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韓国C

出発

釜山

慶州

海印寺
抜粋

釜山2

回顧

概要

■釜山は、慶州ともども2回目の訪問となる。レンタカーの営業所は北に向かった蓮山洞(ヨンサンドン)にあるため、タクシーに乗って向かうことにした。タクシー乗場には日本語を話す案内人がおり、住所確認のために事前に営業所に電話をかけてくれた。

営業所は市街にあり外国人の利用を想定していないようで、スタッフは英語と日本語のどちらも話すことができなかった。そこで金海(キメ)空港にある営業所に電話をかけ、日本語、続いて英語を話すスタッフを通じて用件を伝えてきた。また、スタッフが一人しかいないため、契約が終わって自動車のある駐車場に行く時は営業所を閉めていた。釜山港を基点にすると蓮山洞までの距離と空港までの距離はあまり変わらないことから、空港にある営業所を指定しておくべきであったと後悔した。

自動車は現代(ヒュンダイ)製のマニュアル・トランスミッション車であった。ステアリング・ホイールは右側通行の道路に合わせて左側座席にある。右手でトランスミッションを操作しなければならないということは想像以上に難しいことであった。また、タクシーの運転手が営業所の手前で道に迷ったこと、営業所から自動車に乗り駐車場に連れていかれたこと、蓮山洞が六差路になっていること、交通量が多いことなどの悪条件が重なって、方向感覚が掴みづらかった。そして、道を間違えて方向転換をした直後に警察官に呼び止められ、交通違反をしてしまったかと焦った。韓国の交通規則は全く知らないため何とも心許ない。しかも、国際運転免許証を提示した後は全く意思の疎通を行うことができなかった。それでも、警察官は愛嬌を振り撒きながら立ち去っていった。後続の自動車も呼び止められており、通常の取り締まりであったようだ。

旅程としては、南東部を環状道路のように巡らされている高速道路を利用し、釜山から慶州までの往路は慶尚南道(キョンサンナムド)を馬山(マサン)、海印寺と走り、帰路は直接釜山に戻るという右回りの旅行を予定していた。しかし、馬山に向かう高速道路を見つけることはなかなかできなかった。そのうちに、直接慶州に向かう高速道路が見つかった。早く交通渋滞から抜け出し郊外の快適なドライヴを楽しみたかったため、予定を変更して直接慶州に向かうことにした。最初は入口を間違えて逆方向の釜山中心部に向かってしまったが、方向転換をした後は順調に慶州に向かうことができた。

出発

釜山

慶州

海印寺
抜粋

釜山2

回顧

概要

■慶州に到着すると、ホテルにチェックインする前に市内見物を始めた。荷物は自動車の中に置いておけばよいため非常に楽に観光することができる。国立博物館や瞻星台などを見物した後、初回の旅の際に泊まった旅館に立ち寄った。

利用したホテルは、普門湖畔にあるコンコードだ。日本で手配を依頼したものだが、現地で直接申し込むと宿泊料金は日本の旅行代理店に支払った手配料金の約半額であったことが分かり、母は残念がった。また、乾季に当たっているのか、ホテル近くの部分は水が干上がってしまっていた。ただし、市街では味わうことのできないのどかな雰囲気を楽しむことができたように思う。

翌日は、仏国寺や石窟庵などを見物した。仏国寺には非常に多くのコリアンが繰り出していた。不思議に思って調べてみると、当日は韓国でも子供の日として休日とされており、土曜日を休日とすると3連休の初日に当たっていることが分かった。早目にホテルを出発して幸いであったが、見物を終えて甘浦(カンポ)に向かう時に交通渋滞に巻き込まれてしまった。普門湖の近くにある遊園地を目指す家族連れが多いようであった。歴史的な観光名所の見物のためには迷惑なことだ。

甘浦(カンポ)は、慶州から東に向かった同じ慶尚北道の日本海(コリアでは東海、トンヘ)岸にある。文武王海中陵という世界的に珍しい海中陵で有名だ。途中、家族連れで自動車を運転していた壮年の男性に道を尋ねると、代わりに運転をしてくれるという。自分の自動車の運転は妻君に任せたようだ。文武王海中陵の行先案内は間近に来るまで見当たらず、運転の代行をしてくれるというのは非常にありがたい申し出であった。

