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東南アジアB

出発

抜粋

バンコク

チェンコーン

パークベン
ボーテン

孟臘

バンコク2

回顧

概要

■バンコクに向けて、成田空港から利用したノースウェスト航空のフライトは、初回のタイ旅行の際と同じ便だ。ドーン・ムアン空港到着が夜となり市内に入るために苦労することはそれまで通りだが、この旅ではさらに雨の歓迎を受けてしまった。市内に入っても激しい雨の中で宿泊先を探すことになるだけなので、空港で夜を明かすことにした。そして、24時間営業のカフェテリアで時間を費やしたり、ロビーで仮眠をしたりした。

持参したガイドブックは中国南西部について扱ったものだけで、中国に入国するまでは、タイからラオス北部を経由して中国に抜けることができるという説明がされた書籍に頼ろうと考えていた。しかし、ラオスについての情報が不足しているのではないかと考え直し、前回のラオス旅行の際にも世話になったロウンリ・プラネットを空港内の小売店で買うことにした。前年の発行であったが、まだラオスを自由に旅行することはできないと説明されていた。ただし、国内の解説は詳細であり、タイとの国境から中国との国境まで移動するために大いに利用した。

翌早朝になって列車の3等席に乗ってフアラムポーン駅に向かうという状況も初回のタイ旅行の際の再現だ。ドーン・ムアン駅で切符を買うことができなかったため車内で買いたいと思い、検札の時に車掌にその旨を伝えた。こちらの意思は通じたように思われたが、車掌はそのまま通り過ぎてしまい、結果的に無賃乗車をすることになってしまった。

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ヤワラー通り

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タラート・カオ

辺りが明るくなるのを待ってチャイナ・タウンのヤワラー通りに向かい、タラート・カオ(旧市場)などを見物した。次いで、帰国便と乗換便のリコンファームのため、それぞれの航空会社のオフィスを訪ねた。前回のラオス旅行の際に航空会社のオフィスの閉店時刻が早いことを知らずに失敗したのと同じ土曜日に当たっていたため、午前中にリコンファームを終えようと精力的に動いた。タイ航空のオフィスはシーロム通りに、ノースウェスト航空のオフィスはラーチャダムリ通りにあって相互に比較的近く、またノースウェスト航空のオフィスには初回のタイ旅行の際を訪ねていて場所を知っていたため気が楽であった。なお、リコンファームは不要になる方向にあるようで、今後の改革を期待したい。

タイ航空のオフィスでは、事前に受け取っていた指示に反して、リコンファームは出発地の昆明で行うようにとスタッフに言われた。しかし、旅程を説明し、昆明に搭乗日の3日前までに到着することができないためリコンファームの期限に間に合わないと主張すると、キャンセルしないようにと昆明オフィスに連絡してくれた。ただ、旅程を説明しようとした時、「中国へは香港から向かうんじゃないんですか。ここから陸路を進むとは信じられません。」と言われてしまった。

フアラムポーン駅からバスに乗ってシーロム通りに向かった時、車掌と隣の乗客に行き先を告げていたのに到着を教えてもらうことができず、降り損なってしまった。ただ、シーロム通りに差し掛かった辺りで街路が賑やかになってきたため到着したのではないかと感じており、バスを乗りこなすまであと一歩という段階ではないかと思う。

その後、チェンコーンに向かうバスを予約するためにマレイシア・ホテル付近の旅行代理店を訪ねたが、チェンマイなど主要都市に向かう便以外は受け付けておらず、直接北バス・ステイションに向かうことになった。バス・ステイションでは簡単に切符を買うことができた。チェンコーンに向かうバスは宵の出発であったため、しばらくの間、近くにあるウィークエンド・マーケットを見物することにした。夕方からは雨が降ってきた。

