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マレイシアB 地方

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ボルネオ島
マレイ半島東部

マレイ半島北部

マレイ半島南部

■クアラルンプール周辺以外のマレイシアは、ボルネオ島、マレイ半島東部、同北部、同南部というように区分すると分かりやすいのではないかと思う。マレイシア航空を利用して、これらの地域にあるマレイシアの全13州と3連邦特別区のすべて訪ねることになった。

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ボルネオ島
マレイ半島東部

マレイ半島北部

マレイ半島南部

■2003年2月中旬、4日間の日程でボルネオ島を訪ねた。インドネシアではカリマンタン島と改称されたが、マレイシアでは旧称のままだ。東マレイシアとも呼ばれ、イミグレイションで入境審査があるためパスポートが必要であり、要注意だ。

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プロムナード・ホテル

初日は、サバ州都コタキナバルを訪ね、プロムナード・ホテルに泊まった。2日目は、ラブアン連邦特別区のバンダルラブアンを訪ねた後、ミリを経由してサラワク州都クチンを訪ね、ムルデカ・パレス・ホテル・アンド・スイーツに2泊した。3日目は、郊外のコタサマラハンを訪ねた。

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南シナ海

サバ州はフィリピンに近く、フィリピンが領有権を主張しているほどだ。コタキナバルでは、南シナ海の海岸沿いに広がるフィリピノ・マーケット(パサール・フィリピン)などを見物した。クアラルンプールでは見かけない土産が並んでいた。夜になって、ハラール(ポークや豚由来の成分のほか、イスラーム法の作法に則って祈祷しながら食肉処理を行うという手続きを踏んでいない鳥獣の肉を用いていないことが条件)の中国料理店に出かけた。

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英連邦戦没者合同墓地

バンダルラブアンはブルネイに近く、国際オフショア(租税回避地)金融センターとして発展している。第二次世界大戦中に戦った日本軍兵士のための慰霊碑のある平和公園や、オーストラリア軍や英国軍などの兵士を弔った英連邦戦没者合同墓地を訪ねた。

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マーケット

「クチン」はマレイ語で「猫」の意であり、市街に猫のオブジェがある。生鮮魚介類などを取り扱っているマーケットやサラワク川南岸が遊歩道として整備されたクチン・ウォーターフロントなどを見物した。

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クチン・ウォーターフロント

2004年9月下旬から10月上旬にかけて、2日間の日程でコタサマラハンとクチンを再訪し、再びムルデカ・パレス・ホテル・アンド・スイーツに泊まった。中国系の町並みは、落ち着いて過ごすことができるように感じられた。

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ボルネオ島
マレイ半島東部

マレイ半島北部

マレイ半島南部

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ヴィスタナ・ホテルから

■2003年4月上旬、2日間の日程で関係者とともに、マレイ半島東部のパハン州都クアンタンを訪ね、ヴィスタナ・ホテルに泊まった。夜になって、マレイ料理のフード・コートに出かけた。

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コタバル市街

2004年7月上旬、2日間の旅程でクランタン州都コタバルとトレンガヌ州都クアラトレンガヌに出かけた。

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スンガイコーロク市街

コタバルでホテルを決めると、タイ国境越えに取り掛かった。バスに乗ってランタウパンジャンに到着すると、すぐ目の前のイミグレイションを歩いて越えることになる。国境のコーロク川を渡るとスンガイコーロクが待ち構えており、道なりに進んでいくとスンガイコーロク駅だ。しばらく町を何の当てもなく歩いていたが、タイ入国の記念に食堂でヌードルを注文した後、マレイシアに戻ることにした。

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セントラル・マーケット

コタバルに滞在した翌日、長距離バスに乗ってクアラトレンガヌに向かい、セントラル・マーケットなどを見物した。海に囲まれているだけに、活きのよい魚介類が取り引きされているようだ。

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全マレイシア・イスラーム党

両州はイスラーム教保守勢力が強いことで知られる。ほかの地域よりも経済発展が遅れていることが影響しているのであろう。クランタン州では、イスラーム教保守勢力を代表し国政では野党の全マレイシア・イスラーム党(PAS)が与党となっているが、これはマレイシアのほかの州では見られないことだ。実際、全マレイシア・イスラーム党の宣伝をよく見かけた。イスラーム法に則り、投石による長時間にわたる処刑を意味する石打ち刑や、「目には目を、歯には歯を」の同害報復刑が存在すると言われ、市街をそぞろ歩きしている時でもそのことを考えると緊張してしまう。マレイシアの中ではボルネオ島のサバ州やサラワク州が経済的に遅れていると思われ勝ちだが、むしろクランタン州やトレンガヌ州の方が心配だ。イスラーム教保守勢力の伸長を嫌って企業進出が滞るとするとますます経済発展が遅れるという悪循環にもなりかねない。町の様子も心なしか古めかしく感じられた。将来が気にかかる。

