■11月第3週から第4週にかけて、ニューヨーク(紐育)などを訪ねる目的で、帰国日を除いて10日間の旅程で両親が訪米してきた。第4週はサンクスギヴィング・デイに伴うヴァカンス期間に当たっており、第5週からの受入先での勤務の始まる前であったため、よい機会ではないかと両親に訪米を勧めたのだ。
■まず、両親を出迎えるために、ワシントンDCのダウンタウンでレンタカーのチェックアウト(借出)を行った後、アパートメント周辺で試運転をしてみた。次いで、アパートメントの前を走っているウィスコンシン・アヴェニューをベセスダまで北上したりジョージタウンまで南下したりした。それによって自動車の運転について見通しが立ったため、一旦自動車を路上に駐車してアパートメントで休憩していた。ところが、その時、交通違反切符を交付されることになった。30ドルの罰金であった。
■気を取り直して、ダレス空港に向かった。まだ時間が早かったこともあり、自動車の運転の練習を兼ねてチェヴィチェイスとの間を往復した。右側通行の道路に合わせてステアリング・ホイールが左側座席にあることは問題にならなくなっていたが、ラッシュ・アワーに当たったこともあり、首都圏を循環しキャピタル・ベルトウェイと呼ばれるインターステイト・ハイウェイ(州間高速道路)495号などでは多くの自動車が高速で走っており、かなり戸惑った。
■両親の乗ったロスアンジェルス発のユナイテッド航空の飛行機は、霧のため、予定よりも1時間程度遅れて到着した。父にとっては初めての国際線の飛行機旅行で、母にとっては国内線を含めても初めての飛行機旅行であった。そのため、ロスアンジェルス空港でのトランスファーには苦労したようだ。入国手続に際して一旦託送荷物を受け取る必要がないよう荷物をすべて機内持込にしてもらっていたが、巨大な構内をシャトル・バスに乗って移動するために時間を要したという。
■ダレス空港での待ち合わせに際してもハプニングがあった。待ち合わせ場所の確認が不十分であったのだ。待ち合わせ場所は所定の場所としか示し合わせていなかったが、ダレス空港では、合衆国のほかの空港と同様に送迎者が搭乗待合室まで入ることができる。そして、実際に搭乗待合室で派手に出迎えを受けている乗客を目の当たりにして、両親はそこが待ち合わせ場所だと考えたという。搭乗待合室から出口に向かうために、外見上は列車のように見えるモウビル・ラウンジというバスに乗らなければならないことも事情を悪くしていた。また、残念に思うのは、出口にいる空港警備員に事情を説明しても、何の対応も取ってくれなかったことだ。飛行機到着の1時間後に無事に両親を出迎えることができた時には安堵した。
■両親のために予約しておいたモウテルはアパートメントの近くにあり、チェックインが終わると、両親にアパートメントを見てもらった。両親は、調度の整ったアパートメントや日本と品揃えのあまり変わらないスーパーマーケットを確認して安心したようだ。
■翌日から2日間、レンタカー、タクシー、メトロを利用して、ジョージタウン、国会議事堂、チャイナ・タウン、ワシントン記念塔や、ヴァージニア州アーリントンのアーリントン国立墓地(ナショナル・セメタリ)などを案内した。ホワイト・ハウスやナショナル・ギャラリなどは、暫定予算の期限切れに伴う政府のシャットダウン(閉鎖)のため、中に入ることができなかった。
■両親訪米5日目から、6日間の旅程で、ニューヨーク州のナイアガラフォールズとニューヨークを訪ねた。両親は、日米間の往復のために利用した格安航空券がゾウン制運賃の適用対象になっていたため、日米間の単純往復と同一料金でこれらの町を訪ねることができるという恩恵を受けていた。父は風邪気味であったが、前日の休養で体調は回復に向かっているようだ。
■ダレス空港まではタクシーを利用し、空港から飛行機に乗ってバッファローに向かった。飛行機はプロペラ機であった。合衆国では、飛行機の路線網が細かく張り巡らされている代わりに、乗客の少ない路線では小型機の利用もあるようだ。プロペラ機の利用は、ヴェトナム旅行の際に国内移動のために利用して以来のことだと思う。プロペラ機に乗ったことのない母は、当然のことながらかなり不安であったようだ。バッファローに近づいて飛行機が高度を下げると、雪化粧をしている町が次第に大きく見えてきた。
