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中国R

出発

長春

哈爾浜
抜粋

回顧

概要

■長春(チャンチュン、旧新京)は、哈爾浜よりも南にあり、寒さを凌ぎやすいと期待していた。

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哈爾浜太平空港

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哈爾浜西站付近

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哈爾浜西站

哈爾浜太平空港到着は、40分遅れであった。その後、乗客の降機許可、入国手続、セキュリティ・チェックと進むが、その都度、長時間待たされる。両替所も閉まっていた。国際空港としての経験が不足しているように感じた。一方、ミーティング・ポイントにはロシア語で歓迎の言葉が掲示されていたようであり、ロシアへの玄関口としての哈爾浜の位置付けが窺われた。

空港には機場巴士の案内はなく、姿も見せない。そのうちにCRHの出発2時間前になったため、勧誘のあったタクシーに乗ってCRHが出発する哈爾浜西站に向かうことにした。途中でメーター料金制になっていないことに気付いた。慌ててそのことを指摘すると、英語を解さない運転手は、指を4本立てて示してきた。英語で「40?」と確認したが、通じない。哈爾浜站まで120元を要するとされており、哈爾浜西站は空港寄りにあるとは言え、40元では安すぎると疑問に持つべきであった。到着して50元札を差し出すと、受け取らない。400元だというのだ。30分走って7,000円とは開いた口が塞がらなかった。ガイドブックに掲載されている料金の目安を示しながらディスカウントを迫ったが、なかなか埒が明かない。結局、半額近くまでディスカウントさせたところで引き下がらざるを得なかった。

支払済みのCRHの切符を售票処で受け取る時に手数料の支払いが必要な仕組みは外国人には分かりづらいが、2回目なので問題なく手続きを済ませることができた。初めて火車站で自動改札機を通ってプラットフォームに向かうことになった。

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如家快捷酒店長春安達街店から

長春站に到着すると、辺りはちょうど暗くなる頃であった。哈爾浜よりは暖かく感じられ、嬉しかった。軽軌に乗ってホテルに向かい、途中で小売店に立ち寄って夕食用の果物を買った。

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偽満洲国国務院旧址

翌日は、ホテル近くにある偽満州国八大部などの建物の見物から始めることにした。軍事部、国務院、司法部、経済部、交通部、総合法衛、文教部、電信電話株式会社の旧址を巡った。どれも現在は他用途に使用されており立ち入ることはできないが、往時の雰囲気を現代に伝えているように感じた。途中、汽車も利用しながら繁華街の重慶路を経由して長春站に戻った。そして、軽軌に乗って偽満皇宮博物院に向かったが、哈爾浜行CRHの出発時刻が近づいていたため、残念ながら入場することはできなかった。

出発

長春

哈爾浜
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回顧

概要

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哈爾浜站

■哈爾浜(ハーアルビン、ハルビン)は、人口1,000万人を擁する東北の最大都市だ。哈爾浜西站から地鉄に乗って中心部に向かうこともできるようになっている。しかし、瞬間的に哈爾浜站にいると勘違いして站舎を出てしまった。引き返すこともできたが、出発間際の哈站行汽車が目に留まり、汽車に切り替えることにした。哈站とは哈爾浜站のことだとすぐに理解したのだ。途中、道路が渋滞しており、到着までに時間を要した。また、站の手前で降ろされ、しばらくは現在位置が分からず右往左往した。この時点で14時になったため、15時半に入館が終了となる侵華日軍第七三一部隊遺址の訪問は翌日に持ち越すことにした。

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7天連鎖酒店哈爾浜火車站秋林商場店

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7天連鎖酒店哈爾浜火車站秋林商場店

最初にするべきことは、予約したホテルを探すことだ。ホテルは「7天連鎖酒店哈爾浜火車站秋林商場店」という名前であったが、站から至近距離にあるというわけではなさそうであった。また、寒さのために事は簡単に運ばなかった。煎餅果子を頬張って暖を取ろうとしたが、寒風が吹きすさぶと涙が出てくる。站に向かって右側を進んでいくと遠くに大きく「7」と書かれた看板が見え、目指すホテルかもしれないと目星を付けたが、道路を横断する方法が分からない。そこで、一旦站前に戻り、同系列のホテルのロビーで暖を取った後、方向を見定めてからホテルに向かうことにした。道路には信号が少なく、歩行者は地下道を通って横断するようになっているようであった。

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松花江

チェックインを済ませると、中央大街(ジョンヤンダジエ)に向かった。途中、跨線橋で工事が行われ、歩行者は囲いのない車道を歩かざるを得ないようになっていた。中央大街はロシアが開発し、中国人街としてロシア語で「キタイスカヤ」呼ばれていたという。多くの人で賑わっていた。旧モデルン・ホテルや旧松浦洋行など由緒ある建物を通り過ぎて進んでいった。突き当りには松花江が悠々と流れているとのことであったが、実際には厚く張った氷の上で多くの人が戯れていた。翌日の日程がタイトになるため、侵華日軍第七三一部隊遺址を訪ねるための汽車と機場巴士がそれぞれ出発する場所を確認してからホテルに戻った。

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侵華日軍第七三一部隊遺址(入口付近)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(箱床)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(標識)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(水泥槽)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(細菌実験室・特設監獄遺址出土)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(細菌実験室・特設監獄遺址出土)

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侵華日軍第七三一部隊遺址(ボイラー棟遺址)

