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ネパール寄航 / 帰国 / 回顧

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■2002年12月中旬、日本を出立し、2年間(閏日を含めて731日間だが、国外移動日以外の一時帰国日59日間を除くと672日間)の海外生活を始めることになった。海外渡航としては30回目、海外滞在としては2回目であり、滞在先はマレイシアだ。

住居を退去するため、エア・コンディショナー、ヴィデオ・テイプ・レコーダー、冷蔵庫、テレヴィジョンなど多くの家具を処分し、一部を実家に送った。

荷物は、スートゥケイス、ボストンバッグ、段ボール箱、ゴルフバッグの4つで約66kgであった。利用したのは日本航空のビジネス・クラスであったため重量制限は通常よりも40kg多く、70kgと余裕があった。成田空港までは空港宅配サーヴィスを利用した。ほかにアタッシェケイスとポウチを機内持込にした。また、段ボール箱2箱合計約50kgを別送品として送った。出国前日は宿泊施設に泊まった。

成田空港では、電源プラグ変換アダプターなどを買ってラウンジに向かった。

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ホテル・ニッコー

クアラルンプール空港(KLIA)へは、定刻前に到着した。イミグレイションには、自動で出入国審査を行う機能を持っているらしい自動改札機のような機械が置かれていた。当面2週間の滞在が許可されただけであったが、出迎えてくれた関係者のアドヴァイスに従って、滞在許可が延長されるよう交渉した。その後、市内に入ってホテル・ニッコー(日航酒店)にチェックインした。

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■渡航2日目の夕方になって、LRT(高架鉄道)に乗って外出した。2年間にわたって賃貸することにしている自動車を引き取るためだ。そして、雨中、引き取った自動車を運転してホテル・ニッコーに戻った。以前当地に滞在していた関係者が所有するホンダの1997年式、排気量2.5Lのインスパイアだ。高級車であり、賃貸料金は1か月2万円だが、走行距離が136,000kmに達していると知ってがっかりした。

3日目は、関係者の案内を受けて、プトラジャヤにある受入先を訪ねた。

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コンドミニアム(バンサー)

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コンドミニアム(モン・キアラ)

4日目は、関係者に紹介してもらった不動産会社の支援を受け、アパートメントの選定に取り掛かった。日本人学校がスランゴール州に入った西部郊外にあり、スクール・バスが運行されているバンサー(日本人滞在者による呼称はバングサ)やモン・キアラ(同じくモント・キアラ)などに住居を求める日本人が多いようだが、その種の心配をする必要はないため、中心部で探すことにしていた。その場合、ハウス・キーピングのサーヴィスのないコンドミニアムのほかに、サーヴィスのあるサーヴィス・アパートメントに住むという選択肢も生じることになる。両方の物件を内見させてもらった結果、サーヴィス・アパートメントの方がメインテナンスがよく行われているとの印象を受けた。

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サーヴィス・アパートメント

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ラジャ・チュラン通りから

7日目は、ラジャ・チュランにあるサーヴィス・アパートメントに焦点を絞り、いくつかの物件を内見させてもらった。そして、メインテナンスが行き届いていること、2ベッド・ルームズ+1と呼ばれるタイプのレンタル料金がほかのサーヴィス・アパートメントと比べて割安なこと、スリアKLCC(クアラルンプール・シティ・センター)、ブキッ・ビンタン、マスジッド・ジャメなどの繁華街がすべて徒歩10〜15分の範囲にあることなどから入居を決めた。選んだ物件は眺望のよい北西に面しており、26階建ての12階だが、英国式にロビー階をグラウンド・フロアと呼び、その上の階から1階が始まるため、日本式に言うと27階建ての13階だ。KLタワー(ムナラKL)の丘(ブキッ・ナナス)の南麓にあるという言い方をすることもできる。

レンタル料金は、1か月6,500リンギット(1リンギットは約30.3円)という当初の提示を5,850リンギットにディスカウントしてもらった。家具借料、共益費、光熱水費、衛星放送関係費は自己負担であり、それを控除した額が住居手当となった。

