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ヨルダンC 回顧

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概要

■以上が、ヨルダン滞在の概要だ。約7か月の滞在によって貴重な経験をすることができた。滞在中、ギリシャやイスラエルを含めて、新たに訪問した世界遺産は5となり、累計では日本15を含めて104と、3桁に達した。

さらに、ヨルダンの様々な側面を考察してみたい。

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■渡航に際しての所持金としては、マレイシア滞在時の失敗を教訓として、余裕を持って用意しようと考えていた。しかし、結局、3か月ごとのアパートメントのレンタル料金の最初の支払いを猶予してもらわざるを得ないことになってしまった。

口座を開設した銀行でATMを利用する時、問題が起こることがあった。キャッシュを引き出したいのに、ATMが銀行カードを取り込んだまま、返してこないことがあるのだ。そのような事象は旅行記で読んだことがあるが、経験するのは初めてであった。閉店後であったため、電話をかけてみると、レバノンの本店に繋がってしまう。翌日まで待ってほしいと言われたが、取り込んだ銀行カードを不在時に返してきたら困ると考え、緊急だと伝えた上で、店舗内に銀行員がいるから対処するよう伝えてほしいと依頼した。そのうちに、銀行員が勤務を終えて外に出てきたため、対処を依頼し、銀行カードを返してもらうことができた。その後もATMによる銀行カードの取込みは起こった。事故である場合もあったが、暗証番号の入力を間違えたための仕様である場合もあったようだ。すぐにATMの設置場所を離れなければならない場合もあるのに、一方的に銀行カードを取り込むとはどういう了見をしているのかと困惑した。また、今後の海外旅行の際には、出立間際の時間的余裕がない状況でATMを利用しないようにしなければならないと肝に銘じた。

なお、銀行振込などに際しては、IBANというものが必要だとされていた。銀行口座を特定するための国際標準だというが、桁数が非常に多く、しかも地元の人にとって馴染みのあるものではないようであった。その結果、アパートメントのレンタル料を銀行振込とすることはできず、3か月ごとにオウナー宅にキャッシュを持参することになった。

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■国際運転免許証では自家用車の運転が認められていないという情報を得ていたため、国際運転免許証は持参しなかった。しかし、運転免許証の取得のために5か月も要するとなると、ジュネーヴ条約の趣旨に沿っていないということになる。外国人居住者の便宜を図るために条約の効力の強化を検討してもらいたいものだ。

渡航時にデスクトップ・コンピューターを受託荷物にして故障しないかと心配していたが、特に問題なく使用することができた。操作性はノウトブック・コンピューターに優るため、デスクトップ・コンピューターを持参するということは、選択肢にあってもよいのかもしれない。

マレイシア滞在時に続いて電子辞書も持参した。辞書200冊が搭載された高機能版であったが、地元の人との対談中に取り出すことができるわけではないため、使用する機会は限られた。

ビジネス・カードは、地元の企業に作成してもらった。漢字は画像処理することによって使用が可能になったようだ。

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クイーン・アリア空港通り

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クイーン・ゼイン通り

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クイーン・ゼイン通り

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クイーン・ゼイン通り

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アブドゥッラー2世通り

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ザフラン通り

■右側通行の道路に合わせて自動車のステアリング・ホイールが左側座席にあることについては、アメリカ合衆国などで経験済みであり、違和感はなかった。ただ、車体が大きいため、アパートメントの狭い駐車場に駐車するための方向転換に際しては苦労させられた。慣れないうちは何回も切り返しを行わないと駐車することができないという状態であった。一方、ガス・ステイションで自分で給油を行うということはなかった。

自動車を運転することについての問題点はいくつかあった。

第1は、道路網の問題だ。中心部には1〜2km間隔で幹線道路が走っており、幹線道路に進入する場合や幹線道路から退出する場合は、右折しかできない。そのため、自動車の運転を始める前にどのように走るのか目安を付けておく必要があった。一般的には、目的地の左側から回り込むように近づいていくことが多い。その結果、たとえばアパートメントと受入先の間は、往路と帰路でかなり異なるルートを進むことになった。

そのような道路網は、主要な交差点が立体交差やサークルとなっていることと相まって、信号が少ないことに貢献している。しかし、そのことは、交通渋滞が起こりづらいということを意味しない。元々は信号設置を不要にするために設定されたサークルだが、交通量の増大とともに機能しなくなっている。直前の出口から自動車が出た場合のみしかサークルに入ることができなくなるということが起こるためだ。そのため、信号が設置されているサークルも多かった。そして、たとえば第8サークルでは、個々の自動車から見ると青信号となる時間は3分の1程度しかないように思われた。その結果、どの時間帯でも渋滞の原因となっていた。

第2は、車線が不明確だという問題だ。幹線道路であっても、車線境界線が消えかかっている場合が多いのだ。それを利用して、本来は片側2車線なのに、3車線として扱われている道路もあった。特に、自動車の幹線道路への進入がある区間で、幹線道路を走っている自動車がスピードを落とさないようにするために追越車線側に寄ってくるということが起こっていた。

自動車の運転は、日本と比べると荒いと感じたが、マレイシアのように車間距離をほとんど取らない自動車を見かけるということはなかった。ただ、夏になるとサウディアラビア人が避暑のために自動車を運転して訪ねてくるため、荒い運転の自動車が多くなるとのことであった。なお、真に富裕なサウディアラビア人にとっての避暑地はヨーロッパになるらしい。マレイシアで大挙して走っていたモウターバイクは見かけることがなかった。四輪車を信奉する社会なのかもしれない。SUVを見かけることも多く、所得以上に高級志向が進んでいるようであった。