旧関東軍の第七三一部隊は、細菌などを使って人体実験を行ったことで知られる。その活動は長く秘匿されていたが、1981年に森村誠一著「悪魔の飽食」などによって人口に膾炙するところとなった。全く信じられない行為だ。

翌日は、8時に汽車に乗り、開館時刻である9時に遺址に到着するという計画を立てた。ロウンリ・プラネットとインターネット情報から、哈爾浜站に向かって左側(西南方向)にある崑崙(クンルン)大酒店と中国郵政の間にある路地から出発する338路または343路の汽車を利用することができると分かっていた。また、ホテルではWi-Fiを利用してスマートフォンでインターネットに接続することができたが、Googleマップにアクセスすることはできない。そこで、降車の目安とするため、代わりに百度(バイドゥ)地図を利用することにした。経路検索結果のスクリーン・ショットも保存しておいた。汽車では、比較的正確に現在位置を確認することができた。そして、双擁路に入った後、渤海路停留所の次の双擁路停留所で汽車を降り、目の前の交差点で右折して、右手に現れる遺址に辿り着くことができた。

遺址に入場する。「反人類暴行」などと、旧関東軍の行った蛮行を数か国語の厳しい口調で弾劾する大書された看板によって迎えられる。続いて、拷問器具などの展示が始まる。旧関東軍は、第二次世界大戦敗北に際してほとんどの証拠を焼却して隠滅を図っており、遺物はあまり残っていない。そのため、当時使用されていた同種の器具や、実験室など創作されたものも展示されている。弾劾することに重点が置かれているためであろう。新しく細菌実験室・特設監獄遺址から出土した器具も展示されていたが、このように実証に基づいて事実をありのままに伝えることに重点を置いた方がよいのではないかと思う。とは言え、旧関東軍の行った蛮行は弁解のしようがない。戦時の狂気と差別感情の発露の故なのであろう。

館内では、七三一部隊に所属していた日本人が当時の状況を証言している様子も動画によって紹介されていた。撮影に応じたことは真摯に評価するべきだと思う。しかし、中には、詳しく説明しようとするあまり、蛮行に加担してしまったという悔恨の情が薄れ、薄ら笑いを浮かべながら証言しているように見受けられる人がいた。また、死の床で撮影されたのであろうか、病室のようなところでパジャマ姿のまま証言している人もいた。重大な証言をするのだから、死期が迫る前に行動を起こしてもらいたかった。そして、たとえ死期が迫っているとしても、居住まいを正して撮影に応じてもらいたかったものだ。

その後、屋外に出て、本部旧址、実験室旧址、ボイラー棟遺址などを見物した。陰鬱な気分を抱きながら、遺址を後にした。

帰国便の出発時刻の4時間前である10時には哈爾浜站行汽車に乗ることができたが、そのうちに道路が渋滞してきた。汽車は地鉄と並行して走るようになったため、地鉄に乗り換えることにした。ただし、地鉄は哈爾浜站とは接続していない。哈爾浜站の最寄りの地鉄站である博物館站で降りると哈爾浜站を目指そうとしたが、方向感覚が掴みづらく、なかなか辿り着かなかった。帰国便の出発時刻の2時間前に哈爾浜站から機場巴士に乗るとしたら、2週連続で乗り遅れを心配しなければならなくなる。そこで、タクシーに乗って哈爾浜太平空港に向かうことにした。中国では中心站と地鉄の接続がよくないことが多く、苦労させられる。また、空港では、セキュリティ・チェック時に中国語を話すことができない旨を英語で保安検査員に伝えると、「中国では中国語を話せ。」とやや強い調子で言われた。最後まで国際空港としてのインフラストラクチャーが整備されていない状況を実感させられることになった。

出発

長春

哈爾浜
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回顧

概要

■現地での1日平均の旅行費用は約5,800円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は哈爾浜の約2,400円(134元)で、最低は長春の約2,200円(123元)であった。なお、私的海外旅行に費やした日数を合計すると365日と、ほぼ1年に達した。多くの旅をしたものだと思う。

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侵華日軍第七三一部隊遺址

「悪魔の飽食」については、信憑性に疑問が呈されている記述がある。しかし、大筋は事実であると捉え、真摯に事実と向き合う必要があるのではないだろうか。侵華日軍第七三一部隊遺址のある新疆大街(シンジャンダジエ)へは、地鉄の延伸工事が続いている。新疆大街站が設置されると、アクセスが格段に向上する。地元の注目も高まると考えられるが、日中の対立感情を煽るのではなく、未来志向の関係を構築することができるよう役割を果たしてもらいたいものだ。そのためには、謝罪・不戦和平之碑にもっと焦点が当たってもよいのではないかと思う。

出発

長春

哈爾浜
抜粋

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
24日10:40 空路 12:50 中国 哈爾浜
16:30 鉄路 17:35 長春
25日12:00 鉄路 13:15 哈爾浜
26日13:50 空路 17:55 日本 東京
鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
中国 長春 如家快捷酒店長春安達街店 CN.\ 123 1
哈爾浜 7天連鎖酒店哈爾浜火車站秋林商場店 CN.\ 134 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 108円 0 0 35.41
内訳
0 0
中国 CN.\ 17.8円 0 107
内訳
401
内訳
0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 0 1,900 10,938 0 0

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
0 0 35.41
内訳
中国 257
内訳
0 765 17,401 3 5,800
通貨計 4,563 0 17,401 3 5,800
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

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長春

哈爾浜
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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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