旅べえ > 第1部旅草子 >

←後 / 前→

韓国 / ←─後 / 前─→

韓国B

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■ソウルの金浦(キンポ)空港へは、午後早く到着した。通常の格安航空券ではなかなか実現することのできない理想的な時刻の到着だ。市内バスに乗ってソウル駅に向かった。既に訪ねたことのある町なので駅はすぐに分かると考えていたが、ほとんどの乗客が降りた市庁(シチョン)前で一緒にバスを降りてしまった。しかし、地図を広げていると若い女性が声をかけてくれ、駅に行きたい旨を伝えると、運転手に事情を説明してバスに戻してくれた。南西部の町はゲイトウェイから遠い順に訪ねることとし、駅で木浦までの当夜のトンイル号の切符を買った。帰国便のリコンファームについては、日曜日に当たっていたため日本航空のオフィスは定休日であったが、電話は繋がった。その後、市内見物に出かけた。

前回の旅でも感じていたが、道路には横断歩道がほとんどないため市街を歩くために苦労する。道路を横断する度に地下道を通らなければならないのだ。車道は場所によって立体交差させるなど交通渋滞の緩和のための対策がなされていたが、歩行者のための配慮は欠けているように思う。日本以上の自動車社会が形成されていると言ってよいであろう。

明洞には前回の旅でも立ち寄ったが、この旅では小道を含めてかなり歩き回った。前回は気付かなかったが、路上には身体の不自由な人が数人いて物乞いをしていた。ヴェトナム戦争に参戦した退役軍人であろうか。周囲の関心を惹くために音楽を流していたが、あまり注目されていなかった。傍らで若者が構わずにギターを弾きながらポピュラー・ソングを歌っていることさえあった。そして、周囲が華やかであるだけに人生の悲哀を感じてしまった。

標準時の設定の関係でまだようやく辺りが暗くなり始めたに過ぎない20時頃、バスに乗って梨泰院(イテウォン)に向かった。街路が賑わいを見せ始めた辺りが目的地だと見当を付け、男児に確認してバスを降りた。米国軍基地に近いためか、明洞ではほとんど見かけないヨーロピアンが大勢押しかけていた。バンコクのカオサン通りでも見られた現象だ。このようにヨーロピアンが町の一角に自分達の租界を築いてしまうのは、異国の地でもあまり苦労したくないというイージ・ゴウイングの思想が働いているためであろうが、非英語圏諸国に自分達の文化を押しつけようとする傲慢な気持ちが影響していると言うこともできる。また、多くの店でブランド商品の偽造品を売っている様などは香港とそっくりであった。帰路、ソウル駅前でバスを降り損なってしまったが、高品質志向の南大門市場(ナンデムン・シジャン)に立ち寄ることができ、かえって幸いであった。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■木浦(モッポ)行の列車には、登山支度をした多くの若者が乗っていた。翌早朝の到着となったため、辺りが明るくなるのを待って市街に出かけた。前回の旅の際には結果的にすべてガイドブックに掲載されている宿泊施設に泊まったが、この旅ではガイドブックに適当な宿が掲載されていないこともあり、「旅館」や「旅人宿」に相当するハングルを頭に叩き込んでおく必要があった。しばらく物色した後、駅の近くにある旅人宿に泊まることにした。オウナーは英語を話すことができなかったが、何とか意思の疎通を行うことはできた。

まず、港の方に向かった。近くまで来ると、新鮮な海の幸を調理してくれる食堂や干物を売っている店に出会う。周辺の島に向かう旅客船や漁船が出航していたが、国際航路などはなく、釜山などと比べてうらぶれているとの印象は免れない。地元としては、国交を正常化させた中国との往来を再開させたいところであろう。

次いで、儒達山(ユダルサン)に登った。標高約200mの小さな山であり、山頂で岩が張り出しているのが市街からも見える。周回道路を進んでいくと山の反対側にある新市街を見渡すことができたが、高層住宅が林立しており、漁村だという印象は完全に覆された。山頂まで登ると港を見渡すこともできたが、空が晴れ渡っていなかったことは残念であった。