出発

釜山

慶州

海印寺
抜粋

釜山2

回顧

概要

写真
海印寺

■海印寺(ヘインサ)は、出国日に訪ねることになった。そのため、慶州を早目に出立した。途中通りかかった大邱(テグ)では、数日前、地下鉄建設のための工事中にガス爆発が発生し、数十人が死亡している。高度経済成長期までの日本のように経済運営に当たって表面上の経済効率の追及を優先するのではなく、安全の確保と福祉の向上を重視してもらいたいものだ。

海印寺へも、仏国寺と同じく多くのコリアンが参拝のために訪ねていた。所狭しと並べられている八万大蔵教などを見物した。閑静な場所に広大な敷地を抱え、信仰のために非常に恵まれた環境の中にあるように思われた。

出発

釜山

慶州

海印寺
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釜山2

回顧

概要

■釜山に向けて、海印寺を出立したのは12時頃であった。帰国便の関釜フェリーの出航時刻は18時、チェックイン・タイムは16時半であり、釜山までは通常2時間半程度を要するため、あまり余裕はなかった。これは、予定とは逆の左回りで旅行することになったためだ。本来は、帰国便の出発地にできるだけ早く到着するということが旅の原則であり、前日に慶州に滞在した以上、当日は直接釜山に戻るべきであったと思う。海印寺訪問は無謀であったかもしれない。

しばらくは高速道路を快調に走っていたが、馬山に向かっている途中、道路が急に大渋滞になり自動車が全く動かなくなってしまった。そして、方向転換をする自動車が現れ始めた。一般道路を走るつもりなのであろう。渋滞の原因について全く情報を入手することができないため気を揉んだが、対向車線が徐行運転になった時に前方の自動車の運転手が対向車の運転手に進行方向の状況を尋ねており、その結果通行の再開を待つとの判断を下したようであったため、それに従うことにした。そのうちに断続的に徐行運転をすることができるようになったため、渋滞の原因は交通事故であり応急措置が終わって片側交互通行が始まったのだと推測された。前方からは救急車がサイレンを鳴らしながら走ってきた。

推測は当たっていた。大型トレイラーと乗用車が衝突し、道路を塞いでいたのだ。高速道路とはいっても2車線(片側1車線)しかなく中央分離帯も設けられていないため、交通事故や交通渋滞が起こりやすい。片側2車線以上、中央分離帯ありという日本の高速道路の基準を満たしている路線はソウルと釜山を結ぶ韓国の大動脈ぐらいであろうか。ただ、交通事故のあった路線でも拡幅工事が行われていたことから、今後順次整備が進んでいくのではないかと考えられる。

この交通渋滞による遅延は1時間程度であろうか。交通事故現場を通り過ぎた後は再び順調に走り始めたため安心していたが、釜山に近づくにつれて次第に交通量が多くなってきた。そして、金海空港の辺りまで来ると再び自動車が動かなくなった。都合の悪いことに今度は自然渋滞のようであり、渋滞解消の見込みは立たなかった。既に関釜フェリーのチェックイン・タイムが迫っていたため、仕方なく一部区間で路肩を走ることにした。また、交差点で右折するべきかどうか決めかねて進入禁止区域で思案している時に警察官に咎められるということもあった。そして、何とかレンタカーの営業所に到着し、地下鉄とタクシーを乗り継いで釜山港に向かった。しかし、到着したのは17時半頃であり、努力は報われず乗船を拒否されてしまった。17時頃にスタンドバイ(キャンセル待ち)の客に乗船券を売り渡したという。

大いに落胆したが、後悔しても仕方がないので釜山駅にある観光案内所を訪ね、チャガルチ市場の近くにあるホテル・フェニックスを紹介してもらった。トゥイン・ルームにエクストラ・ベッドを追加して1部屋当たり77,000ウォン(1ウォンは約0.117円)と、トゥーリスト・クラスのホテルとしてはリーズナブルな料金であった。

