけた。旅行雑誌に格安航空券の案内が掲載されていたラオスへの渡航を思い立ったのだが、旅行代理店に連絡してみると既に満席であり、とりあえずビーマン・バングラデシュ航空のバンコク往復のフライトを予約することにした。盆前のピーク・シーズンであったため、航空券は少し高いものについた。また、ラオスのヴィザは個人で申請することが不可能だが、旅行代理店に代理申請を依頼すると3万円を要すると言われ、日本で取得することは諦めた。ヴェトナム旅行の際と同様に、ガイドブックや多くの旅行代理店の説明では自由旅行は不可能だとされており、日本出国の時点ではラオス旅行は幻に終わる可能性が高かった。
■この旅でも、前回の韓国旅行のスタンスを踏襲して鞄はデイパックのみとし、サンダルを履いて成田空港に向かった。旅行中はTシャツとショート・パンツという服装で観光名所を見物することが多かった。
■出発は、定刻よりも1時間程度遅れていた。また、フライトはダッカ行であったが、バンコクよりも遠いシンガポールに先に寄航することを成田空港に到着してから知らされた。そして、最短所用6時間の路線を飛ぶために10時間も要するというのだ。ただ、シンガポールのチャンギ空港は構内外とも整備が行き届いており、好感を持つことができた。成田空港を出発したのは12時頃であったが、バンコクのドーン・ムアン空港に到着した時には夜になっていた。
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