帰路、壮年の夫妻と出会った。最初はコリア語で話しかけてきたが、話が通じないことが分かると流暢な日本語に切り替えてきた。日本在住のコリアンだという。一緒にタクシーに乗って下山し、近くにある食堂で昼食を馳走になった。夫君は旅に対して持論を持っており、旅は2〜3人でするのがよく、宿泊にではなく食事に力点を置くべきだということを力説していた。

夜になって市街に出かけたが、多くの人が街路に繰り出し賑わいを見せていた。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■光州(クァンジュ)は、南西部の政治・経済の中心地だ。また、軍事政権下の1980年に起こった光州民主化運動(光州事件)に象徴されるように、自由を求める気質が強いことでも有名だ。木浦に滞在した翌朝、市内バスに乗ってバス・ターミナルに向かった。乗客が少なかったためか、あるいはソウルとは気質が異なっているのか、運転手は親切にも降りるべきバス停留所を教えてくれた上、バスを降りた後も、運転席からバス・ターミナルの位置を指し示してくれた。

光州に向かうバスには簡単に乗ることができたが、到着時に仮眠中であったため、どのバス・ターミナルに到着したのか全く分からなかった。非常に近代的な建物であるにも関わらず英語での案内や地図が全くないことには閉口してしまう。気分が落ち着くのを待ってバス・ターミナルを出ていった。目の前の道路は片側5車線(10車線)という幅広いものであり、大都市に来ていることが自覚された。しかし、様子がおかしい。ガイドブックで約1kmという至近距離にあるとされていた駅の位置を尋ねると、市内バスに乗っていくようにと言われる。歩いていった方が位置関係がはっきりすると思って教えてもらった方向に向かったが、駅を見つけることはできなかった。道路には行先案内や地図があったが、消防署などのロウカルな情報しか得ることができないのだ。仕方なくバスに乗って駅に向かうことにした。駅に到着してみて初めてバス・ターミナルが西部郊外に移転していたのだということが分かった。ガイドブックで高速バス・ターミナルと市外バス・ターミナルがあるとされていた場所は空地になっていた。バス・ターミナルが移転しただけでこれほど振り回されるとは不覚であった。

気を取り直して全羅南道庁舎などを見物した後、当地には滞在せずに求礼に向かうことにした。観光地ではない大都市を観光するのは苦労するということを思い知らされたためだ。しかし、出発前に立ち寄った食堂ではいろいろと親切にしてもらった。店員はキムチの辛さを薄めるために水を持ってきてくれ、店長は話相手になってくれた。また、バス・ターミナルに向かう市内バスの番号を尋ねるためのメモを手帳に書いていると、目ざとくそれを見つけて何番だと教えてくれる。すると、それを聞いた客が車で送迎することを申し出てくれた。このように、最後になって地元の人の暖かい人柄に接することができた。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■求礼(クレ)は、光州とは対照的に全くの田舎町だ。光州からのバスを降りると、すぐに町の概観を把握することができた。そして、市外バス・ターミナルの近くにある旅人宿にチェックインした。光州でも降っていた雨は夕方から激しくなってきた。

写真
華厳寺

写真
華厳寺

翌日は、雨が上がっていたため、朝早くからトレッキングの準備に取り掛かることができた。市外バス・ターミナルでは智異山の麓にある華厳寺(ファオムサ)に向かうバスはないためタクシーを利用するようにと言われたが、ロウカル・バス・ターミナルで確認すると簡単に切符を買うことができた。受付のスタッフは親切にも何回も外に出て、華厳寺に向かうバスが到着したかどうかを確認してくれた。バスを降りると近くにある店で飲食料を調達し、華厳寺まで歩いていった。華厳寺は荒廃が進んでいたが、奥には立派な大仏が安置されており、ここだけでも訪ねる価値があると感じた。

見物が終わると、智異山の主峰の1つで標高約1,500mの老姑壇(ノゴダン)を目指した。片道約10kmの行程を3時間半程度かけて登ることになった。通り過ぎていく人の多くが「アンニョンハセヨ(こんにちは)」と声をかけてくる。こちらも同じように応答したため、日本人だとは気付かれなかったのではないかと思う。そのうちに、途中で抜きつ抜かれつしていた二人連れの男子学生と親しくなった。ソウルから来ているという。山頂では素晴らしい眺望を楽しむことができた。二人は炊飯の用意をしてきており、ラーメンと御飯を馳走になった。また、大きなキムチ・ボックスを持参してきていることには感心させられた。コリア料理においてキムチが占める地位は、日本料理において漬物が占める地位の比ではなさそうだ。