出発

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バンコク

チェンコーン

パークベン
ボーテン

孟臘

バンコク2

回顧

概要

■チェンコーンへは、翌朝の到着となった。バスを降りると、メコン川を右手に見ながらメイン・ストリートを中心部に向かった。通りでは、時折山岳民族を見かける。また、同じくラオスとの通商が行われているノーンカーイと比べると、華やかさという点ではるかに見劣りするように感じられた。これは、対岸のラオス北部の経済規模が、ノーンカーイ対岸のラオス首都圏とは比較にならないほど小さいためであろう。ただし、雲南省との間に有料幹線道路を建設する計画が進んでいるとのことで、バンコクと昆明を結ぶ大動脈になることが期待されている。近くにあるメーサーイからミャンマーを経由して雲南省に抜けることができるようになったとの噂もあり、数年のうちに一帯の町並みは様変わりしているかもしれない。

持参した書籍にラオスのヴィザの代理申請を取り扱っていると紹介されていたタミラ・ゲストハウスでは、取り扱いはできなくなったと言われた。ラオスの入国管理が厳しくなったためだという。とりあえず宿泊を依頼した後、紹介してもらった旅行代理店に向かった。そして、パスポートのコピーを取ってもらった後、当日は日曜日であるため船は運航していないが翌日は渡航することができるとの説明を受けた。手数料は1,800バーツ(1バーツは約4.13円)と、前回のラオス旅行の際と比べて割安であった。

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タイ側から眺めたフアイサーイ

ゲストハウスの窓からは、メコン川の流れを楽しんだ。対岸のフアイサーイ(フエサイ)をはっきりと見渡すことができたが、それなりに発展した町のように思われた。また、モウターボウトの往来する音がしきりに聞こえてきた。

翌日は、午前中大雨になっていた。レイン・コウトを着て旅行代理店に向かったが、予定の11時に渡航することはできなくなったため14時半まで待ってほしいと言われた。大雨のためラオス側の準備ができていないのだと説明されたが、渡航時刻を次々と延期されるというのは前回のラオス旅行の際にも経験したことなので油断をすることはできない。

この旅では元々強行日程を組んでおり、ラオス入国に手間取っていると昆明からバンコクに戻るための飛行機に乗り遅れてしまう危険があった。陸路によって期限までに昆明に到着することができないと確定した場合、どこかで空路に切り替えることができるか、あるいは昆明を訪ねることを諦めて帰国便に間に合うようにバンコクに戻るためにはどうすればよいかなど、様々な難題が頭を駆け巡った。

しかし、幸いなことに、予定前の14時にはラオスに向かうことができるようになった。船着場に向かう道の脇に机が置かれただけのイミグレイションで出国手続を済ませると、同時にヴィザの発給を申請していたチェンマイ在住でタイ語を話す若いオーストラリア人男性と一緒に船に乗り込んだ。定員は5人程度であろうか。

フアイサーイへは、間もなく到着した。そして、当地で1泊してタイに戻るというオーストラリア人と別れ、チェンコーンで紹介された旅行事務所に連れていってもらった。中国との国境に向かう方法を尋ねるためだ。

事務所では、持参した書籍に紹介されていた2つのルートのうち、当地から直接中国との国境に向かう道路は利用することができないと言われた。中国までの最短ルートであり構想中の有料幹線道路もその道路に沿って建設されることになるのではないかと考えられるが、現在は雨季には通行に耐えない悪路であり、ロウンリ・プラネットによるとゲリラも出没するという。そこで、一旦メコン川をパークベンまで下る迂回ルートを採ることになった。しかし、スタッフに中国との国境に向かう方法を尋ねていると、傍らにいた男性が話を遮った。副所長だという。その説明によると、ラオスではガイド同伴でないと都市間の移動をすることはできないとのことであった。そして、中国との国境までの2泊付のトゥアー料金として約5,000バーツを請求された。にわかに信じることはできない話であり、ガイド同伴の方が結局は安いものにつくとか中国入国のためにもガイドが必要だとか言って説得しようとしたり、ディスカウントしようとしたりするに及んで席を立つことにした。ラオス人のガイドが同伴しているかどうかということは中国入国のためには全く関係ないはずであり、副所長の説明によって、かえって無事に中国に入国することができるのではないかと考えられるようになってきた。