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ボルネオ島
マレイ半島東部

マレイ半島北部

マレイ半島南部

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ペナン大橋

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ザ・ノーザムから

■マレイ半島北部のペナン州は、4回訪ねた。1回目は2003年1月下旬に飛行機に乗って向かいペナン島にある州都ジョータウンで1泊し、2回目は4月上旬に自動車に乗って向かい半島側のバタワースで1泊し、3回目は12月下旬に自動車を運転して日帰りで半島側のブキッミニャクを訪ね、4回目は2004年8月上旬に自動車を運転して向かいジョージタウンで1泊するという日程であった。

ペナン島は中国系居住者の割合が高く、「東洋の真珠」と称えられる。特にジョージタウンの発展は目覚ましいが、チャイナ・タウンは昔ながらの町並みを残している。1回目の訪問時には当地に滞在していた関係者に案内してもらって、複合施設のKOMTAR、ワット・チャヤマンカララーム(涅槃仏寺)、ビルマ寺院などを見物した。中国料理店にも出かけた。長期滞在して最も不自由に感じるのは日本の書籍が手に入らないことだそうだ。

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パール・ヴュー・ホテルから

一方、バタワースは海を隔てたペナン島とは異なり緩やかな発展を見せており、2回目の訪問時には穏やかな気持ちで過ごすことができた。

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パーダンベーサー市街

4回目の訪問時の往路は、クダー州都アロースターとプルリス州都カンガーを経由し、国境の両側が同綴の町となっているパダンブサール(タイ側の読み方はパーダンベーサー)でタイへの国境越えを行ってハットヤイを再訪した。パダンブサールの手前で目の前に広がる奇妙な形の山は石灰岩でできているという。また、帰路は、プラク州都イポーに立ち寄った。

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ボルネオ島
マレイ半島東部

マレイ半島北部

マレイ半島南部

■2003年3月上旬、3日間の日程で自動車を運転してマレイ半島南部のジョホール州を訪ね、バトゥパハとパシルグダンにそれぞれ滞在した。

南北高速道路を南下していると、周囲には人の住んでいる気配はなく、油椰子が並んでいる南国独特の風景が延々と続く。マレイシアが人口希薄な国だということを改めて感じた。

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ジョホール水道

パシルグダンは州都ジョホールバルに近く、ひいてはシンガポールに近い。パシルグダン港を持つと同時に工業団地が形成されている。一方、ゴルフ場の建設も進んでいる。マレイシア南部がシンガポールの外延的発展に組み込まれたという時、当地は象徴的存在なのかもしれない。当地に滞在した日の宵になって、ジョホールバルの町並みを見物するために自動車を運転した。シンガポールから歩いていくことのできるイミグレイション周辺が中心部と呼ばれており、そこだけを見るとシンガポールとの比較においてジョホールバルが田舎町だと思われるのはやむを得ないところだが、実際にはもっと広く郊外に発展した町なのだということを実感した。

同行者によると、クアラルンプールで自動車を運転していて進路変更の合図を出すとスペイスを空けてくれるが、ジョホールバルではそのようなことはないという。クアラルンプールについての描写が的を射たものかどうかはひとまず措くとして、マレイシア第2の町ジョホールバルは日本で言うと大阪のような町なのかもしれない。

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サンチャゴ砦

2004年3月下旬、自動車を運転して日帰りでムラカ(マラッカ)州都ムラカに出かけた。15世紀にスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の王族がジャワ島のマジャパヒト王国の侵攻を逃れて王国を建国した後、イスラーム商船の来航を促すためにイスラーム教に改宗し、今日のマレイ世界の原型となった町だ。また、16世紀にポルトガルの、17世紀にネーデルラントの、19世紀に連合王国の支配を受けたという。多くの地域が似たような歴史を経験したのではないだろうか。ポルトガル人の手による16世紀のサンチャゴ砦や聖ポール教会など、見所は満載であった。マレイシアの歴史について考える時、見逃すことのできない町だ。

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海岸(ポートディクソン)

帰路は、リゾートとして発展しているヌグリスンビラン州のポートディクソンに立ち寄った。

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州立博物館

2004年7月下旬、自動車を運転して日帰りでヌグリスンビラン州都スレンバンに出かけた。19世紀にスルタン一族によって建てられたという伝統的なマレイ式建築が見所だ。クアラルンプールに近く、町の発展が進んでいると感じた。

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春 夏 秋 冬
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冬 春 夏 秋
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