2泊3日の旅程で当地を訪ねておりさらに天王峰(チヨンワンボン)に向かうという二人とは山頂で別れ、下山を始めた。途中で数人の人に何か尋ねられることがあった。最初は戸惑っていたが、登山をしている人が下山をしている人に尋ねる質問は限られていると考え、山頂まではあと何分だというように答えてみた。相手は予期せぬ英語での応答に一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐに笑みを浮かべる。このように多くのコリアンと会話することができるというのは考えてもいないことであった。

宿に戻ると、日本で自由民主党の小沢一郎元幹事長と羽田孜元農林水産大臣が中心になって新生党が結成されたというニューズが放送されていた。これは、後に自由民主党の長期政権に終止符を打つ契機となる。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■全州(チョンジュ)に向かうバスは、かなり混雑していた。座っている人の膝の上や膝の間に座ることによって座席を共有している人達がいたが、観察していると他人同士であることが分かった。また、年配の人に座席を譲るなどのほほえましい光景も見られた。南原(ナムウォン)を経由して田舎道を走り、バス・ターミナルに到着すると、市内バスに乗り換えて市街に向かった。旅館探しは全羅北道庁舎の北東方向にある豊南洞(プンナンドン)で行ったが、旅館が散在しているため時間がかかった。

当地には、中心部にある豊南門(プンナンムン)、地元の人の憩いの場となっている慶基殿(キョンギジョン)、小高い丘の梧木台(オモクデ)などの観光名所があるが、それらの見物は簡単に済ませた。古都ではあるが、歴史的な遺物は町の中に溶け込んでいるとの印象を受けた。その後、できるだけ住宅街を歩くことによって日常生活の雰囲気を把握することに努めた。下校中の小学生が雑貨店に立ち寄って菓子を買っている様を見ていると、何となく子供の時の経験が思い出されて懐かしくなってきた。それだけ日本の昔ながらの雑貨店に雰囲気が似ていたということであろう。

また、食の都として有名な当地での食事は格別であった。当地では食堂ごとに専門の料理があるため、様々な料理を堪能することができる。当地で2日目の昼食を取るために出発を遅らせたほどだ。

旅館では宿直室に招待され、宿直員と英語や漢字での筆談を交じえて会話を楽しんだ。コリアンと漢字による筆談をすることができるというのは予期しないことであった。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■ソウルへは、それまで通りバスに乗って戻った。江南(カンナム)バス・ターミナルに到着すると、地下鉄に乗って市街に入った。前回の旅の際に泊まった旅館に向かおうとしたが、高層ホテルに建て替えられたようであった。下町の風情を醸し出しているように感じていただけに、残念であった。仕方なく、鐘閣(チョンガク)にあるYMCAの裏手に旅館を決めた。そして、日本語を話すことのできるオウナーに案内してもらった。

チェックインを済ませると、まず、日本航空のオフィスを訪ねて連絡先の変更をした。日本語が通じるため手続きは非常に容易であった。その後、市街を散策した。ガイドブックはデイパックの中に入れ、旅行者だとは分からないようにしてウィンドウ・ショッピングなどを楽しんだ。コンヴィニエンス・ストアが増えるなど、町並みは前回の旅で訪ねた時とは変わってきているようであった。また、大日本帝国朝鮮総督府の建物が使われている国立中央博物館はコリアンに悲しい歴史を思い出させるという理由で撤去の計画があり、これで見収めだと思って名残を惜しんだ。

翌日、エアポート・バスに乗って金浦空港に向かったが、第1国際線ターミナルで降りるべきところを手前の第2国際線ターミナルで降りてしまった。そこには韓国資本の航空会社のチェックイン・カウンターしかなかったため大韓航空のカウンターに行ってみたが、別のターミナルにいることを説明してもらうことができず、事情が分かるまでに時間がかかった。その代わり、第1国際線ターミナルに向かって歩いている時にコリアン・フライト・アテンダントと思われる私服の女性に「ウェルカム・トゥー・コリア(コリアにようこそ)。」と声をかけてもらった。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