入居は、貸主の都合で10日目となった。ホテル・ニッコーをチェックアウトし、レンタル料金の内金を支払ってカード・キーを受け取った。2ベッド・ルームズ+1というのは2寝室のほかに書斎があるという意味であり、リヴィング・ルームとダイニング・ルームもあるため、日本式に言うと3LDKということになる。ただし、それぞれの部屋が広いため、何と約130uを専有する。また、浴室兼トイレット3、ルーム・クーラー5、ガスこんろ(4口)、クローゼット2、ベッド・セット2、電話機2、食器棚、応接セット、食卓セット、冷蔵庫、テレヴィジョン2、電子オウヴンなどが備え付けられていた。さらに、洗濯機、乾燥機、炊飯器を無償で追加してもらった。

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■新聞は、アパートメントの入居翌日から地元のニュー・ストレイツ・タイムズが配達された。アパートメントのサーヴィスの中に含まれているらしく、料金支払の必要はなかった。

渡航14日目に現地資本のメイバンクでカレント・アカウント(当座預金)を開設することができた。長期の滞在ヴィザの取得前であったため、最初は勤務先の紹介状が必要だとか、事前にインターネットで自己紹介をしてほしいとか言われたが、受入先が発出した受入確認書を見せると開設に同意してくれた。ネクタイ着用で出かけたことが効を奏したかもしれない。ATM(現金自動預払機)を利用することができるようにするため、セイヴィング・アカウント(普通預金)も開設した。

しかし、当座の滞在費がなかなか振り込まれず、所持金が乏しくなってきたため、関係者から借金をしたり、シティバンクのキャッシュ・カードで日本の預金口座から直接キャッシュを引き出したりする必要があった。預金口座の確認のために時間が必要だという理由で、年が改まった1月末まで振込は行われなかった。

1月上旬に衛星放送アストロの接続のための工事が終わり、ラディオを除く視聴可能なチャンネルは42、ペイ・パー・ヴューは2となった。NHK、CNN、BBC、映画専門チャンネルのHBOなどを楽しむことができるようになった。

1月中旬にインターネットのプロヴァイダーJaringのサインオンに成功し、それまで利用していた日本のプロヴァイダーのロウミング・サーヴィスから乗り換えた。登録料25リンギットのほかは5,000分50リンギットと良心的な料金だ。回線速度はやや遅いかもしれない。

また、旧知の壮年の男性が渡航してきた。アパートメントを紹介してあったが、同じアパートメントに入居することになった。ほかのサーヴィス・アパートメントと比べて立地、間取り、照明、メインテナンスに魅力を感じたという。よい物件を紹介することができて鼻が高かった。男性とは週末のゴルフなど行動をともにすることが多かった。

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スンガイ・ブシ料金所

1月下旬に高速道路のプリペイド・カードを買い、料金所でキャッシュを用意せずにスムーズに専用レインを通ることができるようになった。非接触式カードの普及も始まっていたが、一世代前の接触式カードが主流のようであった。

また、プリペイド方式の携帯電話を買った。ロウミング・サーヴィスによって海外数十か国で利用することができるものだ。プリペイド方式のコーリング・カードも買った。1分48セン(0.48リンギット)という破格の料金で国際電話の発信をすることができるようになった。

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日本大使館

3月上旬に現地の運転免許証を取得することにした。日本大使館を2回訪ねて日本の運転免許証の翻訳証明を受け取った後、道路交通局で運転免許証の申請手続を行った。道路交通局の駐車場は自動車で溢れ、道路交通局は人で溢れていた。申請の方法が分からなくて困っていたが、壮年の中国系の男性に声をかけられ、申請を手伝ってもらうことになった。結局、代理申請の形式になり、運転免許証の交付後、謝礼として要求された25リンギットを15リンギットにディスカウントしてもらって支払った。自動車保険の更新手続や年間道路税の支払いも終わり、安心して自動車を運転することができるようになった。後日、この運転免許証に基づいて国際運転免許証も取得した。

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ラジャ・チュラン通り

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日本料理店かみむら

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スリ・ハタマスの日本料理店・松葉

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ミッドヴァレイ・メガモール

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マレイ料理

最寄りのショッピング・モールは、徒歩約3分という至近距離にあった。マレイシア滞在中に店舗閉鎖することになるスーパーマーケットのほか、日本料理店、世界規模のハンバーガー・ショップやコーヒー・ショップなどがオウプンしており、非常に便利であった。ほかにビュッフェの日本料理店が入ったショッピング・モールも近かった。アパートメントで野菜煮込みや肉野菜炒めなどの調理を行うこともあった。当地で迎えた2回目の年末は、同じアパートメントの男性と「紅白歌合戦」を視聴しながら鋤焼き、刺身、年越しそばなどに舌鼓を打って盛り上がり、KLCCやブキッ・ビンタンで打ち上げられていた花火を見物したり新年のカウントダウンに参加したりした。また、モン・キアラの手前にあるスリ・ハタマスのショッピング・モールで食事をしたり、ジャスコがテナントとなり東南アジアで最も広いバンサーのミッドヴァレイ・メガモールで買い物をしたりすることもあった。

