■英字新聞は存在するようであったが、情報の入手はほかの手段に頼ることにした。
■口座を開設しようとした銀行は、レバノン資本のものであった。開設手続は遅々として進まず、銀行カードを受け取るために4回足を運んだほか、オンライン・バンキングができるようにするために2回足を運び、1回電話をかける必要があった。開設したのはUSドル口座とヨルダン・ディナール口座であり、滞在費が振り込まれるのはUSドル口座であったが、ATMを利用してキャッシュを引き出すことができるのはヨルダン・ディナール口座のみであったため、予めオンライン・バンキングで通貨間の振替ができるようにしておく必要があったのだ。
■衛星放送を受信することができるため、視聴可能なチャンネル数は多かった。近隣国の放送などを受信することができた。しかし、英語放送に限ると、視聴可能なのは、BBC、アルジャズィーラ、主に外国人に日本文化を伝えることを目的としているNHKワールドTVなどだけであった。CNN、ハリウッドなどの映画専門チャンネル、海外に滞在している日本人を主な対象としたNHKワールド・プレミアムなどは視聴することができなかった。なお、そのような事態を避けるため、日本の留守宅などで受信し録画した放送をインターネット回線を経由して海外で視聴するという方法があることを教わっていたが、実行していなかった。
■スマートフォンの通話やパーソナル・コンピュータのインターネット接続などのためには、ヨルダンの三大プロヴァイダーのうち、最も安価な第3ブランドと契約した。回線速度などに制約があったが、費用対効果の高いサーヴィスの提供を受けることができたように思う。また、日本で契約していたIP電話(インターネットを利用した電話)は通信が安定しなかったため、日本の固定電話に無制限通話をすることのできるSkypeのサーヴィスを申し込んだ。
■インターネット接続のための環境が整うと、それを利用して、日本人を主な対象とした動画配信サーヴィスを受けられないかと思案するようになる。簡単ではなかったが、インターネット接続方法を工夫して、動画配信サーヴィスを受けることができるようになった。それによって、視聴可能な英語放送などのチャンネル数が少ないことに対する不満は収まった。
■自動車については、前回の渡航の際、離任予定者から12万1,000円(交渉時は1,100USドル)で買い受けることにしていた。日産の2001年式、排気量3.3LのパスファインダーというSUV(スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル、スポーツ用多目的車)で、走行距離は179,000kmに達していた。車体が大きいため、燃費が悪い。また、シフト・レヴァーを一旦Pレインジに入れると、横にあるボタンをキーなどの細長いもので押さない限り、ほかのレインジに動かすことができなくなるという現象が起こることが多かった。プレイク・ペダルを踏まないとシフト・レヴァーをPレインジからほかのレインジに動かすことができないようにするシフト・ロック機能が働いているのだが、ブレイク・ペダル踏みの検知機能が故障しているのであろう。後に自動車修理店に相談すると、シフト・ロック機能を修理することはできず、問題の現象が起こらないようにするためには、シフト・ロック機能を解除する必要があると言われた。また、運転席側のパワー・ウィンドウを閉めようとしてスイッチを押し続けていると、完全に閉まった後、反転して開いてくるという現象が起こった。挟み込み防止のためのセイフティ機能が働いているのだが、挟み込みの検知機能が故障しているのであろう。そのため、ウィンドウを完全に閉めたい時は、絶妙なタイミングでスイッチから手を離す必要があった。さらに、ダッシュボードが割れていた。車内温度がかなり上がることが想像された。
■自動車を運転することができるようになるまでには、多大な日数を費やした。まず、11月下旬にヴィザのスタンプが押されたパスポートと滞在許可証を受け取った。次に、12月下旬に労働許可証の取得手続が完了した。そして、1月中旬に自動車免許証の申請のために必要な税務番号の取得申請、運転免許証の取得、自動車の登録申請を行った。最後に、2月中旬にようやく自動車の登録が完了し、晴れて自動車を運転することができるようになった。ただし、既に5か月を自動車を持たずに過ごした町で違和感なく自動車を運転することは、簡単なことではなかった。その後、買い物をしたり地方に出かけたりする場合などに重宝するようになった。
|
 ザイト&ザタール
 ザイト&ザタール
 セイフウェイ
 魚売場
 コズモ遠景
|