翌朝、タクシーに乗って金海空港に向かい、スタンドバイを試みた。当日の関釜フェリーは乗船券に十分余裕があると知らされていたが、下関到着は翌日であり仕事に間に合わないためだ。航空会社は問わないこととし、目的地も東京、名古屋、大阪、福岡と選択肢を広げた。航空会社のチェックイン・カウンターが開く前であったが、大韓航空のカウンターには既に名前を記すための正式な用紙が置かれていた。一方、アシアナ航空では利用者が独自に用意した紙片に記した名前をカウンターが開いた時点で正式な用紙に書き移していたが、日本航空では利用者が名前を記した紙片を無効とし、改めて列に並ぶよう利用者に指示していた。座席を確保することのできる可能性が低いにも関わらず利用者に不必要な労力を強いる方策には疑問を感じた。

幸いなことに、大韓航空の東京までの座席を確保することができた。航空券は、正規料金であるにも関わらず164,000ウォンと格安であった。搭乗券(ボーディング・パス)を受け取ったのは出発30分前であり、慌ただしく出国の準備をした。そして、離陸してから2時間後には成田空港に到着しており、結果的に予定よりも早く帰宅することになった。一方、両親は関釜フェリーの2等室を利用して帰国することになったが、連休期間内に到着しない便であるため、乗客は少なく快適であったという。

出発

釜山

慶州

海印寺
抜粋

釜山2

回顧

概要

■この旅では、当然のことながら慣れない自動車の運転に対して細心の注意を払った。右手でトランスミッションを操作することには少しずつ慣れてきたが、車体感覚の調整には時間がかかった。最初のうちは自分が右側座席に座っているつもりで運転してしまい、右側車輪を歩道に乗り上げたり路肩に落輪したりするということがあった。また、方向指示器のレヴァーはステアリング・ホイールの左側に付いており、間違って右側のワイパーを作動させてしまうということもあった。一方、左折する先の道路が幅広い場合は、間違って左側車線に入らないようにと心に念じていた。

交通規則については、赤信号であっても右折可である一方、青信号であっても左折可の信号が別にない限り左折不可であることが日本との大きな相違であるように思われた。道路の行先案内はハングルとローマ字(ラテン文字)が併記されていることが多かったが、高速道路であってもハングルによる表記しかない路線があった。また、交通事故の発生率は日本の数倍に上っているとのことであり、前述した交通事故のほかにも事故車を2回見かけた。

釜山で予定外の宿泊をするというハプニングがあったが、そのための追加支払額は宿泊料金、航空料金、両親の船舶料金と大阪までの特別急行料金を合わせて約47,000円であった。一方、事前に買っていた船舶料金、東京までの運賃(乗車券料金)と特別急行料金、両親の大阪までの特別急行料金についてそれぞれ7割の払い戻しがあり、払戻額は合わせて約58,000円となって追加支払額を上回るという奇妙なことが起こった。これは、両親がフェリーのクラスを下げたことも影響しているが、日本の交通料金が高いことを示していると判断して間違いない。

出発

釜山

慶州

海印寺
抜粋

釜山2

回顧

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
3日09:00 鉄路 14:00 福岡
17:45 水路 4日09:00 韓国 釜山
11:00 道路 15:00 慶州
6日08:30 道路 10:30 海印寺
12:00 道路 17:00 釜山
7日11:10 空路 13:00 日本 東京
道路 :道路、 鉄路 :鉄路、 水路 :水路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
韓国 慶州 Concord 2
釜山 Hotel Phoenix KR.W 77,000 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
韓国 KR.W 0.117円 0 0 0 0 0
日本 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 0 0 0 0 0

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
韓国 77,000
内訳
0 77,000 3,000 4
日本 0 0 0 0 1 0
通貨計 9,000 0 3,000 5
(注)釜山における住居費のみで、円換算と日平均は一人当たり。

出発

釜山

慶州

海印寺
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釜山2

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概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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