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マレイシアB 帰国

一時帰国

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2003年11月

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2004年12月

■マレイシア滞在中、4回の一時帰国をすることになった。2回目を除き、日本への往路は夜行便で、帰路は昼行便だ。1回目はシンガポールのチャンギ空港でトランスファーを行うシンガポール航空利用で関西空港発着、2回目はタイ航空利用で関西空港発着、3回目は帰路のみチャンギ空港でトランスファーを行う日本航空利用で成田空港イン、関西空港アウトのオウプン・ジョー、4回目はマレイシア航空利用で成田空港発着であった。

■人生の中で多くの人が直面する悲哀を感じることになり、立ち直りかけていた時に更なる不幸に見舞われることになった。

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写真
日本航空

■2003年11月中旬から下旬にかけて、14日間(国外移動の3日間を除くと11日間)の日程で一時帰国した。当初はハリ・ラヤ・プアサ後の下旬の帰国を予定しており、フライトの予約も済ませていたが、マレイシア転居の半年前から入院していた父の容態が悪化したため、当日になってフライトを予約し直して急遽帰国することにしたのだ。初めてeティケット(電子航空券)を手にすることになった。

帰国日から病院に父を見舞ったが、1年半振りに会う父はかなり衰弱している上に、意識がはっきりしていなかった。自分の子の容姿をはっきりと覚えていなかったほか、「わしのお母さんは?」などと故人のことに言及していた。

翌日、父が危篤に陥った。親戚から見舞いがあり、父は個室に移った。それからは日中の看病を母が行い、夜間の看病を姉と分担した。父がこちらを認識して手を差し出してくると、長々と握手をした。20分程度握手をすることもあった。

痰の吸引が痛々しい。血中の酸素濃度や脈拍数などを計測している計器が緊急ランプを灯すようになってきた。父は息苦しさから呼吸が荒くなり、熟睡することができなくなったようだ。緑茶を口にふくませてあげると嬉しそうにしていた。

その後は小康状態になったが、回復する可能性はなく、余命は長くて1〜2週間だと宣告された。もはや夜間の看病は必要ないと言われ、15日間という見舞いのための帰国期間の満了も近づいてきたため、生前の父を最後に拝むという気持ちで病室を訪ねた翌日、クアラルンプールに戻った。

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■2003年12月上旬、7日間(国外移動の2日間を除くと5日間)の日程で一時帰国した。父の葬儀・告別式の喪主を務めるためだ。

写真
関西空港

母から2回の電話連絡があり父の容態が深刻な状態になったことを知った日、翌夜のフライトを予約した。しかし、父が当夜亡くなったことを翌早朝実家に電話をかけて確認すると、予定を早めて帰国することにした。朝、予約がないままクアラルンプール空港に向かい、チェックイン・カウンターで「航空券は持っていません。予約もしていません。」と言うと航空会社のスタッフは慌て、フライトの確保のために走り回ってくれた。そして、結局、午前中に出発し、バンコクのドーン・ムアン空港でトランスファーを、メトロ・マニラのニノイ・アキノ空港でトランジットを行って当日中に帰国することのできるフライトを確保することができた。忌引の場合、航空券の料金の自己負担は定額とされていた。亡くなる前、父は姿の見えなくなった子の名前を呼んでいたそうだ。直接の死因は、入院の原因となった原発の病気ではなく、肺炎であったという。

翌日から、通夜と葬儀・告別式が行われた。日本の職場と関係団体のトップを始め多くの人から弔電を貰った。また、喪主として会葬者に挨拶を行った。そして、香典の整理などをした後、忌引のための帰国期間が終わる葬儀・告別式の4日後にクアラルンプールに戻ることにした。母と姉はしばらく気持ちが昂っていたようだ。

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ドーン・ムアン空港

正規航空券であるため、帰国便は自由に決めることができた。そこで、悲しみを紛らわすためにバンコクに立ち寄ろうと考え、プーケット空港でトランジットを行い、ドーン・ムアン空港でトランスファーを行うフライトを確保しておいた。未明に出国し、午前中にドーン・ムアン空港に到着するようにして乗換時間11時間程度と、バンコク市内見物のために十分な余裕を持たせておいた。本来ならば記念するべき10回目のタイ訪問だ。