■バッファロー空港からナイアガラフォールズに向かうためには、タクシーと料金のあまり変わらないレンタカーを借りることにした。そして、ナイアガラフォールズのダウンタウンに入る前にホースシュー・フォールズ(カナダ滝)を見物したいと考え、バッファローの近くで早々に国境のナイアガラ川に架かっている橋を渡ってカナダに入国することにした。出国ゲイトは見当たらず、そのまま入国ゲイトに向かうことになる。入国ゲイトでは、簡単に通り抜けていく地元の自動車とは異なり、隣接する事務所に行くようにと指示を受けた。ただし、両親に自動車の中で待っていてもらい、3人分のパスポートを持って事務所を訪ねると、簡単にパスポートに入国スタンプを押してくれた。
■ホースシュー・フォールズは、実に壮大なものであった。奥にアメリカン・フォールズ(アメリカ滝)を望むこともできた。冬の到来のため既にオフ・シーズンに入っており人影はまばらであったが、しばらく寒さに耐えてホースシュー・フォールズを間近で見物していた。夕方になって隣接するレストランに入り、様々な色にライトアップされるホースシュー・フォールズのイルミネイションを楽しんだ後、合衆国側に予約しておいたモウテルに向かった。ニューヨーク州旅行中は、宿泊料金の節約のため、すべてトゥイン・ルームにコット(エクストラ・ベッド)を追加するという形式で予約した。
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■翌日、レンタカーを運転してバッファロー空港に戻る途中、再びホースシュー・フォールズを訪ねた時には、滝の裏まで続いているトンネルに入り、強大な水の落下エネルギーを実感した。
■バッファロー空港からは、ロチェスター空港でトランスファーを行ってニューヨークに向かい、ジョン・F・ケネディ空港からマンハッタン中心部のミッドタウンまでタクシーを利用した。宿泊先は、ベスト・ウェスタン・プレジデントというモウテルだ。運転手が住所を間違えたのか、最初は治安の悪そうな場所に連れていかれたため不安になった。しかし、ブロウドウェイなど多くの観光名所の集中するミッドタウンに到着すると、さすがに華やかであった。部屋は狭く、宿泊料金は非常に高かったが、世界に冠たるニューヨーク中心部であるだけに仕方がないであろう。モウテルは非常に繁盛しており、受付では宿泊客の往来が絶えなかった。
■7日目は、サンクスギヴィング・デイに当たっており、テレヴィジョンでパレイドの放送をしていたが、そのパレイドはミッドタウンで行われているものであり、モウテルの窓から階下に眺めることができた。
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 自由の像
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■その後、地下鉄やタクシーなどを利用して、自由の像(スタチュー・オヴ・リバティ、自由の女神像、正式名称は世界を照らす自由)やエンパイア・ステイト・ビルディングを訪ねた。ニューヨークの地下鉄路線網の複雑さは東京やワシントンDCの比ではなく、進行方向の異なる列車が同じプラットフォームに入線してくるため注意が必要だ。残念ながら駅はワシントンDCのような清潔さが保たれているわけではなく、母はワシントンDCとの落差に驚いていた。
■自由の像のあるリバティ島へは、マンハッタン南端からフェリーに乗ることになる。ニューヨークのシンボルであるだけではなく合衆国の自由のシンボルでもあるだけに、目に焼き付けようと様々な角度から眺めた。
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■エンパイア・ステイト・ビルディングでは、最上階の102階は工事中であったため上ることができなかったが、86階展望台から世界の首都の中心部マンハッタンの隅々を眺めることができた。イースト川とハドソン川に挟まれたマンハッタンの地形がよく分かった。
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 エンパイア・ステイト・ビルディングから
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■翌日は、タクシーを利用して国際連合本部(ユナイテッド・ネイションズ・ヘッドクォーターズ)やメトロポリタン美術館を訪ねた。
■国際連合本部は、トゥアーに参加して内部を見物する形式になっている。日本語トゥアーはしばらく待たなければならないようであったため、英語トゥアーに参加することにした。中国人スタッフに案内されて安全保障理事会会議場などを見物した。国際平和、人権尊重、経済発展など、全世界の抱えている問題は大きいと説明される。国際連合は、超大国の意向に左右されて、残念ながら十分に指導力を発揮しているとは言い難いが、問題の解決のための努力を続けてもらいたいものだ。