総じてマレイシア滞在を満喫することができたが、それにはこのように日本とそれほど変わらない生活環境にあったことが影響していると思う。昼食ではマレイ料理のフード・コートに行くことが多かったが、そこではナシ(飯)の上に作り置きの料理を自分で乗せていくことになる。盛り付けの工夫などはない。外国人は右手にスプーンを、左手にフォークを持って食べることになるであろうが、地元の人は多くが手で食べるため、熱い料理はあり得ず、総じて単調な味だ。朝食や夕食のためにマレイ料理以外の選択肢がなかったとしたら、アルコール飲料を嗜むこともできなかったであろうし、食生活には苦労したであろう。

病気に罹った場合は、十分なサーヴィスを受けることのできる私立病院が便利だ。大病院の中に専門医院が入っているのが一般的だ。マレイシア滞在中、結膜炎と虫歯の治療をしてもらったが、残念ながら虫歯の治療に際して舌神経の一部を損傷してしまった。

マレイ語は簡単だというが、多くの場合英語が通用するため、マレイ語を覚えようという気持ちは起こらなかった。もちろん、「トゥリマ・カシ(ありがとう)」や「スラマッ・ダタン(ようこそ)」などの挨拶や数などを覚えたほか、「人はオラン、飯はナシ、魚はイカン。」などと口ずさみながら多少の言葉は覚えた。たが、滞在期間を考えると覚えた言葉は極めて少ないと言わざるを得ない。なお、周辺国や日本と同様に母音を伴わない子音の発音は困難を伴うらしい。日本語では、外来語を含めて、子音の後に母音が続くようにして発音するが、東南アジアでは母音を伴わない子音は脱落することが通常のようだ。ただし、語頭の子音が脱落すると意味が通じなくなるため、子音字の後に「e」が置かれる。この「e」は発音を滑らかにするためにのみ置かれており、意識して発音する必要はない。たとえば英語の「club」は「kelab」と綴られ、「クラブ」と発音する。また、「Terima kasih.」は「テリマ・カシ」ではなく「トゥリマ・カシ」と、「Selamat datang.」は「セラマッ・ダタン」ではなく「スラマッ・ダタン」と発音する。

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コンドミニアム/南北高速道路

■受入先のあるプトラジャヤへは、自動車に乗って向かうことが一般的だ。クアラルンプール中心部からは、トゥン・ラザク通りを経由して南北高速道路を南下することになる。アパートメントは南北高速道路へのアクセスのよいクアラルンプール南東部にあってその点では便利であり、片道約30km、通常で40〜50分の運転であった。しかし、最初のうちは道路標識や地名に慣れていないため、非常に緊張して自動車を運転することになった。そして、たとえばプトラジャヤとプタリンジャヤを間違えて南北高速道路を外れてしまうというようなことが頻繁に起こった。

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中央政府C群

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中央政府D群

一方、自動車を運転することができない日は、タクシー、LRT、KLIAトランジット(KLIAエクスプレスと同じ路線を走る普通列車)、バスを乗り継いで向かうことになる。最寄りのプトラジャヤ・サイバージャヤ駅から受入先のある官庁街までは距離があり、モノレイルを建設することになっているが、工事は進んでいない。そのため、バスに頼らざるを得ないのだ。しかし、どのバスに乗るべきなのか非常に分かりづらいものであった。ほかの乗り継ぎも不便であり、結局、移動のために片道2時間を要するものとなっていた。