第3は、行先案内が不十分だという問題だ。市内、市外のどちらを走っていても、よく知らない交差点に差し掛かると方向を間違えるということが頻発する。マダバ旅行に際しては往路、帰路とも道を間違え、ダウンタウンを走っていた時は道が分からなくなるなど、トラブル続出であった。マレイシア滞在時とは異なり、Googleマップがなければ自動車を運転して様々な町を訪ねることはできなかったのではないかと思う。

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■日本など海外のニューズは、ウェブサイトなどによって仕入れていた。

渡航翌月の10月中旬には、隣国のシリアで過激派組織DAISH(ISIL)が首都と位置付けるラッカを、クルド人民兵組織が完全に制圧した。通常であればもちろん歓迎するべきことだが、ヨルダンに滞在しているとそのことが懸念材料にもなった。ヨルダンからは、テュニジア、サウディアラビアに次ぐ約1,500人がDAISHの外国人戦闘員として参加しているとのことであった。人口比でみると、何と世界最多のようだ。そして、DAISHの瓦解によって、人の命を縮めることに対する抵抗感が弱くなった元戦闘員が帰還してくるのだ。当局は、国境で元戦闘員を拘束しようとしていたが、難民に紛れて入国されてしまう危険は常にあった。特に、南部最大の町マアーンは、イスラーム色の濃い部族社会の遺風が残されているとのことで、危険視されていた。

10月下旬には、日本で衆議院議員選挙が行われ、民進党の分裂もあって自由民主党が勝利した。選挙前、民進党は、前身の民主党政権時代の負の遺産を引きずり、閣僚経験者を含む国会議員の相次ぐ離党に見舞われていた。小池百合子東京都知事が、東京都政で躍進した都民ファーストの会を母体に国政への進出を検討していることも事態を悪化させると考えられた。そして、そのままでは選挙に惨敗すると考えた当時の前原誠司民進党代表は、小池さんが結党した希望の党への同党の合流を模索した。しかし、小池さんは、民進党出身国会議員について、「全員を受け入れるというようなことはさらさらありません。」と話し、主要政策の一致を基準にして選別することを示唆した。それが排除の論理だと否定的に受け取られ、排除された枝野幸男民進党代表代行が中心になって結党した立憲民主党が選挙で躍進した一方、希望の党が敗北したものだ。

リベラル系の相変わらずの分裂劇には呆れてしまう。二大政党制が望ましいかどうかはさておき、一強多弱よりは望ましい選択肢として、多数派形成のための合意形成の方法を探っていく必要があると思う。リベラル派が分裂したり多数の支持を得ることに失敗したりしているのは、重視されている政策課題が多すぎること、特に第二次世界大戦を経験した反省などもあって軍備拡張に対して強く反対する一方で近隣の社会主義国との友好を重視しすぎるとともに逆差別に対して鈍感な党派が存在すること、自らの政治経済理念に拘泥する党派が存在すること、所得再分配政策が経済成長や自由な資産所有に対する障害になると受け取られていることなどが挙げられると思う。リベラル派が平成以降3回目の政権交代(自由民主党の政権復帰を除く)を実現させるための条件を考えてみた。軍事政策(国防・安全保障政策)や外交政策に関しては自由民主党の政策スタンスとの差異が小さくなるように努める一方で、過度の能力主義による所得格差の固定化が決して社会のためにならないと主張し、経済競争の重要性を前提とした上で、企業による低廉な労働力利用のためではなく労働者の高付加価値労働従事のための政策によって、重厚な国内消費を通じた中長期的な経済発展を目指すことだ。富裕層に対する相続税など資産税の強化を提案することも考えられるであろう。どうであろうか。

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■渡航に際しては、治安の心配をしてもらった。実際には、一般犯罪については、マレイシアよりも治安はよいとの評価もあった。しかしながら、DAISHの勢力拡大と軌を一にして、経済情勢が悪化した。10%台前半であった失業率は、渡航の前年には10%台後半になり、さらに20%に向けて急上昇していた。特に、若年層の失業率は40%程度になっていた。

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ワカラト通り

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ワカラト通り

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レストラン

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ラム/フィッシュ・フィレ

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レストラン

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ワカラト通り付近

それに伴って、一般犯罪が増加していたようで、アパートメントのあるスウェイフィーエで日本人宅が住宅侵入窃盗未遂に遭ったという連絡があった。その後はアパートメントのドアの第二鍵も施錠するようになった。しかし、居住者は治安の悪化に対して無頓着なようで、オートロックになっているはずの外扉が完全に閉扉されておらず、意味を成さないことが多かった。ハウス・キーパーに指摘しても、状況はほとんど改善しなかった。また、たとえグラウンド・フロアの外扉が完全に閉扉されていても、駐車場に通じる地下の外扉が完全に閉扉されていることはほとんどなかった。

ほかに治安に関係する動きとして、反米国、反イスラエルのデモンストレイションがあった。12月上旬にドナルド・トランプ米国大統領が、イェルサレムをイスラエルの首都だと認めて、大使館をテルアヴィヴ(正式名称はテルアヴィヴ・ヤフォ)から移転することを表明すると、それに反対するデモンストレイションがフセイニ・モスク付近で行われ、大勢の警察官と装甲車が出動している現場を目の当たりにした。ただし、デモンストレイションは平和裏に行われたようだ。