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バンコク

チェンコーン

パークベン
ボーテン

孟臘

バンコク2

回顧

概要

■パークベンへは、フアイサーイからメコン川を約100km下ることになる。バスの便もあるそうだが、時間がかかりそうだ。事務所を出るとすぐにトゥクトゥクに乗って船着場に向かった。スロウ・ボウトだと料金は3,500キープ(1キープは約0.118円)で10時間を要し、乗客定員6人のスピード・ボウトだと料金は300バーツで3時間を要するとのことであった。しかし、定期運航されているわけではなく、ほかにパークベンに向かう人は見つかりそうになかったため、仕方なく1,200バーツを支払ってスピード・ボウトを貸切で利用することにした。持参した書籍にはスロウ・ボウトによるメコン川の流れと同化した旅の素晴らしさが強調されていたが、急いでいる時はスピード・ボウトの利用もやむを得ないと言ってよいであろう。

ボウトはメコン川を疾走していく。死傷事故が起こったことがあるとのことで、ヘルメットを着用することになっている。スキー場を除いて経験したことのないような風圧を受けることになった。速く進んでくれることはありがたかったが、目指す中国は実は逆の上流方向にあるのだと思うと複雑な気持ちであった。

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船着場付近

パスポート・チェックのため1回停泊した後、小さな集落で下船するよう指示された。ちょうど、若い女性が水浴びをしているところであった。下船するのは休憩のためであろうと思っていると、船頭は何の説明もせず一人で船を漕ぎ出していなくなってしまった。フアイサーイを出立してから2時間半程度後のことだ。通りを歩いてみても小さな村でしかない。訳が分からず焦っていると、警察官に呼び止められた。そして、連れていかれた事務所がパークベン・イミグレイションであった。何と既に目的地に到着していたのだ。メコン川の水路から中国まで延びる幹線道路が分岐する交通の要衝というだけでパークベンが大きな町だと錯覚していたことは不覚であった。再びパスポート・チェックを受けたが、このように頻繁にパスポート・チェックがあるのは、県都を出たり県境を越えたりする度に旅行許可証の取得を要求していた従来の入国管理の名残であろうか。

当地では、電気は18時頃から3時間だけしか供給されておらず、ホテルでは蝋燭が用意されていた。

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マーケット

翌朝、中国との国境方向にあるムアンサイに向けて出発することになる。出立までの間、通りを散策した。数人の山岳民族を見かけたが、マーケットで商品を売買するために山を下りてきているようであった。また、托鉢中の僧侶の一団が通りかかった時、女性が1列に並んで跪き、布施として米飯を差し出している光景を見かけた。一般国民の僧侶に対する尊敬の念が感じられ、宗教と社会主義が両立していることに感心させられた。

パークベンを含むウドムサイ県の県都ムアンサイは、地元ではウドムサイと呼ばれている。荷台を座席に改造してあるヴァンに乗って向かうことになった。ヴァンはしばらく乗客が入れ代わり立ち代わりしていたが、途中から立席の人も現れるほどの混雑になった。足の踏み場もないほどなのに、運転手が度々露店でヴァンを停めて大きな南瓜を荷台に積み上げていくため混雑に拍車がかかった。南瓜は、ムアンサイで転売するつもりなのかもしれない。

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高床式住居

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高床式住居

パークベンからの幹線道路は、ロウンリ・プラネットによると、「依然として(still)まともな状態に(in fair condition)ある全天候型の道路」とのことであった。「依然として」という逆説的な修飾語が付いているのは、ラオス内戦時に中国が物資補給のために建設した後、保守がなされないため劣化が起こっているということを示唆している。そして、行程を進んでいくに従って、「fair」の意味に対する認識を改めなければならないと感じるようになった。随所に水溜りや泥濘が現れ、とても「まとも」と言うことができるような状態ではないのだ。「悪路」という評価を受けた別の道路がどのような状態なのか、思いやられてしまう。また、牛、馬、山羊、犬、豚や、鶏を始めとする様々な鳥などがしばしば道を遮ってしまうため閉口した。この中で特に面倒であったのは牛と鳥だ。牛はヴァンが接近してクラクションを鳴らしても一向に動こうとしない。一方、鳥は危険を察知すると帰巣本能が働くためか、ヴァンの接近に気付いてから慌てて道路を横断しようとすることがあるのだ。