活動中、後に首相に就任するアブドゥラ・アフマド・バダウィ副首相と握手する機会があった。

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■マレイシア滞在中の主な日程は、以下の通りだ。

2002年12月中旬クアラルンプール到着
2003年1月下旬ペナン州訪問
2月中旬ボルネオ島訪問
3月上旬ジョホール州訪問
4月上旬ペナン州訪問
パハン州訪問
5月上旬インドネシア訪問
10月中旬タイ旅行
11月中旬一時帰国
12月上旬一時帰国
2004年1月中旬一時帰国
5月上旬一時帰国
7月上旬マレイ半島東部旅行
8月上旬ペナン州訪問
シンガポール旅行
9月下旬サラワク州訪問
10月中旬ネパール旅行
12月中旬クアラルンプール出立

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■気候についてみると、熱帯に属するため、最高気温は年間を通して30℃を超える。バンコク辺りだと乾季に多少寒さを感じる時期もあるようだが、当地ではそのようなことは全くない。背広を着て市街を歩くなどということは考えられない暑さだ。一方、熱帯夜になることは少ないようだ。

一般に、東南アジアの多くの地方では日本の夏に当たる季節に南西モンスーンによって雨季となる。しかし、マレイ半島西部では、このモンスーンが到着する前にスマトラ島に雨を降らせて湿気が少なくなっており、この季節の降雨量はそれほど多くない。むしろ、日本の冬に当たる季節に北東モンスーンによってもたらされる降雨量の方が多いという状態だ。したがって、通常は日本の冬に当たる季節が雨季、夏に当たる季節が乾季とされているものの、夕方のスコールは年間を通して注意しておかなければならず、地元では雨季や乾季などと季節が意識されることはほとんどない。

ただし、マレイシアを含め東南アジアの国の人が日本で夏を過ごすと、蒸し暑さのために動けなくなるという話を聞くことがある。当地は日本と比べると湿度が低いということなのかもしれない。

また、乾季には、インドネシアで焼畑農業を原因とする山火事が起こり、その煙がマレイシアに流れ込んで晴れ間のない日が続くヘイズが発生することがある。全く迷惑なことだ。

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■クアラルンプールは、地元では愛着を持ってKLと呼ばれる。中心部は、ほとんどの場所に歩いて向かうことができるほど小ぢんまりとしているが、それでも地域ごとに特徴のある町並みを形成している。全体を4地域に分けて特徴を概観してみたい。

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■クアラルンプール北東部には、当地最大のビジネス街ゴウルデン・トライアングル、アンパン・パーク、大使館通りなどが含まれる。

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ペトロナス・トゥイン・タワー

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ペトロナス・トゥイン・タワー

ゴウルデン・トライアングルの中心はKLCCであり、その中心はペトロナス・トゥイン・タワーだ。日本のハザマと韓国の三星(サムスン)が1棟ずつ施行したもので、当地のランドマークとなっている。南北高速道路を中心部に向かって走っていてタワーが見えてくると近づいてきたという実感が湧いてくる。そのように象徴的な存在であった。41階にあり両タワーを結んでいるスカイ・ブリッジまで上ることができるが、眺望は特に素晴らしいというほどのことはない。残念ながらマレイシア滞在中に世界最高層ビルディングの地位を台北101に譲ったが、イスラーム教の尖塔を模した2本の巨大なとうもろこしは、繁栄するイスラーム教世界のシンボルとしての栄誉を長く保持し続けるであろう。

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Pラムリー通り

KLCCは、ペトロナス・トゥイン・タワーのほか、ショッピング・モールのスリアKLCC、マンダリン・オリエンタルなどから成る複合施設だ。周囲には高層ビルディングが立ち並び、アジアの世紀が来たということを誇っているようであった。1990年頃と比べて様変わりしたという話も聞いた。広々としたKLCC公園とのコントラストは素晴らしいと感じた。スリアKLCCの中核テナントとなっている伊勢丹は、スーパーマーケットも営んでいる。紀伊国屋書店もテナントとなっていて、日本の書籍にも不自由しない。

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KLタワー

Pラムリー通りを南に向かうと、右手にKLタワーの丘への上り坂が現われる。塔の高さはそれほどではなくても、丘の上にあるため、塔の上に上るとペトロナス・トゥイン・タワーを始め中心部の様々な様子を眺めることができる。

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客家飯店

KLCC公園の南にある中国料理店の客家飯店(ハッカ・レストラン)は鍋料理のスティーム・ボウトで有名であり、日本からの訪問客があると最初に出かけるレストランであった。

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アンパン・パーク駅前

アンパン・パークは、KLCCからアンパン通りを東に向かった場所にある。ホテル・ニッコー、シティバンク、ジャルパックなどが集まっている。さらに数キロメートル東に向かったアンパンにかけて、日本人が多く住む地域となっているようだ。ただし、交通渋滞が激しい。

