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韓国D

出発

抜粋

仁川
ソウル

回顧

概要

■仁川(インチョン)に向かう国鉄の列車は、ソウルの地下鉄と相互乗入になっており、地下鉄路線の開通した金浦空港から簡単に訪ねることができるようになっている。1時間程度で仁川駅に到着した。

ソウルの外港という役割を担う大都市だという印象を持っていたが、駅舎を出ると予想に反してあまり発展しておらずどこにでもありそうな町並みが広がっていた。駅前の掲示板に地図があったが、見知らぬ者が見ても縮尺さえ分からず、有益な情報は全く得られなかった。観光案内所も見つからない。当地で唯一の高級ホテルだと思われるオリンパス・ホテルが駅前に立っていたが、それは敬遠し、高台に上って宿泊先を探すことにした。すると、中腹に差し掛かった辺りで旅館を見つけることができた。トゥイン・ルームの空室がなかったため、シングル・ルームを2部屋借りることにした。

しばらく部屋でくつろいだ後、高台をさらに上って、眺望のよい公園を訪ねた。港を見下ろすことができるほか、ダグラス・マッカーサー将軍像が立っている。自由公園(チャユ・コンウォン)と呼ばれ、地元の人の憩いの場となっているようだ。穏やかな陽光の下で、午後の一時を過ごした。夕食ではオリンパス・ホテルで海鮮料理を堪能した。

写真
仁川上陸作戦記念館

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仁川上陸作戦記念館

翌日は、出立までの時間を利用して、仁川上陸作戦記念館を見物することにした。コリア戦争時、緒戦で国土の奥深く進攻してきた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)軍の攻勢に対し、マッカーサー将軍の率いる国際連合軍が、唯一陥落を免れていた釜山を直接救援するのではなく、敵陣に深く入り込むことになる当地への上陸によって北朝鮮軍の意表を突き、補給路と退路を断つことによって戦局の劣勢を挽回した作戦の成功を記念するものだ。

東仁川(トンインチョン)駅からバスが出発していると聞き、小雨の中、歩いて向かった。駅に近づくにつれて、辺りが賑やかになってくる。駅に到着すると、当地の中心駅は仁川駅ではなく東仁川駅だということが分かった。駅名に騙されたようだ。考えてみると、前日、ソウルから乗った列車から、多くの乗客が東仁川駅で降りていた。ガイドブックを持たない以上、十分な観察が必要であったようだ。バスに乗ってしばらくすると、住宅街に差し掛かる。調和の取れた高層住宅が果てしなく続くようになって、初めて当地の役割を理解することができた。ソウルのような大都市にとって、列車で1時間という距離は十分に通勤圏に入るのであろう。また、トゥーリストを相手にしていると思われる海鮮料理店も軒を連ねていた。

仁川上陸作戦記念館には、地元の小学生が見学のために訪ねていた。館内に入ると、コリア戦争時の銃剣、手榴弾、軍服などの展示が続く。また、上陸作戦の解説がなされていたほか、北朝鮮軍の支配下にあった時に配布されたらしい社会主義思想の雑誌も並べられてあった。階上には、南北コリアの文物が対置されて並べられてあった。意外であったのは、展示の対象を日常品など比較が容易なものに限定するとともに、チマ・チョゴリなど習俗の微妙な相違を示すよう努めていたことだ。このように、展示が経済格差を際立たせることだけを目的としているわけではなかったため、好感を持つことができた。もちろん、南北コリアの経済格差は誰の目にも明らかであり、資本主義の優位性を宣伝する必要はもはやなくなったという事情があるのかもしれない。

出発

抜粋

仁川
ソウル

回顧

概要

■ソウルへは、午後になって戻った。到着すると、すぐに鐘閣にあるYMCAのトゥイン・ルームを確保した。当地は3回目の訪問であり、町の概観は十分に分かっている。

チェックインを済ませると、東大門市場を訪ねた。スケイルの大きさに改めて感心しながら進むうちに、中心部から外れてしまった。しかし、通常トゥーリストが立ち入らないような場所でも、家具や台所用品など様々な商品が売られている様を目の当たりにすることができた。

夕方になって、明洞に向かった。昼食時には日式(日本料理)食堂に入ったが、夕食では本格的なコリア料理を堪能しようと全州(チョンジュ)中央会館を訪ねることにしたのだ。明洞は一層華やかさを増しており、経済危機はどこの国の話かというような賑やかさであった。全州中央会館では多くの地元の人に交じって日本人トゥーリストの一行も見かけた。プルゴギやピビムパプなどを堪能した。プルゴギを食べるのは、4回目の訪問にして初めてのことであった。帰路はバスを利用したが、他人に尋ねることなくスムーズに鐘閣で降りることができた。

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戦争記念館

出国日は、梨泰院の近くにある戦争記念館を訪ねた。韓国軍や米国軍の基地からも近い。展示の対象は第二次世界大戦やコリア戦争であろうと考えていたが、有史以来の戦争を幅広く取り上げていた。豊臣秀吉軍を撃退した李舜臣将軍など、各時代の英雄の功績を称えるという意図があるようだ。そのような中で、生き別れとなった無名の兄弟がコリア戦争中に戦場で敵同士として出会ったという実話をモティーフにしたモニュメントが屋外に立っており、戦争について深く考えさせられた。

出発

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仁川
ソウル

回顧

概要

■現地での1日平均の旅行費用は約4,700円であった。旅行費用のうち一人当たり宿泊料金の最高はソウルの約2,300円(26,000ウォン)で、最低は仁川の約1,700円(19,000ウォン)であった。ただし、それまでの海外旅行を通じて蓄積されていたUSドルの為替差益により、この旅の現地での旅行費用をすべて賄うことができた。

韓国は、既に4回目の訪問であり、予想通りガイドブックがなくても自由に歩き回ることができた。仁川では、最初は町の中心部を間違えてしまったが、少しずつ情報を入手しながら町の概観を把握していくことができ、むしろ真の自由旅行に近づいたと言うことができるかもしれない。また、到着した場所は仁川の旧市街だと思われ、昔ながらの港町の風情を楽しむことができ、結果的に失敗ではなかったと思う。次の目標は、訪ねるべき町を決めず、全く何の当てもなく日本を出国することだ。短期間でということになると、渡航先は韓国やタイなどに限定されるであろう。

出発

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仁川
ソウル

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 居住地
12日11:05 空路 12:50 韓国 ソウル
14:00 鉄路 15:00 仁川
13日12:00 鉄路 13:00 ソウル
14日15:00 空路 16:30 日本 居住地
鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
韓国 仁川 不詳 KR.W 19,000 1
ソウル YMCA KR.W 26,000 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
韓国 KR.W 0.0869円 0 100,640
内訳
14,550
内訳
0 2,000
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 0 8,743 1,264 0 174

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
韓国 45,000
内訳
0 162,190 14,090 3 4,697
通貨計 3,909 0 14,090 3 4,697

出発

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仁川
ソウル

回顧

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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