道路の両側に広がる世界は、それまで見たこともないような別世界であった。時折目の前に広がる集落は藁葺の高床式住居だ。山岳民族も見かける。トゥーリストが大挙して押しかけているタイ北部と違って全く観光化しておらず、素朴な生活を送っている様を垣間見ることができた。また、子供達が手を振って歓迎してくれることがあったが、大自然に育まれて豊かな生活を享受しているとの印象を受けた。

ムアンサイでは、中国との国境にあるボーテンに向かう乗り合いのヴァンを探すことはできず、再び貸切という方法に頼ることになった。そして、ほかの町に向かうために既にヴァンに乗っていた乗客全員を降ろすことになってしまい、申し訳なく思った。

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チェンコーン

パークベン
ボーテン

孟臘

バンコク2

回顧

概要

■ボーテンまでの道路は、それまでよりもさらに劣化していた。また、ヴァンのエンジンが青息吐息の状態であり、なかなか進まなかった。一時は大きな泥濘に捕まって身動きすることができなくなってしまったが、後続のトラックの運転手に依頼して、助手とともに車体を上下に揺らしてもらった。そして、その反動で何とか脱出することができた。

ムアンサイでは当日中に中国に入国することができるかと期待したが、ボーテンに到着した時には辺りはすっかり暗くなっていた。パークベンよりもさらに侘しい村であったが、今度は予めどのような村か想像していたため、カルチャー・ショックは受けなかった。当地には電気は供給されていない。村で唯一の宿泊施設だと思われる中老食堂付設旅社(「老」は「ラオス」の意)に泊まったが、自家発電を行っていた。

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集落

翌日は、朝方小雨が降っていて蝋燭の灯火では部屋の中は暗く、また旅社で朝食を用意してくれるかと期待して待っていたこともあって、旅社とは目と鼻の先にあるイミグレイションに到着した時には8時半(中国時間では9時半)頃になっていた。イミグレイションが開く7時から1時間半も経っており、この遅れは中国に入国してから大きな意味を持つことになる。

ラオス出国に際しては入念な検査が行われたが、手慣れているようには見えなかった。第三国人がこの国境を越えることはほとんどないのであろう。ムアンサイでパスポート・チェックを受けるようにとのパークベンでの指示に従っていなかったため無事に出国することができるかどうか不安であったが、杞憂であった。

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ラオスとの国境標

イミグレイションを過ぎると舗装された道路が続き、水田が広がっている。そのうちに上り坂になり、峠に達した辺りで懐かしい中国語の標識が掲げられている様が目に入った。傍らには国境標が立てられており、中国領に入ったことが分かる。そこから先は下り坂で、中国側のイミグレイションに到着した時には中国時間で10時頃になっていた。

磨敢(ボーハン、モーハン)での中国入国に際しては、見慣れない日本のパスポートに関心を持たれた。和やかな雰囲気から入国に何の支障もないことがすぐに分かった。入国手続を終えると、孟臘に向かう汽車に飛び乗った。中国ではバスなど自動車のことを汽車と呼ぶ。まだ両替を行っていなかったため汽車料金はUSドルで支払ったが、交換レイトはよくなかった。

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バンコク

チェンコーン

パークベン
ボーテン

孟臘

バンコク2

回顧

概要

■孟臘(モンラー)は、磨敢から中国に入国した場合の最初の開放都市だ。磨敢からの道路はよく舗装されており、家の屋根はほとんどが瓦葺になっていた。そして、雲南省は、国境を接しているラオス北部よりもはるかに裕福だという印象を持ってしまう。逆ルートで旅行していたとしたら雲南省に対して全く異なる印象を持っていたであろうと考えると、旅程を決定することの難しさに思いが至る。実際には、磨敢からの道路にも泥濘はあるし、孟臘市街でさえ自転車が泥濘に捕まって横転するという光景が見られるのだ。