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米国大使館

大使館通りというのは正式な名称ではないが、アンパン・パークからトゥン・ラザク通りを南に向かった場所には大使館が集中している。米国大使館、日本大使館、インドネシア大使館などだ。2003年に起こったイラク戦争以降、警備が厳重になったようで、米国大使館前にはコンクリート・ブロックが並べられていた。伝統のあるロイヤル・スランゴール・ゴルフ・クラブもこの地域にある。なお、トゥン・ラザク通りは、ほかの道路と立体交差していることが多く、中心部を周回するように走っている幹線道路だ。

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■クアラルンプール南東部には、ラジャ・チュラン、繁華街ブキッ・ビンタン、プドゥなどが含まれる。

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KLタワーから

ラジャ・チュランへは、KLCCからPラムリー通りを南に向かい、KLタワーの丘の方に右折しないで直進すると行き当たる。入居を決めたアパートメントのある場所だ。通りを東に向かうと新しく建設されたモノレイルのラジャ・チュラン駅があり、西に向かうとマスジッド・ジャメ駅がある。KLCCから続くビジネス街だが、アパートメントも多くなってくる。

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スリ・ムラユ

ラジャ・チュラン駅からラジャ・チュラン通りをさらに東に向かうと、民族舞踊を鑑賞することのできるスリ・ムラユというビュッフェのマレイ料理店がある。イスラーム教国であることを感じさせない舞踊を堪能することができる。

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ロッ・テン

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伊勢丹入口

ブキッ・ビンタンは、ラジャ・チュラン駅からモノレイルに沿ってスルタン・イスマイル通りを南に向かった場所にある。ブキッ・ビンタン通りとの交差点にあるロッ・テン(Lot 10)というショッピング・モールの中核テナントはまたも伊勢丹だ。最も集客を期待することのできる1階の入口付近が化粧品売場となっているのは外国人や高所得層をターゲットにしているためであろうが、発展するマレイシアのシンボルの1つであるように感じていた。マレイシア滞在中に最寄りのスーパーマーケットが店舗閉鎖したこともあり、伊勢丹が営んでいるスーパーマーケットへはよく足を運んだ。プトラジャヤからの帰路などに自動車を運転して立ち寄ることも多かった。伊勢丹が徒歩圏内に2店もオウプンしている場所というのは、世界広しと言えどもラジャ・チュラン辺りしかないのではないかと密かに考えていた。

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コカ・レストラン

ロッ・テンからブキッ・ビンタン通りを東に向かうとKLプラザというショッピング・モールがあり、その中にあるコカ・レストランというタイに本店のあるタイスキ専門店は、客家飯店とともに日本からの訪問客をよく案内したレストランだ。

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スンガイ・ワン・プラザ

ブキッ・ビンタンは日本語に訳すと星が丘となり、KLCCと並んで当地の新しい顔なのであろうが、古い顔も持っている。スルタン・イスマイル通りを挟んでロッ・テンの向かいに建つスンガイ・ワン・プラザは当地で地元の人の人気が最も高いショッピング・モールとのことで、テナントの数は多く、買い物などに重宝することも多いが、日本人の目には雑然としているように映る。

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アロー通り

また、ブキッ・ビンタン通りの1筋北を走るアロー通りには中国料理の屋台が並び、日が暮れる頃から活況を呈する。アパートメントからは近道を通っていくと至近距離にあった。通りにある24時間営業のコンヴィニエンス・ストアも時々利用した。

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タイ料理店

アパートメントからアロー通りに向かう途中にはキューバ料理店やブラジル料理店などのレストランが軒を連ねていたが、そのうちの1軒のタイ料理店へは、滞在期間が1年間を過ぎて日本料理が恋しくなるまで足繁く通った。

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プラザ・インビ

ブキッ・ビンタンからスルタン・イスマイル通りをさらに南に向かうと、インビに行き当たる。プラザ・インビはクアラルンプールの秋葉原と呼んでもよいようなショッピング・モールだが、パーソナル・コンピューターのソフトウェアや映画のヴィデオCDのコピー商品が売られていた。そのうちにヴィデオCDの摘発は厳しくなったが、パーソナル・コンピューターのソフトウェアについてはそれほどでもなかった。