治安に関係すると言うことができるかどうか分からないが、西アジアなどでは、安全に関係する事案として、何らかの祝意や弔意を表すための祝砲や弔砲が、時々実弾を用いて行われるということが挙げられる。落下してきた実弾に当たる死傷事故が起こっているとのことであった。ヨルダンでは危険なため法律で禁止されているが、根絶するには至っていないようであった。そのため、その可能性がある日には外出を控えるよう連絡が入った。

DAISH関係などのテロリズムについては、どの程度危険なのか、皆目見当が付かなかった。大勢の人が出入りする施設には長居しないようにとの連絡を受けていた。特に危ないのは、場所としては地下など逃げ道のない場所でアルコール飲料が提供されているバーなどであり、時期としてはラマダーンやイード・フィトルなどのようであった。なお、赴任前研修では、テロリズムに遭遇した場合に取るべき行動は、「Run(逃げる)」、「Hide(隠れる)」、「Fight(戦う)」だと教わった。匍匐前進の訓練も受けていた。

ヨルダン滞在中、アンマーン・ビーチで窃盗に、イェルサレムで詐欺に遭ったわけだが、喝采したくなるような出来事もあった。2月中旬、いつも通りマイクロバスに乗って受入先から帰宅しようとしていた時のことだ。雨が降っていたため、鞄のほか傘を持っている必要があった。後で考えると、バス料金の支払いに際して財布から小銭を取り出した後、料金の支払いを円滑に行おうとして財布を一旦座席の上に置いてしまったようだ。その直後、車掌とほかの乗客が激しい口論を始めたため、それに気を取られてしまった。そして、マイクロバスを降りてすぐ、財布がないことに気付いた。タクシーに乗ってマイクロバスを追いかけたかったが、関係者のアドヴァイスにより、事故届のため第8サークル付近の警察署に向かうことになった。その途中、関係者から連絡があり、財布はダウンタウンにある警察署に届けられたとのことであった。タクシーに乗って向かうと、財布は無事であった。警察官と親しく言葉を交わし、コーヒーを淹れてもらった。日本以外の国でこのようなことがあるとは望外の幸いであった。財布には多額の金銭のほか、クレディット・カード3枚などの貴重品が入っており、貴重品管理として問題があると関係者に指摘された。なお、この事案はほかの日本人に連絡されて日常的にマイクロバスに乗っていることが知られ、驚かれたようだ。

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■発展途上国であるにも関わらず、一般に物価は高い。製造業が発展していないため多くの商品は外国からの輸入品であり、輸送コストなどのため割高になるという。そのような状態で、困難を抱えているとは言え、経済の運営を行うことができているのは不思議だと思う。

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ザ・ガラリア・モール

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フード・コート

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煮魚/バター・ライス/サラダ

フード・コートで食事をしても数ヨルダン・ディナールを要するほか、スーパーマーケットでの買い物でも特に安いと感じることはなかった。日本料理店は4,000円程度を要すると聞かされていたため、場所を確認することさえなかった。そのような中で割安だと感じたのは、バス料金だ。アップタウンとダウンタウンの間が30〜35ピアストル(0.30〜0.35ヨルダン・ディナール)であった。ただ、下りは距離比例料金制度が適用されていたようだが、上りは降車停留所に関係なく均一料金制度が適用されていたように感じた。料金は前払いであり、アンマーン・シティ・センターを乗降停留所とする乗客が多いため、それ以外の乗客に対する配慮が疎かになっているのであろう。一方、観光名所の入場料金は居住者扱いのため地元の人と同額であり、外国人料金で3ヨルダン・ディナールのシタデルやローマ円形劇場が25ピアストル、同じく50ヨルダン・ディナールのペトラ遺跡が1ヨルダン・ディナールと非常に安かった。ヨルダンは、欧米諸国などと同様に格差社会であり、当然のことかもしれないが、地元の上流層と同様の生活を送ろうとすると物価は高く、下流層と同様の生活を送ろうとするとそれほど高くないという結論になるのかもしれない。なお、ヨルダン滞在中、スーパーマーケットで1ピアストル硬貨が使われなくなり、5ピアストル硬貨が最小価値通貨となった。また、領収証などに記される補助通貨単位としてはフィルス(1フィルスは0.001ヨルダン・ディナール)の方が一般的であり、慣れないため混乱することがあった。

現地での1日平均の滞在費用(土産費を除く)は約14,000円であった。滞在費用のうちアパートメントのレンタル料金を除く宿泊料金の最高は1回目訪問時などのアカバの約12,000円(76.50ヨルダン・ディナール)で、最低はイェルサレムの約2,700円(75シェケル)であった。

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概要

■マレイシア滞在時に次いで、生活に深く入り込んでいるイスラーム教と敬虔なイスラーム教徒を目の当たりにすることができた。

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ヨルダン民俗博物館

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ヨルダン民俗博物館

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ヨルダン伝統文化博物館

集団礼拝日である金曜日は、少なくとも午前中、開店している小売店やレストランを見つけることが難しかった。

イスラーム教徒の女性は、多くの場合、スカーフのような布(ヴェイル、ヒジャブ)で髪を覆っているが、ヨルダンの場合、マレイシアと同じくカラフルな布を使っていることが多く、ファッションの一部になっているように見受けられた。ただし、両目以外の顔を含めた全身を黒色の衣装で覆うアバヤを身に付けた女性は、マレイシアでは西アジアからの観光客ぐらいしか見かけなかったが、ヨルダンでは地元の人の中にも少数ではあるが存在していた。