■スーパーマーケットは、徒歩約10分の距離に3軒あった。また、よく買い物をする小型小売店も2軒あった。そのうちの1軒は、キリスト教徒だという兄弟で営んでおり、日本人客が多いのか、ともに片言の日本語で愛想を振り撒いていた。食事は自分で調理することが多かった。まず、主食としては、カリフォルニア米や、米粉などの麺を調達することができた。また、野菜や果物などのほか、ほとんど内陸国であるにも関わらず魚も豊富に売られていた。ただし、魚を調理する場合は注意が必要だ。あまり魚を調理する習慣がないためか、隣人に魚の臭いについて小言を言われるということがあった。そのほか、チキン・カトレット、ファラーフェル、肉ボールなどの加工食品も利用した。
■日本語の書籍を取り扱う書店などというものは、あるはずもなかった。一昔前であればホウム・シックになっていたところかもしれないが、オンライン書店のAmazonを利用することができるため、全く問題にならなかった。オンライン書店を利用することができない場合、書籍のディジタル化を日本の代行業者に依頼し、インターネットを通じてダウンロウドすることによって電子書籍を手にするということもあった。時代は変わったものだ。
■ほかに、転勤挨拶状と年賀状の作成と投函も、日本の代行業者に依頼することができた。なお、郵便物配達制度はない。受取郵便物があれば郵便局から連絡があり、受け取りに向かうことが必要であった。郵便物があることに気付かないこともあった。
■インターネットを利用したサーヴィスと言うと、オンライン英会話のレッスンを精力的に受けた。数社のサーヴィスを受けたが、日本時間の深夜に受講することのできるサーヴィスが多く、重宝した。講師がフィリピン人などの場合は1時間当たり数百円で、ネイティヴ・スピーカーの場合は同千数百円でサーヴィスを受けることができた。自分の置かれている状況や悩みなどについて説明し、講師と馴染みになることもできた。
■アラビア語には東アジアやヨーロッパなどにない発音が用いられており、習得することは難しそうであった。右から左に向かって書く文字も、区切りを理解することさえできなかった。周囲の多くの人が英語を話すため、アラビア語を習得しなくてもそれほど困らないという事情もあった。覚えたのは、「シュクラム(ありがとう)」、「アッサラーム・アライクム(こんにちは)」、「ワ・アライクム・アッサラーム(こんにちは、返答)」、「サラーム・ライクム(こんにちは、省略形)」などだけだ。なお、「サラーム」は「平安」という意味だ。インドネシア語やマレイ語の挨拶には、「スラマッ・ダタン(ようこそ)」など、「スラマッ」という言葉がよく用いられるが、「サラーム」が語源となったものだ。アラビア語というよりも、イスラーム語としての側面があると言ってよいのかもしれない。また、文語としてはフスハー(標準アラビア語)が存在しているが、口語としてはヨルダン方言を含む様々な方言に分かれているらしい。ただし、たとえばアパートメントのハウス・キーパーはエジプト方言を話すエジプト人と相場が決まっているが、オウナーとの意思疎通に困るなどということは起こらないようであった。こちらがハウス・キーパーと会話をしなければならない時は、オウナーに電話をかけて通訳してもらうか、Google翻訳を利用した。
■ほかによく聞く言葉は「インシャアッラーフ」だ。約束時の受け答えなどで使われる。「神の思し召しのままに」という意味であり、神がお望みならば約束は守られるであろうという、他人任せの響きを持つ。約束が守られなくても不可抗力なのだから詰るのはマナー違反だということになる。何とも理解に苦しむ言葉だ。
 イスマイル・アブド通りから
 モスク(アカバ)
|
■10月下旬にサマー・タイムの適用終了を、3月下旬に適用開始を経験した。ともに初めての経験であった。週末のうちにサマー・タイムに慣れてもらおうという意図なのか、適用切替は金曜日未明に行われることになっているようであった。この制度は日照時間を有効に活用することを目的としているが、イスラーム教国では用を成さないと思う。イスラーム教徒の日々の生活と不可分の関係にある1日5回の礼拝をいつ行うかということが、時刻ではなく、太陽の位置によって決められているためだ。たとえば夏時間が終わって前日よりも事実上1時間遅くまで寝ていることができると思って喜んでいても、それは叶わない。前日は1日の最初のアザーンによって5時頃に起こされていたところ、夏時間適用終了日は4時頃(太陽は前日の5時頃と同位置)にアザーンを聞かされることになるためだ。時計の針を早めたり遅らせたりしても、イスラーム教徒の生活時間を変えることはできないのだ。どうしてもと言うのであれば、時刻の切替を毎月行うぐらいの覚悟が必要なのではないかと思う。どうしてこのように効果のない制度が存続しているのか、不思議であった。
|
|