■メキシコ・シティ(シウダー・デ・メヒコ)は、特別市(厳密には連邦区)に位置付けられる。タパチュラから20時間のバス旅行となった。選んだのは1等車であったが、休憩所に立ち寄った時にそれが食事休憩なのか短時間の休憩なのかがよく分からず、時間のかからない軽食を取っていた。
■翌朝、メキシコ・シティに到着した。往路と同じ北バス・ターミナルに到着したため、事情が分かって都合がよかった。日本出発の時点でエルサルバドルなどの訪問は予定していたが、メキシコ訪問は予定していなかったため、持参したのは合衆国で買ったロウンリ・プラネットだ。
■ホテル探しには、少し手間取った。グアテマラ・シティのホテルでファンを付けたまま寝てしまい、風邪気味になっていたため、中級ホテルに見当を付けて、高級店が立ち並ぶソナ・ロサを目指した。しかし、意中のホテルは料金の折り合いがつかず、周辺に手頃なホテルがなかったため、立ち往生してしまった。結局、安宿が集まっている中心部でホテルを探すことになった。大きな町で最初からホテルを絞り込んだのは得策ではなかった。
■その間、若い男性に声をかけられた。そして、しばらく立ち話をした後、親切にしたので1メキシコ・ペソ(1メキシコ・ペソは約14.5円)を欲しいと言われた。即座に断ったが、通りから外れた場所に連れていかれていたため、財布を取り出すとそのまま持ち逃げされていたかもしれない。軽率であった。
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 カテドラル
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■ホテルで仮眠をした後、雨の中を市内見物に出かけた。中心部ソカロでカテドラルを見物した後、ソナ・ロサを目指して散策することにした。大都市であるメキシコ・シティは見所が多そうであったが、雨中、道に迷ってしまい、自動車には道路脇に溜まった水を思い切り跳ね上げられたため、散策は中止することにした。若い男性に道を尋ねると、何と一緒にバスとメトロに乗ってホテルの最寄駅まで送ってくれた。しかも、こちらのバス・列車料金まで負担してくれるという予想外の親切に非常に驚かされた。
■翌日は、ホテルをチェックアウトした後、シウダー・フアレスに向かうバスが出発するまでの間、テオティワカンを見物することにした。北バス・ターミナルからバスに乗って向かう。広大な敷地に建てられた壮大なピラミッドは、6世紀に最盛期を迎えた文明の偉大さを思い起こさせた。若いノルウェー人男性と行動をともにした。入口付近では、高い棒の先から逆さ吊りになった人が笛の音色に合わせて回転しながら降りてくるボラドーレスというアクロバティックな儀式を見物することができた。
 テオティワカン
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■メキシコ・シティの北バス・ターミナルを出立し、年が改まった翌日、シウダー・フアレスに戻った。途中、午後4時半頃に休憩所に立ち寄った時、車掌に出発時刻を尋ねると、「シンコ(5)」との返答であった。5時出発の意味だと考え、レストランで夕食を取ることにした。ところが、食事を始めて間もなく車掌に乗車を促されることになった。「シンコ」とは、休憩時間が5分だということを意味していたらしい。それならば、「シンコ・ミヌトス(5分)」と答えてほしかった。
■シウダー・フアレスでは、三大ネットワークなど合衆国と変わらない放送を受信することができる。一方で、一夜を明かすと大雪になっており、寒さも合衆国並みだ。
■今度は、エルパソに向けて、歩いてリオ・グランデ川を渡ることにした。川には2本の橋が架かっている。北行用と南行用に使い分けられており、メキシコから合衆国に向かうためには西側の橋を渡らないといけないらしい。それを知らずに東側の橋を渡り始め、途中で追い返されることになった。グアテマラからメキシコに抜ける時にも感じていたが、中央アメリカでは、北に向かってイミグレイションを通る時には、南に向かっている時には感じない緊張感を覚える。無事に入国を許可してもらうことができるであろうかと考えてしまうためだ。これは、経済的に豊かな合衆国など北側の国で何とかして働きたいという地元の人の希望と、それを押し留めようとする当局の意向が影響しているのであろう。本来、地元の人が心配するべき問題であり、日本人には関係ないはずだが、入国審査官の態度などから地元の人の心配が日本人にも伝播してしまうのであろうか。何はともあれ、先進国に憧れる発展途上国の国民の心情を擬似体験することができるのは興味深い。
■3か国を訪ねた中央アメリカ旅行中の宿泊料金の最高はメキシコ・シティの約1,800円(125メキシコ・ペソ)で、最低はサンサルバドルの約970円(80コロン)であった。
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