様々な宗教の信者がいる多民族国家マレイシアでは、ラマダーン期間中の日中であっても、非イスラーム教徒はイスラーム教徒の目に付く場所で食事をすることができた。一方、ヨルダンでは、イスラーム教徒が国民の約9割を占め、キリスト教徒は約1割に過ぎない。そして、ラマダーン期間中の日中は、非イスラーム教徒も飲食を控えなければならないようであった。周囲にあまり非イスラーム教徒がいないため、配慮が行き届かなくなるのであろうか。フランスで公立学校におけるスカーフ着用が禁止された時、自国文化の少数民族への押し付けだという批判がなされることがあったが、イスラーム教社会でも同様の押し付けは行われているのだ。治安の問題も考えると、ラマダーン期間中、非イスラーム教徒はイスラーム教国から逃れるのが賢明だということになるかもしれない。ほかに、ラマダーン期間外にも飲食制限のある厳しい戒律に従っている人もいた。

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ナキブ・オムラン通り付近

一方、スーパーマーケットの中には、アルコール飲料やポークを売っているものがあった。ラマダーン期間中は、アルコール飲料の販売場所には覆いが掛けられて簡単に見えないようになるとのことであった。ほかに、ポーク専門店もあった。レストランの中にも、メニューに堂々とアルコール飲料が掲げられてあったり、掲げられていなくても注文することができたりするものがあった。また、日常的に自宅でアルコール飲料を嗜む人もいたようだ。イラク戦争によってフセイン政権が崩壊した後、アルコール飲料の販売を始めた小売店主が一般国民に殺されたイラクと比べると、厳格に戒律に従っているわけではないと言うことができるかもしれない。ただし、ポークはイスラーム教徒にとってアルコール飲料よりも禁忌の程度が高いため、主としてキリスト教徒を対象として売られているのであろう。

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サンタクロース

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クリスマス・トゥリー

他宗教との関係では、クリスマスが祝日になっている。おそらくキリスト教徒に配慮しているのであろうが、イエス・キリストがイスラーム教において預言者の一人として位置付けられていることも影響しているのかもしれない。クリスマス・シーズンになると、ショッピング・モールにクリスマス・トゥリーが出現するなどした。また、イード・アドハー(犠牲祭)は、元々、アブラハムが自分の子を神の生贄として捧げようとしたという旧約聖書の説話に因むものだ。一方、キリスト教徒の中には犬を飼う人もいるが、イスラーム教では犬は豚と同じく不浄だとして嫌われている。そのような中で、犬を散歩させている人が多くの人にからかわれている様を見ると、信者間の相互理解は難しいと感じずにはいられなかった。

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

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キング・アブドゥッラー1世モスク

宗教について、受入先の職員から話を振られたことがある。こちらが、仏陀は誕生の直後、歩くことができたと説明すると、迷信だと切り捨てる。一方、仮にクルアーンに記されていること、たとえば神の啓示が超常現象だと主張したとすると、決して容認しないであろう。一方的だと感じた。そして、仏陀はプロフェット(預言者)ではないのかと尋ねてきた。確かに仏陀は釈迦族の王子であり、仏教の開祖であって、人間だとされている。しかし、一方で神に近い超越的な存在として崇拝されてきたという歴史がある。もし、仏陀はプロフェットかもしれないと答えたとすると、仏陀に啓示を授けたのはアッラーフだと畳み掛けられたのであろう。職員に悪気はないのであろうが、仏教を一面的に理解した上で入信を勧誘しているのだとしたら迷惑なことだと感じた。

イスラーム教については、非イスラーム教世界から見て、過激派の存在、西洋的人権の侵害、民主主義との非親和性、非西洋的刑罰の存在、女性や性的少数者に対する差別、文化財に対する無理解などが問題だとされている。帰国後、理解を深めるため、イスラーム教に関する書籍(飯山陽著「イスラム教の論理」、新潮社発行、2018年)を読んだ。同書では、イスラーム教を指して、「昨日、今日誕生した脆弱で瑕疵のあるシステムではなく、1400年以上にわたって構築されてきた巧緻で完璧なシステムです」と評している。また、DAISHに関連して、「コーランの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈はすべて等しい価値をもつ、というのがイスラム教の教義だ」、「『伝統的なイスラム教』の(中略)枠組みの中にいる限り誰も絶対に過激派を論駁することができない」と主張している。そこで、同書に疑問を呈する形式でイスラーム教について考えてみたい。

神が全知全能であるならば、イスラーム教徒の言動ばかりではなく、非イスラーム教徒の言動も、さらにはイスラーム教徒であるかどうかということさえも、神の意思によるものだということになる。その場合、イスラーム教徒にとっての敵とは何なのであろうか。非イスラーム教徒を改宗させることがイスラーム教徒の務めであるならば、非イスラーム教徒はイスラーム教徒にとって布教の対象なのであって、敵と呼ぶ正当な理由はないはずだ。イスラーム教によると、イスラーム教徒は、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフに下された神の啓示を非イスラーム教徒に先んじて理解することができた恵まれた存在なのだから、非イスラーム教徒を温かい目で見守ってもらいたいと考える。クルアーンにも、非イスラーム教徒に対して寛容に接するべきだと説かれているらしい。

