 ハーシェミ通り付近
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■北部へは、イルビッドを単独の目的地として、自動車に乗って2回訪ねた。1回目は12月下旬で、2回目は2月下旬であった。
 ハドリアヌス帝の凱旋門
 大聖堂/ニンファエウム
 アルテミス神殿
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■3月上旬、ジェラシュに出かけた。アンマーンのローマ円形劇場付近を歩いていると、よくジェラシュに案内しようとガイドの勧誘の声がかかった。自分で自動車を所有していたため、もちろん勧誘に応じることはなかったが、ジェラシュがアンマーンから手軽に訪ねることのできる町だとの認識を持つようになっていた。
■ジェラシュまで運転することは何の問題もなかったが、駐車場は満車であった。そこで路上駐車をすることにしたが、交通違反切符を交付されないかと心配しながらジェラシュ遺跡を見物しなければならなかった。もっと早くアパートメントを出発しておけば駐車のために苦労しなくてもよかったのにと反省した。
■町としての発展は、紀元前4世紀にアレクサンドロス3世の支配とともに始まり、セレウコス朝やローマ帝国の下で繁栄を享受したという。遺跡は広大な敷地に広がっている。遺跡へは、ハドリアヌス帝の凱旋門と競馬・戦車競技場を通って南門にあるメイン・ゲイトから入ることになっている。スークとフォルム(広場)を過ぎると、列柱通りがえんえんとが続く。途中、ウマイヤ朝時代のモスク跡、四面門、大聖堂、ニンファエウム、西浴場が待ち構えている。ニンファエウムの脇の階段を登っていくと多くの柱が林立している様が印象的なアルテミス神殿に驚かされる。一方、フォルムを左折すると、南劇場とゼウス神殿が聳え立っている。
■世界遺産に登録されていないことが不思議に思われてくるが、修復のために現代の技術であるセメントが使われたことが問題になっているのだそうだ。残念ではあるが、遺跡の素晴らしさは変わらないと思う。
 ニンファエウム
 西劇場
 地下埋葬室/バシリカ
 ガラリア湖
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■4月下旬、ウム・カイスに出かけ、帰路、イルビッドに立ち寄った。
■ウム・カイス(ローマ帝国時代の名称はガダラ)を訪ねるかどうかは、かなり悩んだ。シリアとの国境から数キロメートルしか離れていない。国境に向かって2〜3km進むと軍事閉鎖区域に指定され、外務省が不要不急の渡航中止要請(危険度2)を発出している地域に行き当たるため、危険だとの情報があった。しかし、地元の人は気軽に訪ねているという。せっかくの機会なので、思い切って訪ねることにしたのだ。
■ウム・カイスは、プトレマイオス朝時代に軍事基地として築かれ、セレウコス朝などの支配を経て、ローマ帝国時代に繁栄したものだという。博物館には、遺跡内で発掘されたというモザイクなどが展示されている。オスマン朝時代の学校を横目に進んでいくと、ローマン・ロウドに立ち至る。往時は馬車による都市間交通の舞台であったのだそうだ。その先は、ニンファエウム、東ローマ帝国時代の教会のバシリカ・テラス、3,000人を収容するという西劇場、商店街、東ローマ帝国時代の浴場、至聖所、浴場、聖者を埋葬するための地下埋葬室、バシリカ、後期ローマ帝国時代の門と、様々な時代の遺跡が目白押しであった。
■遺跡自体も見応えがあるが、遺跡から望む景観も忘れることができないものだ。目の前にはイスラエルにあるガラリア湖(アラビア語名ティベリアス湖)が豊富な水を湛えている。その右側に広がるのがイスラエル占領下にあるシリアのゴラン高原(イスラエルは領有権を主張)であり、シリア、ヨルダン、イスラエル、レバノンのレヴァント(大シリア)4か国の領土がひしめき合っている地域だ。1960〜1970年代に起こった第三次・第四次イスラエル・アラビア戦争(中東戦争)の係争地でもある。滞在時、シリアでは、政府軍、クルド人勢力、その他の親欧米反政府勢力、DAISH、その他のイスラーム過激派が内戦を続けていた。一刻も早く平和が訪れることを願いながらシリア方向を眺めていた。なお、レヴァント4か国が首都と位置付けるダマスカス、アンマーン、イェルサレム、ベイルートを日本地図にトレイスすると、関東地方ぐらいの狭い範囲に収まってしまうようだ。
 ファッデル・ダルガモウニ通り
 キング・アブドゥッラー通り
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■イルビッドは、ヨルダン第3の町だが、都市圏としては2番目に大きいと言うことができると思う。5回目の訪問であったが、中心部を訪ねるのは初めてであった。中心部に近づくにつれて交通渋滞が激しくなってきたが、何とか路上駐車することのできる場所が見つかった。そこは、ダウンタウン中心部であった。ハーシェミ通り、ファッデル・ダルガモウニ通り、キング・アブドゥッラー通りなどの大通りから小路に至るまで、様々な商品を取り扱う小売店が目白押しであった。面的な広がりを持つため、アンマーン・シティ・センター付近からローマ円形劇場付近まで2本の商店街が伸びているだけのように見えなくもないアンマーンのダウンタウンよりも賑わっていると思わせるほどであった。
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