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タイムズ・スクウェア

インビ通りに新たに出現したのがタイムズ・スクウェアだ。堂々たる構えで、屋内遊園地を持つなど時代の最先端を進んでいるようにも思われたが、空きテナントが目立ち、スタート・ダッシュには成功しなかったように感じられた。

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バス切符売場

プドゥへは、タイムズ・スクウェアからインビ通りを西に向かうと行き当たる。通りを北西に向かうとプドゥラヤ・バス・ステイションがあり、南東に向かうとプドゥ・マーケットがある。プドゥラヤ・バス・ステイションはマレイシア各地に向かうバスが発着し、喧騒が甚だしい。

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プドゥ・マーケット

プドゥ・マーケットは中心部の外れにあり、KLCCやブキッ・ビンタンなどとは全く異なる生活臭を感じることのできる世界が広がっている。

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■クアラルンプール南西部には、マスジッド・ジャメ、チャイナ・タウン、KLセントラル駅周辺などが含まれる。

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ゴンバック川/クラン川

マスジッド・ジャメは、クアラルンプール発祥の地と言うことができる。クアラルンプールとは「泥が交わる場所」という意味だが、クラン川とゴンバック川の合流地点があるのだ。19世紀に開拓された時は錫鉱石の採掘のため濁っていたという。ラジャ・チュラン通りを西に向かい、トゥン・プラク通りを北西に向かった場所にマスジッド・ジャメ駅がある。

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ムルデカ・スクウェア

マスジッド・ジャメの西にはムルデカ(独立)・スクウェアが広がる。会員制社交クラブのロイヤル・スランゴール・クラブや、連合王国植民地行政府の事務局から最高裁判所に変わったスルタン・アブドゥル・サマド・ビルディングなどの見所があるが、植民地時代の遺物に過ぎないと考えたためか、頻繁に足を向けることはなかった。

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日本軍の自転車

ムルデカ・スクウェアの南にあるのが国立歴史博物館だ。先史時代に始まり、ポルトガル、ネーデルラント、連合王国の進出から日本の「侵略」、1957年のマラヤ連邦としての独立、シンガポール、サバ、サラワクを統合した1963年のマレイシアの成立までを紹介しているという。銀輪部隊と呼ばれた日本軍の自転車も展示されていた。

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プタリン通り

チャイナ・タウンへは、ラジャ・チュラン通りを西に向かい、トゥン・プラク通りを横切って進むと行き当たる。アーケイド街となったプタリン通りは美化を図っているのであろうが、道行く人はそのようなことは気にも留めていないようであった。

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フード・コート

チャイナ・タウンにあるフード・コート(屋台街)で夕食を取ることも多かった。

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スリ・マハ・マリアマン寺院

チャイナ・タウン西部にあるインド系のスリ・マハ・マリアマン寺院では、ヒンドゥー教徒が熱心に参拝していた。

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セントラル・マーケット

同じくセントラル・マーケット(パサール・スニ)は様々な伝統的民芸品などを取り扱っており、客の数も多い。

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クアラルンプール駅

チャイナ・タウンから西のレイク・ガーデンに向かう途中には、マスジッド・ヌガラ(国立モスク)や、往年の中央駅であり郷愁を感じさせるクアラルンプール駅がある。現在はKTMコミューター(郊外電車)の駅となっている。

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KLセントラル駅前

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KLセントラル駅

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KLIAエクスプレス車内

KLセントラル駅周辺は、クアラルンプールのほかの場所とは様相を異にする。KTMコミューターでクアラルンプール駅から南西に1駅の場所にあるが、もはや郊外にあるという印象を受ける。クアラルンプールの外延的発展を目指して中央駅を郊外に移転させたのであろうが、不便を強いられることもある。重い荷物を持ち運んでいてタクシーを利用したくなった場合、中心部からは通りを流しているタクシーを呼び止めて駅に向かうことができたが、逆に駅から中心部に向かうためにはカウンターで買わされるティケットの料金がメーター料金の倍額程度になっているため、タクシーの利用を諦めてLRTに乗って最寄駅に向かうことが多かった。モノレイルも、KLセントラル駅に乗り入れているとはいうが、双方の駅は駅前広場を挟んで向かい合っているだけだ。乗客に周辺の商店街で買い物をしてもらおうという企図があるようだが、迷惑だと感じる乗客は多いはずだ。ほかにもマスジッド・ジャメ駅など乗り換えの不便な駅は多く、熱気とスコールの町で公共交通機関の利用を促そうとするのであればもっと検討しなければならない対策は多いのではないかと感じていた。駅舎の外観は近代的であり、またクアラルンプール空港のシティ・エア・ターミナルの役割を担っていて、マレイシア航空に限るもののチェックイン機能がある。空港と結ぶKLIAエクスプレスは成田エクスプレスにも匹敵するような豪華なものであった。車寄せは出発用と到着用に分かれていて、まるで空港のようだ。一方、内装は、一部を除いて特に目を引くというほどのことはない。