多くの宗教には、聖典(聖書やクルアーンなど)の記述を絶対視する原理主義が存在する。しかし、聖典の解釈は複数存在する。どの解釈も、信者が絶対に誤りだと断定することは難しいとしても、だからと言ってすべて等しい価値を持つということにはならないであろう。教義を現実社会に適用するに当たって葛藤があるのは、多くの宗教に共通することだと思う。同書は、イスラーム教が特異な宗教だということを浮き彫りにすることを目的としたものだが、そのような解釈もあるということを踏まえた上で、信者が過激な思想に走らないようにする方法を考える方が生産的だと思う。

本来は宗教を批評することは避けたいのだが、同書が「完璧なシステム」と評していることとの関係で疑問に思うのは、どうして神は気まぐれなのかということだ。これは、イスラーム教だけではなく、多くの宗教、特に神は全知全能だとする宗教に対して有効な疑問だ。神を信じている人であれば、誰でも神が気まぐれだと感じた経験があると思う。信心深い人の中に、恵まれた人生を送ることのできる人がいる一方で、不遇に苛まれる人や突然の悲劇に見舞われる人がいるのはなぜなのであろうか。そのような疑問を発すると、おそらく、神を疑ってはならないという答えになっていないような答えか、または浅はかな人間に神の意思が分かるわけはないという答えが返ってくるのではないだろうか。それならば、宗教的立場に関係なく、自分達には何も分かっていないのだから、思い上がることなく、謙虚な気持ちで日々の生活を送っていきたいものだ。

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洗礼者聖ヨハネ教会(マダバ)

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洗礼者聖ヨハネ教会(マダバ)

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洗礼者聖ヨハネ教会(マダバ)

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洗礼者聖ヨハネ教会(マダバ)

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洗礼者聖ヨハネ教会(マダバ)

ユダヤ教における唯一神ヤハウェ(日本語名エホヴァ)、キリスト教における父なる神ヤハウェ、イスラーム教における唯一神アッラーフは同一神だとされる。(ただし、キリスト教においてヤハウェと一体とされる子なる神イエス・キリストは、ユダヤ教においては偽メシアであり、イスラーム教においては最高預言者ではない預言者とされている。)また、キリスト教では新約聖書だけではなくユダヤ教の聖典である旧約聖書も聖典とされているし、イスラーム教では原理的にはクルアーンだけではなく旧約聖書や新約聖書にも神の啓示が記されているとされている。

このように、3宗教は非常に近しい関係にあるにも関わらず、妥協を許さない唯一神信仰であるためか、近親憎悪のためか、あるいは4回のイスラエル・アラビア戦争を始めとする対立の歴史があるためか分からないが、対立感情が激しい。同根の宗教なのだから、友好関係を保ってほしいものだ。

宗教間の対立に加えて、イスラーム教にはスンナ派とシーア派の対立がある。イスラーム教社会の指導者を合議によって決めようとするのがスンナ派であり、一方、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフの従兄弟のアリーと娘のファーティマの夫妻の子孫のみが指導者になる資格があるとするのがシーア派だ。ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフの曽祖父ハシェミット(ハーシム)から連なるハシェミット家の一族だが、アリーと、別の妻ではなくファーティマとの間の子孫であることが決定的に重要なので、ファーティマ家と呼ぶのが適当であろうか。ファーティマ家出身と称しているのは、モロッコ王室、ヨルダン王室、旧イエメン王室、旧イラク王室、イランの故アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー師などらしい。面白いのは、モロッコ、ヨルダン、イエメンなど、ファーティマ家出身者を国王に戴いた国で、シーア派が主流となっていないことだ。

スンナ派は、シーア派と比べて、偶像崇拝の禁止、礼拝、断食などの戒律が厳しいという。しかし、通婚も可能であり、教義が異なっていることが対立の原因だというわけではない。対立の契機は、イランが、1979年のイラン革命後、国法がイスラームの教えと密接に関連したイスラーム共和制をイスラーム教国に普及させようとし、サウディアラビアなどの国家体制を危うくしたことのようだ。そして、その対立が継続している理由は、スンナ派の盟主でありアメリカ合衆国と同盟関係にあるサウディアラビアと、シーア派の盟主であり中国やロシアと友好関係にあるイランの覇権争いということになろう。そうだとすると、両宗派の信者が紛争に巻き込まれるのは思慮がないと言わざるを得ないと思うが、どうであろうか。

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機内から(ハフルアルバティン周辺)

次に、サウディアラビアとアメリカ合衆国の同盟関係について考えてみたい。

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機内から(ダンマーム周辺)

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機内から(ダンマーム周辺)

サウディアラビアを含む多くのイスラーム教国にとって、アメリカ合衆国は、パレスティナを占領しているイスラエルの後ろ盾だ。サウディアラビアは国内に米国軍を駐留させているが、反米感情を持っている国民が多い中で、国民感情を考えずに結んでいる同盟関係だと言うことができるであろう。壮年のヨルダン人男性と定期的に政治について議論する機会があった。シリア内戦について、スンナ派とシーア派の争いが原因ではないかと持論を述べると、そのような単純なものではないと切り返してきた。そして、アラビア諸国は欧米諸国の策略によって分断され、無力化されており、特にサウディアラビアは周辺諸国の国民の期待を裏切っているという主張を展開した。周辺諸国も、宗教ではなく打算によって政治的立場を決めているという。また、多くのヨルダン国民はスンナ派に属し、表面的にはアメリカ合衆国に従順であっても、シリア内戦では心情的にはむしろシーア派の一派とされるアラウィー派のバッシャール・アサド大統領を擁するシリア政府の方に親近感を持っているとのことであった。そして、現状を嘆いていた。