到着するとすぐに銀行に向かったが、ちょうど昼食休憩中であり両替を行うことができなかった。予定では、当地を含む雲南省南部に広がる西双版納(シーサンパンナ)泰(タイ)族自治州の中心地の景洪に当日中に向かうことにしていた。翌朝に昆明に向かう汽車に乗るためだ。しかし、銀行の長い昼食休憩が終わるのを待って両替を行ってから景洪に向かうと到着は宵になり、翌朝に昆明に向かう汽車を予約することができるかどうか分からない。一方、当地から直接昆明に向かう汽車については翌朝の便の座席を確実に確保することができ、時間はかかるものの、昆明からバンコクに向かう飛行機に間に合うという。そこで、迷った末に景洪に向かうのは中止することにした。後で考えると、景洪までの汽車の料金は高額ではないのだから、銀行以外の場所で中国元を入手する方法を考えるべきであった。

ホテルを決めると、タイ航空の昆明オフィスに電話をかけて正式にバンコクに向かうフライトのリコンファームを行った。市街に出ると、山岳民族が買い物をしている様を見かけた。

夕食では贅を尽くすことにした。ラオスでは食生活が不規則になっていたためだ。食堂にはメニューがなかったため、食材の指定をした後、「炒」や「湯(スープ)」など料理法を伝えた。ただ、チキン料理を注文した直後に鶏の絶叫が聞こえ、注文しなければよかったと思った。通りでは、荷台に山積みにされたり逃げられないよう足を折られたりするなどそれまでにはなかったであろう扱いに自らの最期が近いことを悟った豚が、荷台に乗せられることに抵抗したり一生懸命に鳴いたりしていた。一方、そのような扱いを受けていない別の飼い主の豚は自ら歩を進めていた。いずれ食用になるとしても、望むらくは家畜に自らの運命を悟られないようにして安らかな最期を迎えさせたいものだと感じた。

翌朝の出発は6時半の予定であった。昆明到着はその翌日の12時、フライトの出発時刻は15時20分なので、昆明での余裕は2時間程度しかなかった。また、移動時間が当地までの総移動時間を上回ることを考えると少し憂鬱であった。移動距離は853kmであったが、山道であるため平均時速29kmで走ることになるのだ。

7時になって辺りが明るくなってきた頃、ようやく出発する。当日になって切符を買った乗客も多かったようだ。

10時から11時まで孟侖(モンルン)で休憩する。ガイドブックにある地図に記されていた孟臘と昆明の間にある9つの町を進行の目安にすることにしたが、そのうちの最初の町だ。乗客はマナーが悪く、市街はもちろん山中でも車外に物を捨てていた。休憩時間が長かったのはエンジンの調子が悪いためのようだ。

12時50分から13時50分まで昼食休憩となる。行程中の食事は食堂で食べることとされていたが、自己負担だ。注文は指差しで行うことができるので楽であった。8元(1元は約12.3円)の肉炒め定食を取った。前日の夕食では45元を要しており、一般国民の平均と比べるとかなり豪華であったことが分かる。

17時から17時15分まで検問を受ける。検査が厳しかったため訝しく思っていたが、西双版納泰族自治州を抜けるためだと分かった。

18時に3番目の町、思芽(スーマオ)を通過する。行程が進まないことが気にかかった。

18時35分に「昆明まで560km」という道路標識を見かける。それまでの1時間程度は大きな起伏はなかったが、平均時速34kmでしか走っていないことが分かった。上り坂で極端にスピードが落ちたり長時間の休憩が入ったりすることを考えると、先の見通しが全く立たなかった。

20時15分から原因不明の停車をする。後で考えるとエンジンの故障であったようだ。そのまま走らなくなるのではないかと心配した。ちょうど辺りが暗くなってきた頃で、非常に辛かった。強行日程を組んだことや前日に景洪まで行っておかなかったことを後悔した。また、停車中に追い越していった汽車のうちの1台が孟臘9時出発、昆明翌日13時半到着予定の臥舗(寝台車)に酷似しており、身の不運を嘆いた。20時40分に運転を再開した。