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イスタナ・ヌガラ

KLセントラル駅の南東には、イスタナ・ヌガラ(王宮)がある。衛兵が観光の目玉と言ってよいであろうか。スルタン(州の君主)を持たない4州を除く9州のスルタンから互選で選ばれる任期5年の国王の公邸なのだが、そのような制度でどうして全国民の尊崇の念を集めることができるのか不思議であった。

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■クアラルンプール北西部には、バンダラヤやチョウ・キットなどが含まれる。カンポン・バルもこの地域に含めておこう。

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トゥンク・アブドゥル・ラーマン通り

バンダラヤとは、マレイ語でシティという意味だ。英語でシティ・センターと言う時は新市街、マレイ語でバンダラヤと言う時は旧市街と使い分けているわけだ。ムルデカ・スクウェアから北に向かうトゥンク・アブドゥル・ラーマン通り界隈を指し、旧市街だと感じさせるような雰囲気を醸し出している。西アジアの影響があるのか、エスファハン通りという道路にはアラビア文字の付記された道路標識があった。そごうも出店しているが、既に現地化が進んでいる。

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ナイト・マーケット

トゥンク・アブドゥル・ラーマン通りの2筋東を走るマスジッド・インディア通りはその名の通りインド人街だ。トゥンク・アブドゥル・ラーマン通りとの間には毎週土曜日にナイト・マーケットが開かれる小道もあり、時々足を向けたくなるような場所であった。

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チョウ・キット駅前

チョウ・キットは、トゥンク・アブドゥル・ラーマン通りをさらに北に向かった場所にある。インドネシア人街とも言われ、かつては治安がよくなかったというが、現在はかなり改善しているのではないだろうか。

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ザ・モール

チョウ・キット駅からチョウ・キット通りを西に向かうとPWTC(プトラ・ワールド・トレイド・センター)に行き当たる。かつてヤオハンが出店していたザ・モールも軒を連ねる。

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市街

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屋台街

カンポン・バルは、中心部にマレイ人集落を保持するために設けられている。KLCCのすぐ北に位置するのだが、クラン川と高速道路によって隔てられており、大きく迂回して向かわなければならない。直線距離にすると世界最高層ビルディングから徒歩数分の距離に田舎町が広がっているというのは非常に不思議なことだ。確かに、開発禁止の措置を設けないと集落の住人が瞬く間に追い払われることは間違いない。ただし、だからと言って、このような措置を設けることが正当化されるかどうかを直ちに判断することは難しい。国土の均衡ある発展のために必要な政策はどのようなものかということに考えを巡らせながら、集落の背景に広がる高層ビルディング群を見上げていた。

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南東

南西

北西

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官庁街入口

■プトラジャヤ(布城)は、クアラルンプール、ラブアンとともに連邦特別区となっている。

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首相府

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マスジッド・プトラ

新行政都市として、首相府や中央省庁が順次クアラルンプールから移転してきていた。町全体に広大な人口湖を配し、官庁街と住宅街が計画的に区画整備されていた。

官庁街は、第1区にある。小高い丘の周囲3kmに一方通行で5車線の周回道路が巡らされ、それに沿って中央省庁が順に配置されていった。同じ群の建物は同一色に統一されていた。モスクのような緑色の首相府と桃色のマスジッド・プトラを対置させていることも面白いと感じた。ともに堂々たる構えであり、壮観であった。また、マスジッド・プトラの脇にあるレストラン街では、各国料理を楽しむことができる。

住宅街には、戸建て住宅とコンドミニアムが建てられていたが、ともに周辺の景観を意識してデザインされているように感じた。

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ショッピング・モール

都市機能の整備はまだ道半ばという感があったが、マレイシア滞在中にフランス資本のスーパーマーケットのカルフールを中核テナントとするショッピング・モールが店舗開設した。