■この旅では、前回の旅で苦戦したコリア料理を制覇することに意を注ぐことにした。そのため、ガイドブックに掲載されていたり地元の名物料理を食べることができる食堂を目指した。ソウルではひな鶏の内臓を取り除いた後に餅米や薬味を詰めてスープで長時間煮込んだ参鶏湯(サムゲタン)を、木浦では生蛸の踊り食い(サンナクチ)や穴子の刺身を、全州ではソウルから食事のためにわざわざ来訪する人もあるという中央会館(チュアン・フェグァン)などでピビムパプ(混ぜご飯)を、韓一館(ハニルグァン)でコンナムル・クッパプ(豆モヤシ・スープ)を試した。それぞれコリアを代表する料理であり、全州を始めとして南西部が料理で有名であることもあって十分に堪能することができた。特に、ビーフ・スープで炊いたご飯を石鍋に盛り様々な具を添えたピビムパプは特記に値する。店員はわざわざご飯と具を思い切りかき混ぜてくれた。時にはハンバーガー・ショップを利用することもあったが、メニューの中にプルゴギ(焼肉)・バーガーが含まれていることには感心させられた。

前回の旅ではハングルにも悩まされたが、この旅ではハングルの表記法をできるだけ多く覚えることに努めた。ハングルは表音文字であるため表記の原則は簡単であり、その気さえあれば表記法を修得することはあまり難しくはないと思う。そして、一旦発音することができるようになると、さらに漢字に置き換えることのできる場合が多いため、ハングルが急に身近に感じられるようになってきた。そして、それ以降はコリアの町に不安を覚える必要はなくなった。

前回の旅で感じなかったコリアンに対する印象として、男女を問わず行動が積極的であり、国民性が日本人よりもヨーロピアンに近いのではないかということが挙げられる。女性がスリーヴレスの服やミニスカートを着ていることも多かった。また、相手の質問に対してこちらがなかなか答えることができないでいると、首を傾げて「早く答えなさいよ。」というポウズを示してきたりする。外見が似ているだけに、このような行動様式の相違は新鮮な驚きであった。

変化のある旅をするという当初の目的は十分に達成することができたように思う。有名な観光地ではない町を訪ねることが多かったため旅館のオウナーでさえ英語を話すことができず意思の疎通に苦労することがあったが、遠来の客として暖かく迎えてもらった。

現地での1日平均の旅行費用は約2,900円であった。旅行費用のうち宿泊料金は最高で全州の約2,500円(18,000ウォン)、最低で求礼の約980円(7,000ウォン)と、前回の韓国旅行の際とほぼ同じ価格帯に収まった。

渡航費用が国内旅行と変わらないほど安く、先進国入りが間近だと言われている韓国は、日本人にとって手頃な観光地として今後ますます注目を集めるようになるのではないかと考えている。

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
20日10:30 空路 12:45 韓国 ソウル
23:05 鉄路 21日05:15 木浦
22日06:45 道路 08:05 光州
13:30 道路 15:00 求礼
24日07:40 道路 09:50 全州
25日11:00 道路 14:00 ソウル
26日14:50 空路 16:50 日本 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
韓国 木浦 不詳 KR.W 10,000 1
求礼 友情旅人宿 KR.W 7,000 2
全州 不詳 KR.W 18,000 1
ソウル 大元旅館 KR.W 10,000 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
韓国 KR.W 0.139円 0 54,300
内訳
34,340
内訳
600
内訳
2,000
内訳
通貨計 JP.\ 1.00円 0 7,564 4,783 84 279

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
韓国 52,100
内訳
0 143,340 19,967 7 2,852
通貨計 7,257 0 19,967 7 2,852

出発

ソウル

木浦

光州

求礼
全州

ソウル2

回顧

抜粋

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

旅べえ > 第1部旅草子 >

←後 / 前→

韓国 / ←─後 / 前─→