21時10分に4番目の町、普耳(プーアル)を通過する。道路工事があり、道路が渋滞していた。

22時45分から23時35分まで夕食休憩となる。食事時間がそれほど遅くなったのはそれだけ行程が遅れているためであろうかと気にかかった。また、昼食休憩以降の最初の公式な休憩であり、女性にとっては過酷な行程であるように思われた。食事のためには今度は事前に食券を買うこととされており、前の人と同じ料理が欲しい旨を伝えることによって何とか注文したが、昼食と同じ料理となってしまった。

23時45分から再び停車をする。エンジンの調整をしていることがはっきりと分かった。今度はバンコクに向かう飛行機に間に合わなかった場合を想定し、帰国のための交通機関の確保をどのようにして行うかとか、バンコクと香港のどちらが経由地としてふさわしいかとかいうことに思いを巡らせた。日付が変わって深夜0時10分に運転を再開した。

6時55分に6番目の町、元江(ユエンジャン)を通過する。前日に景洪から出発していたとしたら昆明に到着している頃だ。2時頃から6時頃までは仮眠をしていたが、その間に通過した地図上の町が1つだけだと分かって落胆した。もっとも、5番目の町の両側には山脈が走っており、難所であったのだとは思う。

9時30分に昆明発景洪行の汽車と行き違う。昆明を早朝出発する汽車はないようであり、この汽車の昆明出発が7時だとすると、上下線の所要時間が同じだとして、2時間半程度で昆明に到着する計算になる。これは、この行程で唯一の明るい情報であった。

10時50分に7番目の町、峨山(アーシャン)を通過する。地図ではそこから先に山はないように描かれていたが、実際には小さな起伏があり、期待したほどスピードは上がらなかった。

11時から朝食休憩となる。朝食休憩はないのではないかと思っていたが、期待は裏切られた。運転手の一人に昆明到着予定時刻を筆談によって尋ねると15時だという。そこで、飛行機に乗るために14時20分までに空港に到着しなければならない旨を伝え、タクシーに乗り換えたいと申し出ると、タクシーはないが快速汽車を利用すれば間に合うとの返事であった。小回りの利くミニバスのことのようだ。運転手は朝食の茶碗を外に持ち出して一緒に快速汽車が通りかかるのを待ってくれた。昆明に向かう快速汽車は1台だけ通りかかったが、乗車を断られてしまった。11時50分になって朝食休憩は終わり、一旦持ち出したデイパックを持って汽車に戻らざるを得なかった。出発前、運転手はエンジンを最大限に吹かしてくれた。

12時20分に8番目の町、玉渓(ユーシー)を通過する。大きな町であり、山麓では工場の煙突から煤煙がもくもくと吐き出されていた。そこから先は道路が有料になっていてよく整備されており、運転手は盛んに追い越しを行った。

13時10分に「昆明まで29km」という道路標識を見かける。9番目の町は既に通過したようだ。13時50分には前方に着陸体勢に入った飛行機を見かけた。

14時15分にようやく昆明に到着する。昆明巫家覇空港に向かう道路との交差点でバスを降ろしてもらった。飛行機に間に合うよう全力を尽くしてくれた運転手に感謝した。しかし、空車のタクシーがなかなか見つからず焦った。

14時35分に空港に到着する。フライトの出発は45分後に迫っていたが、幸いなことにチェックインは問題なく行うことができた。

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概要

■バンコクに向かう飛行機の座席は、予約の都合でビジネス・クラス(説明ではファースト・クラス)としていた。エコノミ・クラスよりも1万円高い3万円を要したが、当日は某記念日であり、フル・コースの機内食を堪能することができてちょうどよかったかもしれない。ビジネス・クラスには乗客が数人しかおらず、サーヴィスは至れり尽くせりであった。