出発

到着

生活

活動

日程

気候

クアラルンプール

抜粋
北東

南東

南西

北西

新都

隣州

ゴルフ

■クアラルンプールの郊外と言うと、連邦にその地を提供したスランゴール州ということになる。日帰りで訪ねることが容易だ。

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オフィス・ビルディング(プタリンジャヤ)

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ショッピング・モール(スバンジャヤ)

活動との関係では、プトラジャヤの近くにあってともにマルティメディア・スーパー・コリドーの一角を占めIT産業の拠点となることを目指しているサイバージャヤ、クアラルンプール空港のあるスパン、経済団体などのあるスバンジャヤとプタリンジャヤ、高級ホテルのあるスリクンバンガンなどを訪ねた。スバンジャヤやプタリンジャヤなど郊外の発展も進んでいることを理解することができた。ただ、スバンジャヤで間違って入り込んだ小道を取り囲む景色は発展途上の東南アジアそのものであり、落差に驚かされた。

個人的にも、いくつかの町を訪ねた。蛍を観察することのできるカンポンクアンタンへは、運転手を雇っていた関係者の自動車に乗って連れていってもらった。ボウトに乗って川に漕ぎ出してもらい、幼少期に見たきりで忘れかけていた無数の蛍が放つ光にしばらく見とれていた。その後、クアラスランゴールで海鮮料理を堪能した。

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ブルー・モスク

州都シャーアラムのシンボルは、世界で4番目に大きく、ミナレットが世界で高さを競っている見事なブルー・モスク(正式名称はスルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・モスク)だ。町の発展も進んでいた。

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クラン港

クランは、18世紀の一時期州都であったこともあるというが、クアラルンプールから距離があることもあり、港町らしい風情を醸し出していたように思う。

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バトゥ洞窟

バトゥケイヴズは、ヒンドゥー教の聖地である大鍾乳洞(バトゥ洞窟)から名付けられている。マレイ半島では肩身が狭いように思われるインド系国民(インド人、かつての印僑)がヒンドゥー教の奇祭タイプーサムで、体中に針や鉄串を刺して練り歩くという本場インドでは禁じられている習俗で羽目を外す場所だ。

出発

到着

生活

活動

日程

気候

クアラルンプール

抜粋
北東

南東

南西

北西

新都

隣州

ゴルフ

■ゴルフは、頻繁にプレイした。スランゴール州のゴルフ場を利用することが多かった。日本でのプレイと大きく異なるのは、ハーフ終了時に昼食休憩を取らないことだ。また、ヤード表示ではなくメートル表示であることが多い。総距離は概して長い。運動のためにバギー(カート)をキャディに運転してもらうなどして時々コースを歩いた。大量の汗をかくため、脱水症状にならないよう水分補給には気を遣っていたが、塩分不足のためか指がスムーズに動かなくなるということがあった。

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スレンダー・ゴルフ・リゾート

スレンダー・ゴルフ・リゾートは、自動車の貸主が利用していたもので、中心部から自動車を運転して国道1号を北に1時間程度向かったスレンダーにある。交通の便がよくなく地元の人をターゲットにしているため、格安でプレイすることができた。1年会員になったが、初年度550リンギット、2年度目以降500リンギットの年会費と84リンギットの月会費を支払うと、プレイごとの追加料金は二人用バギー・フィー1台50リンギットのみとなるというシステムであった。

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テンプラー・パーク・カントリー・クラブ

テンプラー・パーク・カントリー・クラブは、中心部からスレンダーに向かう途中のラワンにあり、ゴルフ・コンペティションに時々参加した。日本人スタッフがおり、施設や設備が整備されていた。

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バンギ・ゴルフ・リゾート

バンギ・ゴルフ・リゾートは、中心部から南北高速道路を南下してプトラジャヤに向かう道路と分岐する辺りのバンダーバルバンギにある。2004年にしばらく月会費300リンギットの1か月会員になった。暗いうちからプレイする時は、自分のトロリを引いてゴルフ・バッグを運搬するとの条件で、プレイごとの追加料金が不要となった。

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到着

生活

活動

日程

気候

クアラルンプール

抜粋
北東

南東

南西

北西

新都

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ゴルフ

地方

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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