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神殿の丘(イェルサレム)

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神殿の丘(イェルサレム)

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嘆きの壁(イェルサレム)

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嘆きの壁(イェルサレム)

一方、アメリカ合衆国から見るとどうであろうか。サウディアラビアは、サウード家の王室と、イスラーム保守主義であるワッハーブ派が結び付いたものだ。西洋的人権、民主主義、西洋的刑罰などの観点からは、思想的に相容れない政権だと思う。ほかのイスラーム教国に対する思想的影響が大きいとの評価もある。地政学的打算によって同盟を結んでいると言わざるを得ない。

宗教を巡る世界の政治情勢は、今後、どのように推移するのであろうか。世界の宗教別人口割合を見ると、キリスト教徒が約3割で最も多く、イスラーム教徒が約2割でそれに次いでいる。それが、今世紀後半には約3割で並び、来世紀にはイスラーム教徒が上回るという予測がある。イスラーム教徒には敬虔な人が多く、出生率が高いのだ。そして、イスラーム教徒人口の高い伸びは、世界に先駆けてアメリカ合衆国において現れる。アメリカ合衆国における人口割合は、ユダヤ人が2%弱、イスラーム教徒が1%強であり、今世紀後半にはともに2%強となるが、イスラーム教徒が上回っているという予測があるのだ。共和党政権であれ、民主党政権であれ、アメリカ合衆国が親イスラエル的政策を採ってきたのは、国内に抱えているユダヤ人に配慮することによって、その支持を得ることを期待してのことだと考えられるが、今世紀後半に同様の政策を採り続けることができるとは限らないわけだ。アメリカ合衆国は、そのことを踏まえて、今世紀前半のうちに、イスラーム教国との関係を再考していく必要に迫られるのではないかと考える。イスラーム保守主義の影響力が強まることを避けるため、サウディアラビアを始めイスラーム教国との関係をどのように展開していくか、思案所が近づいているのではないだろうか。一方、影響力が強まる世界のイスラーム教徒には、たとえばDAISHがイラクのクルド人の一部に信仰されているヤズィーディー教を多神教とみなして行ったような宗教的迫害が見られた場合、一致団結して、また声を大にして非難することを期待したいものだ。そして、日本としては、サウディアラビアとイランの対立に直面した時、アプリオリに一方に与することがはたして賢明なのか、よく検討する必要があるのではないだろうか。

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アイン・ガザルの人形

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アイン・ガザルの人形

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エル・ハズネ(ペトラ)

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カスル・ビントから(ペトラ)

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ウム・ビヤラ(ペトラ)

■ヨルダンは、約1万年前の人形が出土するなど、長い歴史を持つ。また、オンライン英会話を受講している時、キリスト教徒だと考えられるフィリピン人講師にヨルダンに滞在していることを話すと、ヨルダン川のあるヨルダンかと聞き直されることが多かった。ヨルダン川に特別の意味があるということなのであろう。調べてみると、イエス・キリストがその先駆者であるヨハネから洗礼を受けたのがヨルダン川の河岸においてであった。ただし、特別の意味があるのはヨルダン川であって、ヨルダンという国ではない。歴史的には、旧約聖書の時代には、現在のアンマーン付近にアモン王国が、カラク付近にモアブ王国が、ペトラ付近にエドム王国が存在していた。ただし、それらの国の居住者がヨルダン人の祖先というわけではない。

ヨルダンを含むレヴァント4か国のうち、シリアは、レヴァントの別称であるとともに、セレウコス朝の国名、ローマ帝国の属州名などとして名前が現れる。また、レバノンは、フェニキア人の故地であり、フェニキア語またはアラム語に因む国名を持つ。そして、イスラエルは、ユダヤ人が長いディアスポラ(離散)を経て建国したものだ。それに対し、ヨルダンが第二次世界大戦後の1946年に連合王国から独立した時の国名はトランス・ヨルダンであった。何とヨルダン川の向こう側という意味だ。日本にも向島などの地名はあるが、何という他人任せなネイミングであろうか。本来は、少なくともヨルダン川のこちら側という意味の国名にしなければならなかったところであろう。このように、ヨルダンの独立と国境線の画定は、旧宗主国の都合で行われたことが如実に分かることとなっている。独立の時点では、民族としてのアイデンティティが希薄であったと言わざるを得ない。

アラビア人というのは人種を越えた概念であるため、ヨーロピアンに近い人からアフリカンに近い人まで幅広く分布しているようだ。その中で、シリア人はヨーロピアンに近く、ヨルダン人はシリア人よりは肌の色が濃いという。ヨルダンの先住民族は、遊牧民族のベドウィンだとされる。ヨルダンは立憲君主制を敷いているが、国王の権力は強い。その国王が新しく政策を立案する時に優先するのは、ベドウィンの合意を取り付けることだという。一目置かれている存在のようだ。ただし、国境を越えて分布しており、ヨルダン固有の民族というわけではない。