市内バスに乗って市内に入ると、散策を始めた。ただし、長袖、ロング・パンツ、革靴という出で立ちであり、パーソナル・コンピューターを抱えている状態では、体力的に厳しいものがあった。

写真
タニヤ通り

結局、フアラムポーン駅、楽宮大旅社、7月22日ロウタリ、スリウォン通り、タニヤ通り、パッポン通り、シーロム通りなどを再訪することになった。まだ訪ねたことのない観光名所を訪ねてみようという好奇心は乏しくなってきているかもしれない。市内移動のためには、タクシーやスカイトレインも利用した。ドーン・ムアン駅では、前回のネパール渡航の際に見かけた構内のコンヴィニエンス・ストアが見当たらず、早くも店舗閉鎖したのかと訝しく思った。

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■2004年1月中旬から2月下旬にかけて、45日間(国外移動の3日間を除くと42日間)の日程で一時帰国した。当初の目的は健康診断の受診と父の四十九日法要への出席であった。

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中目黒駅から

東京には2日間滞在し、日本の職場を訪ねて挨拶をするなどした。一時帰国を祝う会を行ってもらった。

関西に転じて実家に向かったが、母がいない。姉宅に電話をかけて、母が病気のため入院していることを知った。不安なまま一夜を過ごす。前日に救急車に乗って病院に運ばれたのだそうだ。感染症に罹っていたのだが、入院4日目に生死の可能性が5分5分だと言われ、すっかり落ち込んでしまった。父の四十九日法要の間も姉には病院に張り付いてもらった。母は吐き気があり、辛そうであった。8日目に山は越えたようだ。ただし、同時にほかの部位も罹患しており、早急な手術が必要な状態であったが、生命の危険を冒してまで手術に踏み切るというわけにはいかなかった。結局、手術は14日目まで持ち越され、成功しなかった。母には深刻な後遺障害が残った。

その後、母の後遺障害についての説明を次々と変える病院に対して不信感を抱いたり、母がロング・フライト症候群(エコノミ・クラス症候群)と似た症状を呈して慌てたり、親戚と絶縁寸前の激しい口論になったり、両親を最初に診察してどちらも誤診したクリニック(診療所)の法的責任を検討したり、父の遺産相続のための不動産登記の手続きを進めたりするなど、慌しく過ごした。

写真
チャンギ空港

結局、実家と病院に合わせて41泊し、クアラルンプールに戻った。父の看病、葬儀・告別式、四十九日法要と続いた疲れを癒すために、母にはしばらくクアラルンプールのアパートメントに泊まってもらおうと計画しており、クアラルンプールまでビジネス・クラスの座席に座ってもらおうと考えていたが、大いなる親孝行をするチャンスを逃して悲しく悔しい思いであった。

シンガポールに向かう機内では、パーソナル・コンピューターを入れたショルダーバッグが大きく破れて困ったが、吊り下げ式にするための紐をフライト・アテンダントに貰って急場を凌いだ。

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東京駅八重洲口

■2004年5月上旬、4日間(国外移動の3日間を除くと1日間)の日程で一時帰国した。マレイシアでもレイバー・デイ、預言者ムハンマド(ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ、マホメット)誕生日、ウェサク・デイ(仏陀誕生日)と祝日が続いて4連休に当たっており、上限のある海外旅行日数に含めなくてもよいと知り、短期間ではあるが所用のため東京に戻った。

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■2004年12月中旬、2年間の滞在を終えて帰国した。荷物は、スートゥケイス、ボストンバッグ、ゴルフバッグの3つで約45kgであった。利用したのは日本航空であり、ビジネス・クラスでは受託荷物の重量制限は当初40kgとされていたが、同じアパートメントの男性のアドヴァイスに従って50kgになるよう交渉してもらっていた。ほかにショルダーバッグを機内持込にした。また、段ボール箱約25kgを別送品として送った。

出立の翌朝に帰国すると、その日のうちに入居先を決めた。そして、予約済みのビジネス・ホテルに6泊した後、転居し、新しい生活を始めた。

帰国直後、死者が約23万人に上るスマトラ島沖地震が発生した。マレイシアでも、クアラルンプールのアパートメントで揺れを感じたり、スマトラ島によって津波の勢いが減殺されているにも関わらずペナン島にあるホテル付属のプールが砂に埋まったりしたということを後で聞いた。

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