バンコクでは、カオサン通りに立ち寄ってみようと思い、ドーン・ムアン空港から市内バスに乗ったが、乗り間違えてしまった。系統番号が同じでも車体の色が異なると別の路線だということを知らなかったためだ。そのため、カオサン通りに向かうことは諦め、雨中、歩いて空港に戻ることになった。そして、再び空港のロビーで夜を明かした。山間部を中心に旅行したためか、東京はかなり暑く感じられた。

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概要

■この旅は、それまでにない秘境の旅となった。旅行中は、空港、機内、国境付近は別として、外国人と出会うことはなかった。また、ラオスでは入国審査官や警察官が少しだけ英語を話すことができたが、そのほかに英語を話す人は一人しか見かけなかった。しかし、壮年の女性など外国人に興味を示してきた人と会話集を見ながら会話をすることによって、最低限の意思の疎通を行うことはできた。

中国は、7年振りの訪問であった。前回の中国旅行の際と比べた時の最も大きな変化は、前年の外貨兌換券の廃止による人民幣への通貨の統一であろう。通貨の統一後、闇両替はあまり行われなくなったようだ。また、幸いなことに「没有(ない)」という言葉に悩まされることはなかった。前回の中国旅行の翌年には、失脚した前共産党総書記(当時)が亡くなったことを契機として始まったデモンストレイションが制圧される事件が起こった。ただ、その後は政治、経済とも順風満帆だと言ってよいであろうか。また、周辺の東南アジア諸国と一体となった雲南省の経済発展にも期待したい。

現地での1日平均の旅行費用は約3,200円であった。旅行費用のうち宿泊料金の最高は孟臘の約1,200円(100元)で、最低はボーテンの約180円(1,500キープ)であった。

この旅の教訓として、旅程の決定は慎重に行わなければならないということが挙げられる。それまでの旅でも強行日程になることは多かったが、この旅では旅程が滞ると帰国することができなくなるため重大な問題であった。そして、ラオスや中国の出入国、交通機関についての情報が不足していたり齟齬があったりしたため旅が途中で頓挫する可能性も高かった。ラオスでは望ましい方法ではないかもしれないがボウトやヴァンの貸切によって何とか旅程を消化していったが、中国入国の前後で手間取ったことから最後に難局を迎えることになってしまった。ただ、時間の制約の中で壮大な自然を堪能したり貴重な経験をしたりすることができたという点では満足している。

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前訪問地発 当訪問地着 訪問地
出発 日本 東京
18日18:40 空路 23:00 タイ バンコク
19日19:00 道路 20日08:00 チェンコーン
21日14:05 水路 14:10 ラオス フアイサーイ
15:30 水路 18:00 パークベン
22日07:35 道路 13:30 ムアンサイ
13:40 道路 19:10 ボーテン
23日08:30 徒歩 10:00 中国 磨敢
10:15 道路 12:30 孟臘
24日07:00 道路 25日14:15 昆明
15:40 空路 16:35 タイ バンコク
26日06:20 空路 14:20 日本 東京
徒歩 :徒歩、 道路 :道路、 水路 :水路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
タイ チェンコーン Tam-Mi-La Guest House TH.B 160 1
ラオス パークベン Hotel Soukchareun Sarika TH.B 120 1
ボーテン 中老食堂付設旅社 LA.K 1,500 1
中国 孟臘 南疆賓館 CN.\ 100 1

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
US.$ 101円 0 0 2
内訳
0 0
タイ TH.B 4.13円 1,802
内訳
363
内訳
2,428
内訳
450
内訳
0
ラオス LA.K 0.118円 0 3,600
内訳
4,000
内訳
0 0
中国 CN.\ 12.3円 4.40
内訳
86.20
内訳
230
内訳
0 0
通貨計 JP.\ 1.00円 7,494 2,981 13,520 1,858 0

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
0 0 2
内訳
タイ 280
内訳
0 5,323
内訳
14,050 4.9 2,867
ラオス 1,500
内訳
0 9,100 9,001 1.8 5,000
中国 156.10
内訳
0 476.70 6,049 2.3 2,630
通貨計 3,248 0 29,101 9.0 3,233
(注)円換算と日平均は他国通貨での支払いを含む。

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春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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