王室は、ファーティマ家出身ではあるが、1925年にヒジャーズ王国(マッカやマディーナを含むアラビア半島西部を領有した国)をサウード家に攻略された後、ヨルダンに追われてきたという存在だ。いわゆる名門であるだけに、サウディアラビアを支配するサウード家に対する対抗心は強いであろう。

ヨルダンで多数派を形成するのは、イスラエル・アラビア戦争後に難民として受け入れたパレスティナ人だ。既に多くが定住生活に移行しており、近年流入してきた人を除くと、難民の痕跡を留めていない人が多い。パレスティナ問題が深刻化するとデモンストレイションが起こるが、イスラエルとは政治的に和解している。パレスティナの利害とは一線を画しているわけだ。そして、自分達とはさらに政治的立場を異にするであろうイラク難民やシリア難民を積極的に受け入れている姿勢は、称賛に値すると言うことができるであろう。

少数民族も存在するようだ。受入先でスタッフとして働いた若い女性は、トルコ、イラン、イラク、シリアなどに分断されて住むクルド人であった。また、運転手として働いた若い男性は、19世紀にロシアに迫害され、トルコに追われたチェルケス人(サーカシア人)とのことであった。ともに肌の色が薄かったが、特に男性はヨーロピアンのような容貌であった。

回顧

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運転

報道

治安
物価

回教

民族

展望

抜粋

概要

写真
アカバ湾(アカバ)

写真
アカバ湾(アカバ)

写真
アカバ湾(アカバ)

■ヨルダンには目立った産業がない。石油を産出せず、アカバを除いて海に臨んでいないため、製造業の発展には限度がある。一人あたりGDPで見ると低位中所得国に分類され、日本周辺の国と比べるとインドネシアよりもやや高い水準にある。経済運営に成功すれば高位中所得国への浮上も見通すことができる位置だ。たとえばエジプトに対しては、明らかに優越感を抱いているようだ。しかし、一層の経済発展のためには、振興するべき産業を慎重に見極めていく必要があるのではないだろうか。

政府が重点を置いているのは観光などだ。目標は、産油国でありながら経済の石油依存度を低め、金融、流通、観光の一大拠点として発展を続けているアラビア人首長国連邦であろうか。唯一の臨海部であるアカバ周辺では、観光に限らず、外国資本の誘致による製造業の振興が必要であろう。また、観光について考えてみても、公共交通機関の運営、リーズナブルな料金の宿泊施設の整備、趣のある繁華街の設営、インフォメイションの開設など、課題は多い。

周辺諸国が保守派の牙城であったり、紛争地域となっていたりする中で、地域が対立の再生産の構図を脱し、平和裏に経済発展していくためには、ヨルダンの役割は大きいと考えている。視界は良好ではないが、関係者の努力が望まれるところだ。

回顧

支払

持参

運転

報道

治安
物価

回教

民族

展望

抜粋

概要

前訪問地発 当訪問地着 訪問地
2017年9〜10月
出発 日本 東京
26日17:50 空路 23:15 アラビア人首長国連邦 アブダビ
27日10:30 空路 12:15 ヨルダン アンマーン
2017年10月
12日22:05 空路 13日01:55 アラビア人首長国連邦 ドゥバイ
15日18:50 空路 20:45 ヨルダン アンマーン
2017年10月
22日15:00 道路 19:15 ヨルダン アカバ
23日14:00 道路 17:45 アンマーン
2017年12月
17日10:20 道路 15:15 ヨルダン アカバ
19日13:15 道路 16:55 アンマーン
2017年12月
27日09:10 道路 10:50 ヨルダン イルビッド
12:15 道路 14:00 アンマーン
2017年12月〜2018年1月
29日03:30 空路 05:35 ギリシャ アテネ
08:00 道路 12:30 ピルゴス
12:45 道路 13:15 オリンピア
30日11:30 道路 12:15 ピルゴス
12:30 道路 16:20 コリントス
17:15 道路 19:40 スパルティ
31日13:35 道路 16:40 アテネ
1日15:00 鉄路 15:20 ピレウス
15:45 鉄路 16:05 アテネ
2日08:00 道路 09:35 ミケーネ
11:20 道路 11:45 コリントス
14:15 鉄路 15:15 アテネ
3日00:40 空路 02:40 ヨルダン アンマーン
2018年2月
14日14:00 道路 17:10 ヨルダン アカバ
15日14:20 道路 17:55 アンマーン
2018年2月
21日09:40 道路 11:05 ヨルダン イルビッド
14:40 道路 16:20 アンマーン
2018年2月
24日09:10 道路 10:15 ヨルダン マダバ
12:45 道路 14:00 アンマーン
2018年3月
2日08:15 道路 10:45 ヨルダン アズラック
11:20 道路 14:05 アンマーン
2018年3月
9日10:55 道路 12:00 ヨルダン ジェラシュ
13:35 道路 14:40 アンマーン
2018年4月
20日07:30 道路 08:20 ヨルダン アンマーン・ビーチ
09:55 道路 11:45 カラク
13:20 道路 15:10 アンマーン
2018年4月
21日05:05 道路 08:10 ヨルダン ペトラ
16:20 道路 19:40 アンマーン
2018年4月
23日06:40 道路 08:35 ヨルダン ウム・カイス
10:40 道路 11:45 イルビッド
12:25 道路 14:15 アンマーン
2018年4月
27日06:40 道路 10:35 ヨルダン ペトラ
13:55 道路 14:15 ワディ・ムーサ
15:00 道路 17:45 ワディ・ラム
21:40 道路 28日02:35 アンマーン
2018年4月
28日06:30 道路 07:25 ヨルダン キング・フセイン橋
08:50 道路 09:25 イスラエル アレンビ橋
10:15 道路 10:50 イェルサレム
29日09:20 道路 10:15 アレンビ橋
11:00 道路 11:10 ヨルダン キング・フセイン橋
12:20 道路 13:20 アンマーン
2018年5月
6日15:20 空路 19:00 アラビア人首長国連邦 アブダビ
22:05 空路 7日12:45 日本 東京
道路 :道路、 道路 :鉄路、 空路 :空路)