■メトロポリタン美術館は、ロンドンの大英博物館、パリのルーヴル美術館と並んで世界三大ミュージアムに数えられ、ヨーロッパ絵画を始めとして広いフロアに所狭しと並べられている美術品の一端を垣間見るだけで終わってしまった。
■モウテルはW(西)48番ストリートに面し、ブロウドウェイと8番街(アヴェニュー)の間にあって、タイムズ・スクウェアや5番街のショッピング街などに近い。市内見物のためには絶好の場所にあったと言うことができる。夜になって一人でショッピング街に出かけ、ネオン・サインが映える町並みを見物した。
■ミッドタウンに滞在した3日間のうち2回の夕食は、モウテル近くにある2軒の日本料理店で取った。寿司や天麩羅のように海外で典型的な日本料理と考えられている料理よりも、うどんや御浸しのような日本の家庭料理の方が懐かしく、舌鼓を打った。
■両親の出国前日には、レンタカーを借りて、ニューヨークの東に伸びるロング島を訪ねることにした。見物が終わっていないニューヨークの観光名所はまだ数え切れないぐらい残っていたが、長旅のため両親が疲労気味なので、ドライヴの方が楽に観光することができるのではないか、また郊外の観光も取り入れた方が趣向が変わって興味深いのではないかと考えたためだ。ニューヨークを出てしばらく走ると、後方に摩天楼を眺めることができるようになる。このように町並みを遠くから眺めてみるということは、町の様子を全体として理解するために役立つように思う。
■ロング島中央部のガス・ステイションで給油を行い、支払いのためにキャッシャー(キャッシュ・レジスター)に行くと、スタッフに「どこに向かっているのか。」と尋ねられた。「まだ決めていない。これから決めなければならない。」と答えると、ロング島東部のリヴァーヘッドと北部のポートジェファーソンという2つの町のどちらかがよいのではないかと示唆してくれた。既に午後になっており、当地では日の入りが早いため、リヴァーヘッドよりも近いポートジェファーソンをドライヴの目的地とすることにした。ポートジェファーソンは港町であり、ニューヨークの喧燥を離れてゆっくりとくつろぐためには絶好の町ではなかったかと思う。昼食では新鮮な海老料理を堪能した。
■その後、翌日の両親の出立に備えて予約しておいたエアポート・ホテルのJFKエアポート・ヒルトンに向かった。チェックインした後、ジョン・F・ケネディ空港までの道路の下見をしたが、夜であったことと道路が複雑に立体交差していたことから方向感覚が掴みづらく、エアポート・ホテルであるにも関わらずなかなか空港に辿り着くことができなかった。
■翌日は、両親を空港に送り届ける日だ。ところが、ホテルをチェックアウトしようとロビーに下りてみると、レセプションに団体客が詰めかけており、いつになったら対応してもらうことができるか分からないという状況であった。そこで、チェックアウトを後回しにして、先に空港に向かうことにした。宿泊者が全員搭乗予定であったとするとどういう結果になっていたであろうかと思う。両親は初めての西洋への旅に満足したようであった。帰路はサンフランシスコ空港でトランスファーを行うことになっていたが、ロスアンジェルス空港と比べるとはるかに小規模なので、比較的スムーズに事が運んだようだ。
■両親を見送り、ホテルのチェックアウトを済ませると、マンハッタンに戻ってレンタカーのチェックイン(返却)を行った。ワシントンDCまでは、アムトラックと、全国のバス路線網をカヴァーしているグレイハウンドのどちらを利用するか決めていなかったが、レンタカーの営業所からは、グレイハウンドの発着するポート・オーソリティ・バス・ターミナルの方が、アムトラックの発着するペンシルヴェニア駅よりも近かったため、グレイハウンドを利用することにした。所要時間は約4時間半とのことであったが、サンクスギヴィング・デイに伴う行楽ラッシュに巻き込まれ、シルヴァースプリングを経由してワシントンDCに到着するまでに6時間を要した。ワシントンDCのバス・ディーポ(グレイハウンドの発着所)に到着した時には辺りは暗くなっており、駅の方向を確認すると、事件に巻き込まれないよう足早に家路を急いだ。
■ニューヨーク州旅行中の一人当たり宿泊料金の最高はニューヨーク3泊目の約7,200円(68.62ドル)で、最低はナイアガラフォールズの約3,500円(33.56ドル)であった。
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