訪問地 宿泊先 単価
2017年9〜10月
日本 東京 スマイルホテル日本橋三越前 1
アラビア人首長国連邦 アブダビ Crowne Plaza Hotel Abu Dhabi - Yas Island 1
ヨルダン アンマーン Seven Roses Hotel JO.D 63.80 6
Apartment 9
2017年10月
アラビア人首長国連邦 ドゥバイ Africana Hotel AE.D 109.00 2
ヨルダン アンマーン Apartment 7
2017年10月
ヨルダン アカバ Double Tree by Hilton JO.D 76.50 1
アンマーン Apartment 55
2017年12月
ヨルダン アカバ Movenpick Resort & Residences JO.D 70.00 2
アンマーン Apartment 8
2017年12月
ヨルダン アンマーン Apartment 2
2017年12月〜2018年1月
ギリシャ オリンピア Hotel Hermes EUR. 25.00 1
スパルティ Hotel Lakonia EUR. 38.00 1
アテネ Elikon EUR. 25.50 1
EUR. 30.43 1
ヨルダン アンマーン Apartment 43
2018年2月
ヨルダン アカバ Double Tree by Hilton JO.D 76.50 1
アンマーン Apartment 6
2018年2月
ヨルダン アンマーン Apartment 3
2018年2月
ヨルダン アンマーン Apartment 6
2018年3月
ヨルダン アンマーン Apartment 7
2018年3月
ヨルダン アンマーン Apartment 11
2018年4月
ヨルダン アンマーン Apartment 1
2018年4月
ヨルダン アンマーン Apartment 2
2018年4月
ヨルダン アンマーン Apartment 4
2018年4月
ヨルダン アンマーン Apartment 1
2018年4月
イスラエル イェルサレム New Petra Guesthouse IL.S 75 1
ヨルダン アンマーン Apartment 7
2018年5月
日本 東京 R.K. 13

国名 通貨 為替 生活 食料 交通 教養 娯楽
ヨルダン 17年9月 JO.D 161円 0.00 22.40 0.00 0 0.00
10月 89.09 242.69 302.87 0 0.00
11月 42.34 242.52 39.50 0 0.00
12月 41.05 263.73 47.15 0 0.75
18年1月 45.75 282.29 309.15 0 0.50
2月 36.85 234.25 729.00 0 2.25
3月 151.25 246.90 58.60 0 1.25
4月 28.40 304.40 216.90 0 68.05
5月 0.80 68.80 1,479.93 0 0.25
小計 435.53 1,907.98 3,183.10 0 73.05
US.$ 115円 1
内訳
0 0 17.49
内訳
65.94
内訳
アラビア人首長国連邦 AE.D 31.3円 803
内訳
160
内訳
90
内訳
0 3
内訳
ギリシャ EUR. 135円 0 154.15
内訳
211.90
内訳
0 53
内訳
イスラエル IL.S 36.4円 15
内訳
83
内訳
269
内訳
0 0
日本 JP.\ 1.00円 3,242
内訳
0 82,039
内訳
220,926
内訳
0
通貨計 99,291 336,654 636,775 222,931 26,604

国名 住居 土産 支出計 円換算 日平均
ヨルダン 17年9月 255.20 0.00 277.60 44,895 3.6 12,471
10月 332.03 0.00 966.68 384,100 28.2 13,621
11月 676.20 0.00 1,000.56 380,242 30.0 12,675
12月 281.50 0.00 634.18 358,072 28.2 12,698
18年1月 134.23 0.00 771.92 337,153 28.9 11,666
2月 195.50 0.00 1,197.85 418,084 28.0 14,932
3月 123.85 0.00 581.85 325,490 31.0 10,500
4月 145.00 0.00 792.75 363,580 28.9 12,581
5月 232.60 43.10 1,825.48 394,273 6.0 65,712
小計 2,406.11 43.10 8,048.87 3,005,891 212.8 14,125
11,853.95
内訳
0 11,938.38
内訳
アラビア人首長国連邦 218
内訳
0 1,274 39,873 4.2 9,493
ギリシャ 118.93
内訳
0 537.98 72,737 4.9 14,844
イスラエル 75
内訳
0 442 16,086 1.1 14,624
日本 39,437
内訳
0 345,644
内訳
0 1.0 0
通貨計 1,812,331 6,953 3,134,587 224.0 13,994
(注) 円換算と日平均は他国通貨での支払いを含み、土産費を除く。

回顧

支払

持参

運転

報道

治安
物価

回教

民族

展望

抜粋

概要

春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋
春 夏 秋 冬
夏 秋 冬 春
秋 冬 春 夏
冬 春 夏 秋

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